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気が向いたら思いついたことを書いてみます
露文学翻訳者・湯浅芳子の文章に次の一節があった。
私たちが住んだ家の真向いは床屋だった。「清国人耳そうじ」と書いた札が出ていて、表に面したガラス窓近くに弁髪の中国人の姿が見えた。耳掃除する様子を窓から覗いた。長い弁髪に中国服を着た男は、丁寧に耳掃除をしたあと、ピンセットのようなものをブルンブルンふるわせ、耳の中に入れてあるタンポの柄にあてて刺戟する。
湯浅は明治29年生れ。この耳掃除の仕方は私の子供の頃まであった。床屋では大人が顔に温かそうなタオルを当てられ、ヒゲを剃られるのがうらやましかった。耳掃除も音叉の細長いようなものをビーンと鳴らして耳掻きに当てていた。子供には耳掻きをやってくれなかった。湯浅は「ピンセットのようなもの」と書いているが、ピンセットではなかろう。
耳かきの端についている球状の羽毛を、湯浅は「タンポ」と書いているが、TBSラジオ「ラジなん」では「梵天」と言っていた。こちらが正解だろう。
十年ほど前だろうか、耳掻き店がはやったことがある。電車に時間があったので、駅ビルの耳掻き店に入ってみた。耳掻き数種を目の前に出して「どれにしますか」と言う。道具を選べる他は、どうということのないものだった。千数百円払ったが、自分でやった方がいい。
それより更に十年ほど前。片耳が聞こえなくなった。安眠のため耳栓をして寝ていたが、耳栓によって耳垢が外耳道の奥に詰まったのではないかと思い、耳鼻科に行って取ってもらった。
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S家でロカボ牛麵を注文した。見ると、油揚げと麵だけで、牛肉が入っていない。「牛がないでしょ。どうなってんの」と文句を言うと、作り替えてきた。若干肉が多めのような感じだった。
文化放送・小尾アナ、8時半のニュースで、
パラリンピク・パラリンピック
と言い直した。
文化放送・小尾アナ、今朝7時台は、
アメリカき・きょうわとう(共和党)
しゅうせい・しゅうけい(集計)すると
と言った。
今日肥った男女とすれ違った。別々の場所だが、男は百キロ超、女は百キロ前後に見えた。いずれも道の左側を歩いてくる。私は右側通行。身軽な私が動いた方がいいだろうと判断して左に寄ったが、なぜ肥った人は左側通行なのだろう。心臓を大事にするのか、車から少しでも離れようとするのか。
昔は「車は左、人は右」と教わったが、地下街・地下鉄などは左側通行を促している。
エスカレーター。大阪は右側に立ち、左を空けるが、東京は逆だ。「エスカレーターに乗ったら、右でも左でも好きな方に寄って動くな」と提唱している学者の話をラジオで聞いた。体の不自由な人のためだという。
文化放送・小尾アナ、今朝8:30のニュースで「しょうちょう・そうちょう(早朝)」と言い直した。7時台はもっと言い間違えていた。
電車の窓に「遮熱・断熱フィルム」と書いてあった。遮熱と断熱はどう違うのか。
日経新聞に説明があった。
断熱は、壁の内部を伝わっていく熱の量を小さくすること。
遮熱は、日射を吸収しないように反射することや、日射を吸収した結果、温度の高くなった面から出る長波長放射が室内に入らないようにすること。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO78201530Z01C14A0000000/

