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気が向いたら思いついたことを書いてみます
漢字一字名の読みを動詞にするもののうち、
さとる しのぶ すぐる すすむ とおる のぼる まさる まもる ゆずる わたる
などは省略した。よくある名前だし、漢字のバリエーションも多い。
前項の「すすむ」は珍しい漢字なので取り上げた。
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活用語読み名がまだあった。
宮武外骨『奇』第四号(大正3年8月)に、
先日病後の気保養として泉南の深日へ魚釣に出かけた、其帰る時に、南海鉄道の深日駅で「駅長中山丨」とある札を見た、「丨」一字の名は奇であるが、何と読むのですかと尋ねて見ると「すゝむ」と読みますとの答へであつた、帰宅後『会玉篇』を調べて見たが、成程「スヽム」とあり又「シリゾク」ともある、進退自由の名と云はふか
とある。
ウイクショナリーを見ても、
発音
    音読み
        呉音 : コン
        漢音 : コン
    訓読み
         : すす-む、しりぞ-く
とある。
名前を1文字にして、読みを活用語の終止形・連体形にする、という名前のつけ方がある。
漢字は1文字で短くしたいが、読みは和風にしたい、ということなのだろうか。
内田樹(たつる)
谷本富(とめり)

正岡容(いるる)
孫崎享(うける)
谷本に至っては、動詞+助動詞だ。
宮武外骨『スコブル』第十号(大正六年八月)によると、
正岡子規は、
孑孑の蚊になる頃は文学士
と詠んだという。
しかし、ネットを見ると、複数者が
孑孑の蚊になる頃や何学士
と引いている。「年代別『子規句集』」では、明治二十六年の作となっている(典拠未確認)。
外骨同書によると、『団々珍聞』に
孑孑も蚊に成る迄は浮き沈み
とあるという。何年何号か未確認。
森繁久弥は、『知床旅情』の作詞・作曲者としても知られるが、この森繁の歌う、
ボウフラが人を刺すよな蚊になるまでは泥水飲み飲み浮き沈み
という都々逸を勝新太郎が気に入り、色紙にも書いているし、『泥水のみのみ浮き沈み 勝新太郎対談集』と、本のタイトルにも使っている。
子供の頃、通学途中にバケツでボウフラが泳いでいるのを見たことがある。今の子は写真でしか見られないだろう。
宮武外骨『滑稽新聞』第百九号(明治三十九年二月)に、
  ○岡田三面子
当代の一畸人、法学博士岡田朝太郎氏は、(中略)近頃は三面子と名乗ッて新川柳をもやる(以下省略)
とある。外骨が「畸人」というのだから、よほど変った人なのだろう。
ところが、ウイキで「岡田甫」を見ると、
川柳・雑俳研究家。 東京府日本橋生まれ。本名・千葉治、号は三面子。
とある。
「岡田三面子」が少なくとも二人いて、どちらも川柳にかかわっている。
「岡田三面子」とは見たことのある名前だと思ったら、『日本史伝川柳狂句』の編者ではないか。
ネットの記事では、『日本史伝川柳狂句』を編んだ三面子はどちらだかわからない。
古典文庫の『日本史伝川柳狂句』を見ると、これを編んだのは岡田朝太郎のようだ。
なぜネットの「岡田朝太郎」の項に『日本史伝川柳狂句』が出てこないのだろう。
隅田川を今戸から築地まで下った。グーグルストリートビューならぬグーグルリバービューか。言問橋から築地大橋までワンショット。この南北は別のショットで見られるのだろう。
次の橋が見られた。
言問橋
吾妻橋
駒形橋
厩橋
蔵前橋
両国橋
新大橋
清洲橋
隅田川大橋
永代橋
中央大橋
佃大橋
勝鬨橋
築地大橋