池上4丁目でアルバイトをしたことがある。池上駅から北へ。途中表札屋があったのを覚えている。近くに池上本門寺があることは知っていたが、行ってみようとしたことはなかった。ちょっと足を伸ばせばいいのに。駅とアルバイト先との往復のみ。余裕のない生活だった。
学生時代、四谷でアルバイトをしたことがある。四谷駅から北へ。雪印を過ぎた所なので、本塩町かと思っていたが、調べると市谷本村町のようだ。国際女子マラソンが初めて日本で開かれ、外堀通りがコースで、男のような外国人女性が数人走り去るのを見て驚いた記憶がある。地図を見ると、防衛省(当時は防衛庁)の近く、市ヶ谷駅の方が近いようだが、私は教えられたとおり、四谷駅を利用していた。
510頁の本が4円なので注文したところ、次のような連絡があった。
商品状態を確認致しましたところ、ケースにしみがございました。
サイト上表記と差異がございましたこと深くお詫び申し上げます。
他在庫及び系列店舗にて在庫調査を致しましたが、同一商品の在庫は見つかりませんでした。
そのため、取り急ぎ商品金額の30% 【1】円を返金させて頂きました。
1円を返してもらっても有り難みはない。函も捨てるのでシミなど関係ない。
文体診断ロゴーン というサイトがある。
http://logoon.org/
我がエッセイの一部を放り込んでみたところ、下記の診断が出た。「硬さ」が最硬なのは当然として、「表現力」「個性」が共にAなのは嬉しい。
北原白秋・猪瀬直樹・夏目漱石に近く、三木清・岡倉天心・有島武郎と最も遠いということなのか。何か変な感じだ。基本となっている作者は64名だという。もっと増やしてもらいたい。

文体診断結果
一致指数ベスト3
名前    一致指数    リンク
1    北原白秋    70.9   
2    猪瀬直樹    70.7   
3    夏目漱石    70.2   

一致指数ワースト3
名前    一致指数    リンク
1    三木清    41.3   
2    岡倉天心    42.2   
3    有島武郎    44.9   

文章評価
    評価項目    評価とコメント
1    文章の読みやすさ    B    読みやすい
2    文章の硬さ    E    文章が硬い
3    文章の表現力    A    とても表現力豊か
4    文章の個性    A    とても個性的


別の文章を入れると、次の結果。
文体診断結果
一致指数ベスト3
名前    一致指数    リンク
1    北原白秋    82   
2    中原中也    79.2   
3    小泉純一郎    77.5   

一致指数ワースト3
名前    一致指数    リンク
1    三木清    48.1   
2    有島武郎    51.8   
3    井上靖    53.5   

文章評価
    評価項目    評価とコメント
1    文章の読みやすさ    A    とても読みやすい
2    文章の硬さ    E    文章が硬い
3    文章の表現力    A    とても表現力豊か
4    文章の個性    A    とても個性的


文章評価は前者とあまり変わらない。相性がいいのは、やはり「北原白秋」。私は北原白秋に近いらしい。「北原白秋先生があなたの味方です。がんばってください。」というメッセージが最下部に表示されている。白秋のどんな文章がデータベースに入っているのだろう。
三木清・有島武郎とは相当相性が悪いらしい。高校・大学時代は、三木清の本を読んだけどなあ。
小尾アナ、今朝は「ここの・ここのつ」と言った。この人はこういうミスが多い。どうして「ここのつ」と一気に言えないのだろうか。
「存じ上げております」
早朝から丁寧な言葉を聞いた。新聞配達のおじさん。六十代か。こういう言葉遣いができるのは、年の功か教育か。久米宏もラジオで「存じ上げております」と言っていた。73歳。
今の20代でどれほどの人がこう言うだろうか。
過日は「朝野新聞」を「あさのしんぶん」と読む図書館司書2人に遭遇した。別々の図書館だが、いずれも三十手前の感じ。語感がズレていると思われる。「ハンダこて」と書いたサイトを見た。「ハンダこて」じゃない、「ハンダごて」だろう。
千代田区を歩いていると、赤いミニ自転車(電動アシスト付)が走っていて、あちこちにサイクルポート(溜り場)があるのに気付く。「ちよくる」というらしい。ピンとこないネーミングだが、調べると、クレジットカードかドコモケータイで契約する必要があるらしい。現金払いは有人窓口のみというのがキツイ。ポートにコイン受付機を設置したら、もっと気軽に利用できるのにと思う。最短30分で150円というのも高い。中国の「モバイク」が日本に進出するらしいが、当初30分50円で利用者の反応を見るという。モバイクは電動アシストではないから、坂道の多い東京では普及が困難かもしれないが、全国各地で展開して、東京に進出する時には電動アシストになっているかもしれない。お役所仕事では太刀打ちできないだろう。
背中に「コーヒー練乳オレ」と書いたTシャツを着た人がいた。「飲んでみたいな」と思って検索したが、森永から「練乳オレ」は出ているが、「コーヒー練乳オレ」「カフェ練乳オレ」という飲料製品はないようだ。
私は牛乳はダメだが、コーヒー牛乳や練乳はOK。
サンマルクカフェに「練乳コーヒーゼリー」があるようだが、サンマルクとかスタバというのは入る気がしない。ゼリーではなく、ドリンクが欲しい。

昔は誤植と言ったが、今は誤変換が多いようだ。
今日の『朝日新聞』特集記事の一節に
別荘が立っていたため
とあった。別荘は「立」たない、「建」つのだ。
屁理屈屋は「日本国語大辞典に『た・つ【立・起・建】』とあるのだから、どれでもいいのではないか」などと言うかもしれない。それなら「別荘が起つ」と書いてみろ。
先日、立川志らくが「くにまるジャパン」に出て、三橋美智也を熱く語っていた。談志の影響ではまったという。マイナーな曲を紹介していた。私は風呂場で時々口から出る歌がある。多分三橋美智也ではないかと思うのだが、曲名がわからない。歌詞を検索してみたがヒットしない。志らくに尋ねればわかるかもしれない。桂枝雀も三橋美智也のファンで落語のマクラにも出てくる。
文化放送 The News Masters TOKYO のOアナウンサーは毎日必ずどこかでつっかえるか、言い直すか、ひっかかる所がある。甚だしい時には「かむ」。どれほど原稿の下読みをしているのか。NHKを落ちた人が民放に行くというから仕方ないとも言えるが、しかし皆が皆カンでいるわけではない。小島一慶は、「パックインミュージック」をやる時は必ず本番と同じ時間をかけてリハーサルをしたと言っていた。放送作家などいない時代。「リハーサルで泣き、本番でも泣いた」とも。
今朝の文化放送 The News Masters TOKYO で、崔真淑が社名変更についてクイズを出した。誰もわからない。
山梨シルクセンター → サンリオ
フロンティア製茶株式会社 → 伊藤園
松尾糧食工業株式会社 → カルビー
龍門製パン所 → エースコック
山形屋米店 → 紀文食品

その他、気付いたもの。
ゼネラル・フーヅ株式会社 → 味の素AGF株式会社
日賀志屋 → エスビー食品株式会社
田中製造所 → 株式会社東芝
株式会社早川金属工業研究所 → シャープ株式会社