宮武外骨『スコブル』第21号に、「立身せしカマボコ」とあった。カマボコとは何ぞや? と調べると、『日本国語大辞典』に「貧乏人」(とは直接書いてないが)の意味だとあった。『広辞苑』『明鏡国語辞典』には、この意味が載っていない。ウィキペディアの「かまぼこ」には、「関連用語」としていろいろなカマボコが出ているが、「貧乏人」の意味はない。
ドラマで、薩摩揚げのことを「つけあげ」という人がいて、それが鹿児島方言なので犯人解明に至ったというのを見たことがある。薩摩揚げもカマボコの一種(揚げかまぼこ)らしい。
10年以上前、近くにカマボコ型の建物ができ、パソコン関係の事業をしていたが、数年後に消えた。
「かまぼこ型」と書かれた踏切がある。どういう意味かわからなかったが、踏切の部分だけ盛り上がっているかららしい。
大正四年『隠語輯覧』には、
かまぼこ【蒲鉾】窃盗ニ忍入ランガタメ施錠ノ箇所ヲ焼抜クノ所為を云フ
とある。今でも、ドラマを見ていると、錠の近くのみガラスを破るとか、ガラス戸に小さな穴をあけてそこから針金のようなもので錠をあける、とかいうのがある。それぞれ名称があるのだろうが、私は知らない。
スキャナが停止した。紙詰まりかと思ったが、画面には「給紙ローラーキット」の耐用期限が来たので交換するようにとのメッセージ。仕方なく、アマゾンで注文した。見ると「交換周期:20万スキャン」とある。20万枚もスキャンしたのか。400頁の本は200枚だから、本に換算すると千冊。20万枚というと多そうだが、千冊というとたいしたことはないと思う。数字は単位によってずいぶん感じが違う。
『俳諧心の種』(寛延二年)に「立留り糞(くそ)をあびせた鳥を白眼(ねめ)」とあるという(宮武外骨『変態知識』第七号。大正十三年七月)。鳥に糞を落とされた人は、どれほどの割合でいるものだろうか。三十年ほど前、自転車で緩やかな坂を下っていたところ、街路樹からベチッと落ちて来た。スーツに白い糞が付いていた。私はこの一回のみ。外骨は「ひり捨御免」と洒落ている。
固有名詞の読みには悩まされる。「小椋」は「小椋佳」しか知らないから、「おぐら」だと思っていたが、「こむく」と読む人がいる。ネットには両方出てくるが、ATOKでは「こむく」では出てこない。
未来の予測は難しい。宮武外骨『一癖随筆 第一号』(大正十年)で、
現内閣総理大臣原敬の名は、日本全国の多数人、山間僻地津々浦々の小役人等も知つて居るだろうが、水谷不倒の名を知つて居る者は、其百分の一か千分の一に過ぎまい、仮りに六千万人中、原敬といふ俗物の名を知つてゐる者が六百万人あるとすれば、水谷不倒といふ名を知つて居る者は六万人か六千人位のものであろう、然し今後五十年か百年の後になれば、俗物の原敬といふ名は殆ど忘れられ、反つて数種の著作物を残してゐる水谷不倒の名の方が、比較的多く知られに違ひないと思ふ
と述べているが、百年近く経った現在、原敬より水谷不倒のほうがよく知られているとは考えにくい。原敬は中高の教科書に載っているが、水谷は大学で日本文学を専攻でもしない限りお目にかからない名前だ。文学専攻以外で気のきいた人なら「どこのおきあがりこぼしですか」という程度だろう。
これは、外骨の、
政治家=俗物
政治家=馬鹿
政治家=無能
という偏見がもたらした挙例の誤りである。
毎日新聞に次の記事があった。
青山ブックセンター跡地に入場料制の本屋「文喫」  日販11日に開店
2018年12月10日 20時31分 毎日新聞
出版取り次ぎ大手の日本出版販売(日販)は11日、閉店した東京・六本木の青山ブックセンターの跡地に、入場料制の本屋「文喫」を開店する。同店は、グループ会社のリブロプラスが運営する。日販の担当者は「入場料を取る書店は国内では初めてではないか。書店が減少する中で、新しい本屋の形を提案したい」と話す。(中略)
入場料1500円を支払う必要があるが、料金を支払えば、無料のコーヒーや煎茶を飲みながら、椅子やソファに座ってじっくりと本を選ぶことができる。打ち合わせなどが可能な研究室や喫茶室も併設されている。(下略)
日販の担当者は「入場料を取る書店は国内では初めてではないか」と言っているが、実は、明治初期にあった。
宮武外骨『文明開化 広告篇二』によると、明治五年、尾張屋米七が次のような広告を出している。
文明維新ノ日ニアタリ進歩ヲ傍観坐視スベケンヤ於是弊店ノ蔵書ハ申ニ及ハス其他遺漏セシ書モ蒐補シテ看読ト抄録トニ備ントス請他看官日々来テ夫レ勉励セン事ヲ
 一毎日第八字ヨリ夕四字迄ヲ限リ候事
 一借覧ニ供フト雖トモ店外ニ出スヲ禁ス
 一墨付欠損ハ其大小ニ応ジ償ハンヲ期ス
 一借覧料左ノ出銀コレ祈ル
  一字間 半銭  自八字至四字 三銭
     書林 神田和泉橋通松永町 尾張屋米七白
(明治五年十月発行『新聞雑誌』第六三号所載)
これとはやや異なるが、「新聞雑誌縦覧所」というのがあって、新聞雑誌の他新刊翻訳書などを有料で閲覧させた。
同じく『文明開化 広告篇二』によると、
新聞紙ノ世ニ益アルヤ、天下ノ人既ニ之ヲ知レリ、辛未ノ年新聞雑誌始テ官許ヲ得シヨリ、今ニ於テ三年、国内各処ニ刊行スル者既ニ三十余種ニ及ベリ、四方ノ志ヲ通シ、内外ノ情ヲ観ル、至便ト云ベシ、西洋諸州新聞ノ多少ヲ以テ其国ノ盛否トス蓋又虚ナラズ、但其種類日ニ多ケレハ、購求ノ労少シトセズ、随テ耳目ノ観善ク及ハザル所アリ、是ニ於テ当社新聞書類縦覧処ヲ設ケ、各種内外ノ新聞紙ハ言ヲ待タス、新刻訳書ノ類モ亦同ク之ヲ備ヘ以テ四方ノ縦覧ニ供ス、願クハ文明ノ君子、暇ニ乗シテ源々トシ来リ、案ニ倚テ寓目セバ、購求ノ煩ヲ省キ一覧了然ノ快アラン、月券見料ノ規則ハ下載ノ条例ヲ看ルベシ
一月券一枚価十二銭五厘、月首ニ此券を買置キ玉ヘハ、一月中幾度ニテモ来過、券紙一見ノ上随意ニ見読シ玉フヲ許ス
一開場時間ハ午前第七時ヨリ午後第五時ヲ限トス
一臨時一日半日或ハ一時二時間ニテモ来観適意トス但孰モ見料三銭宛ヲ請フ
  明治六年四月  日新堂支局 東京浅草並木町 文象舎謹白
(明治六年四月発行『新聞雑誌』第九十二号所載)
早稲田大学所蔵『英和対牘』(青柳毅訳、グレゴリー校)は日新堂版で文象舎の蔵書印があるから、このような自社系列の最新出版物も閲読できたのだろう。
有料閲覧書店も新聞雑誌縦覧所も、一日三銭は共通している。明治初期のうどん・そばは五厘から一銭だから、「文喫」の1500円というのは、飲み物も含んでいるし、蔵書数も多いし、夜までやっているから、明治初期の尾張屋よりは割安か。
山本夏彦は「豆朝日新聞」発行を思いついた。新書判二頁、毎週月曜発行、駅に置いて無料で持って行ってもらう。大朝日新聞と反対の説を述べる。当然、実際に発行したわけではない。
明治時代には、「小朝日新聞社」が「小朝日新聞」を本当に発行した。宮武外骨『公私月報』第27号(昭和七年十一月)に写真付きで紹介がある。
『朝日新聞』に似せた『小朝日新聞』といふのが出来た。明治十五年十二月八日の創刊、小形で一枚一銭、(中略)赤本や錦絵出版を専門にして居た錦喜の発行である、(中略)翌十六年二月の第四十八号を終りとしてモロクも没去した
この「小朝日新聞」は、現在の東大明治新聞雑誌文庫には残っていないようだ(第一号のみ京都大学経済学部図書室に保存されている)。
山本夏彦は、「豆朝日新聞」を一年五十二週、五十二号で終る、としている。四十八号と五十二号。山本は「小朝日新聞」の存在を知っていたか?