わかりやすいもの
富士通信機製造株式会社 → 富士通株式会社
松下電器産業株式会社 → パナソニック株式会社

社名変更予定
旭硝子 → AGC

表記が変わっただけのもの
亀甲萬 → キッコーマン株式会社


東京ガス株式会社の登記上の商号は、東京瓦斯株式会社
大阪ガス株式会社の登記上の商号は、大阪瓦斯株式会社
小学低学年の頃、「パース」という遊びをやった。ところが、文献を見るようになると、「パース」という言葉はどこにも載っていない。「メンコ」というのが正式名称らしい。
ウィキを見ると、
めんこ(面子)とは、日本の子供の遊びで使われる玩具の一つ。めんこの語源は「小さな面」、つまり面子の意味である。めんこは、日本の昭和30年代においては、めんち、ぱんす、ぱっちんとも呼ばれていた。
とあって、
地域・時代によって「めんこ」の名称は異なる(太字は高アクセント)。
    札幌市では「パッチ」
    津軽弁では「びだ」
    仙台弁では「パッタ」(仙台)、「パッツ」(松島)、「パンチョ」
    いわき市では「ペッタ」
    酒田市では「ペッチ」
    名古屋弁では「ショーヤ」
    大阪市とその周辺では「べったん」
    鳥取市では「げんじい」
    浜田市では「ぱっちん」
    広島県三原市では「パッチン」(昭和30年代:現在の呼称は未確認)
    大分県では「パッチン」(大分県大分市で行われる祭りである府内戦紙(ふないぱっちん)は、山車がこのパッチンの図柄に似ているため名づけられた。)
    日田弁では「おちょこし」
    鹿児島弁では「カッタ」(「カルタ(Carta)」からか)
    沖縄弁では「パッチー」
ともあるが、「パース」はどこにもない。
ところが、『同方会誌』第22号に、「明治二十年の頃でもあつたか、パアといふ物が出来た、是れは板紙へ錦絵を貼付け、小さく真四角に切つて、小供が塀や壁へ打付けて、余計跳ね返つた方が勝として、負けた方の札を取る遊戯であつたが、是れが後に面子と合併して、厚い板紙へ錦絵を貼付け、丸形に打抜いたものが出来たが、恰度日清の戦役に際したので、大鳥公使・福島少佐・袁世凱などの絵を貼付けたのが、広く行はれたのを覚えてゐます」とあった。
これが「パース」の起源ではないか。明治東京の「パア」が「パース」となる。正に正統派ではないか。ただ、塀や壁に打付けるのではなく、地面に叩き付けて、相手のパースをひっくり返したら勝ち、というものだった。

明治時代の雑誌を見ていると、「淘汰」に「よない」とルビが振ってある。選別することだ。しかし、『日本国語大辞典』にこの「よない」はなく、「よなう」は「手を貸す。助ける。援助する」となっていて、違う意味だ。このようにして消えてゆく言葉があるかと思うと、百年以上隔てて同じように使われる言葉もある。
野崎左文『私の見た明治文壇』(昭和2年)によると、明治初期の新橋芸者は「祝儀を収める時はアリーヨロと挨拶した。アリーは前の説明通り有難しの義、ヨロは宜しくを略したのである。」
これは最近新年の挨拶に「アケオメ、コトヨロ」というのと同断だ。
日テレなのか語った人なのか、言葉がオカシイ。
事件後、中村容疑者は自宅に逃走していたが、偶然、スーパーに居合わせ犯行を目撃していた両親に発見され、「息子が盗難をした。刃物を持っている」との通報で駆け付けた警察官に緊急逮捕された。
http://news.livedoor.com/article/detail/13466703/
盗難とは、金品を盗まれることで、被害者側の言葉だ。「盗難にあう」とは言うが「盗難する」とは言わない。ここは「強盗をした」「盗みをした」「盗んだ」と言わなければならない。
時代による物の値段の感覚は何を基準とするかによって変わってくる。国立大学授業料は、私の時代は年12,000円だったが、その後急騰を続け、今は55万円以上になっている。これを基準とするのは不適切かもしれない。
昭和48年4月、私の受け取った給料は一万円札が4枚とその他だった。昭和47年のカシオミニは地方公務員初任給の約四分の一。今の地方公務員がいくらもらっているのか知らないが、手取り16万とすると、カシオミニは今の感覚で4万円ということになる。
昭和46年の雑誌広告。サンヨー(今はない会社)の電卓。サンヨーは電卓と言わず「電子式ポケッタブル計算機」としている。6桁表示だが12桁計算ができるという妙な触れ込みで、「お求めやすい 13,800円」。これは当時の国立大学年間授業料より高い。今の感覚なら60万円程度か。
ウィキによると、
1972年(昭和47年)8月 - カシオ カシオミニ、12,800円。
この後も、電卓の価格破壊は進み、1975年には5,000円を下回るようになった。
今の電卓は千円を切るものがザラ。百円ショップでも買えるのではなかろうか。
朝日新聞の阿波踊りの写真を見て感動した。きれいに揃っている。これを何十分とやっているのかと思うと驚異的だ。よく見ると、指先が開いている人と閉じている人がいる。指先まで合わせるのは無理か。
毎日新聞のホームページの写真を見ると、先頭の三人が三つ子のように顔まで似ている。ほんま連。しかし、ここでも指先までは合っていない。手を上げっぱなしというのも大変だろうなと思う。
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