代金を支払わない、運賃を払おうとしない輩はよくあるが、運賃を受け取らずに姿を消した人力車夫がいた。
『郵便報知新聞』明治八年四月五日、次のような広告が載っている。
去る一日夜万代橋より乗車して下谷広徳寺前迄相越し鳥渡停車せしに車夫何れへ行きしや稍暫し車上に相待居候得共来らさるに付不止事帰宅いたし車賃不払候間右車夫下谷稲荷町宗源迄車賃受取に可相越候  内山
宮武外骨『文明開化 二 広告篇』にある。
この車夫はどこへ行ったのか。人力車はどうなったのか。
広徳寺は、現在、台東区東浅草2-15-1にある。稲荷町宗源とは、宗源寺か。現在、台東区東上野5-1-6にある。
してみると、この内山なる人物は、僧侶か。
知らない市名がニュースに登場する。平成大合併は終ったはずなので、当方の不勉強なのだろうが。
先日は、行橋市のニュースがあった。調べると昭和29年にできている。今日は稲沢市。これも昭和33年にできている。知らない方がいけないのだろう。津島市は昭和22年。これも知らなかった。
愛西市は平成17年、あま市は平成22年だから、私が知らなくても許してもらえるか。
「斎藤淏」という人の書いた文章を見た。「淏」とは何と読むのだろう。
ネットを見ると「きよし」らしい。日本医科大学教授で外科が専門のようだ。
今はペンネームでなければ、このような字を使うことはできない。
文藝春秋新社刊行の本を買った。昭和三十一年十二月二十日発行。
中央公論新社というのは知っているが、文藝春秋新社というのは知らなかった。
ネットを見ると、
大正12年1月  文藝春秋社創設、「文藝春秋」創刊
昭和21年3月  菊池寛、株式会社文藝春秋社を解散
昭和21年6月  社員有志、菊池寛の許諾を得て株式会社文藝春秋新社を設立
昭和41年3月  「株式会社文藝春秋」に社名変更
となっている。
昭和二十一年から四十一年までは「文藝春秋新社」だった。
ウィキによると、
明治19年  反省会設立
大正3年  中央公論社と改名
平成11年  中央公論新社設立(読売新聞社の子会社化)
ということで、同じ「新社」でも文藝春秋と中央公論とでは事情が全く異なる。
今朝のNHK「マイ朝ラジオ」のリスナーメール紹介。加藤成史アナは「戦闘状態にはいれり」と読んだ。
昭和16年12月8日午前6時、日本放送協会のアナウンサーは、
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」
と伝えた。前半が口語で後半が文語なのがチクハグだが、このアナが今朝の放送を聞いたら何と言うだろうか。
これはこれはとばかり花の吉野山
貞室の名句・代表句とされるもの。初めて見た時、私は「馬鹿馬鹿しい、どこがいいのだ」と思った。しばらくすると、言葉で言い表せない美をうまく表現していると思った。
今日、ふとひらめいた。「これはこれは」というのは、貞室の感動でもあるし、吉野山が「これはこれは、ようこそ」と客人を迎えているかのよう、両者相対応、相互挨拶しているととれば、更に句が立派なものになるのではないか。
『股旅堂古書目録』が届いた。なんと、袋綴写真つき。「阿部定事件現場写真」。見開き2頁かと思いきや、6頁もある。ガラス乾板6枚+ネガ4枚が百万円となっているが、袋綴を見ればいい、という人も多いのではないか。売れるだろうか。この目録に手をつけず、売りに出す人もいるかもしれない。
山田風太郎『死言状』を読んだ。面白い。時々は吹き出し、時々はアハハと笑った。このセンスは育ちにもよるのだろうが、人を食ったような文章は何とも言えない。あとがきの末尾に山本夏彦の言葉を引いていた。山本の皮肉にも通じるところがあるか。山田は五歳、山本は十四歳で父親を失っている。山田は十四歳で母親も失っている。
20年以上前、山田風太郎の本を何冊か読んだ。この『死言状』は記憶にない。平成五年、富士見書房から出版、平成十年には角川文庫、平成十四年には小学館文庫、そして今年ちくま文庫になった。権利関係はどうなっているのだろう。本人や著作権継承者がウンと言えばいいのだろうか。『風眼抄』は六興出版、中公文庫、角川文庫。『半身棺桶』は徳間書店、徳間文庫、ちくま文庫、『あと千回の晩飯』は朝日新聞社、朝日文庫、角川文庫と複数社から出ている。
50年ほど前、染井霊園を歩いたことがある。次から次と有名人の墓が現れるので興奮したのを覚えている。
ウィキに載っている名前から主なものを抜き出すと次のとおり。
饗庭篁村 淡島寒月 巌本善治 大田黒元雄 岡倉天心 陸羯南 阪本四方太 笹川臨風 幣原喜重郎 下岡蓮杖 関根正直 高田早苗 高村光雲 高村光太郎 高村智恵子 二葉亭四迷 水原秋桜子 宮武外骨 安岡正篤 若槻禮次郎 若松賤子
外骨がここだとは知らなかった。
子供の頃は公衆浴場に行ってた。友達は銭湯と言ったが、我が家では風呂屋と言った。小学生の時は6円、小学五、六年で7円のようだ。中学生になって15円。大人は毎年のように値上げが続いたが、子供料金は数年間据え置かれたようだ。十円玉と五円玉を一つずつ持って行ったのか。コイン複数枚という記憶しかなかった。蔵前の風呂屋では75円だったのか。全く覚えていない。
都内入浴料金の推移
http://www.1010.or.jp/guide/都内入浴料金の推移/
この表を見ると、平成26年には大人460円となっている。これでは、所謂スーパー銭湯と変りがない。電車から見える「極楽湯」は、数年前500円を標榜していたが、最近は440円だ。
「坂道グループ、年間写真集ランキングを席巻」という記事を見た。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181130-00000322-oriconbiz-ent
「年間BOOKランキング」「写真集」TOP10のうち、石田ゆり子を除く9作が坂道グループのものだという。
坂道にはロマンがあるが、歩く人は大変だ。子供時代、横町暮らしだったが、旧武家屋敷の隣町へは坂道を登った。ここを通っても、下町の平坦な道を行っても、どちらでも小学校に行けた。私が歩いたのはほとんど後者だった。前者の坂下で寛永通宝を拾ったことがある。舗装される前だから、60年以上も昔だ。
世に物好きは多く、「こんなことまで研究している人がいるのか!」と驚くことがある。しかし、「三浦おいろ」について研究成果が発表されたのは知らない。
「おいろ」「紅の家おいろ」「三浦おいろ」などの筆名で明治大正の雑誌にあちこち投稿している。文久三年というから、上田花月と同年生まれ、昭和四年、上田花月より二年早く他界したようだ。
『口から出まかせ』第十一号(明治25年3月21日)に、「投書家の出世」と題する記事があるが、その末尾に次のようにあるのが、最も詳しい説明ではないか。
三浦常太郎氏、姓は井上と最初いひし頃、我楽多の投書家たりし、号を珍妙庵直秋、後ち珍猫庵都子、おいろ粋史といひ、風雅粋誌を発行し、その后東京にて愛京誉誌、紫奇誌を発行し、紅の家恋師といひ、名古屋に在りて時務日報社の記者たりしが、辞して扶桑新聞の小説家となり、東京都新聞の特派員として同地にあり
京都島原遊廓のおやじだったという記述を見たこともある。京都・大阪・名古屋・東京のみならずあちこちを転々としたようだ。歌舞伎狂言を書いたという資料もある。「珍猫史」「美浦家おいろ」という戯号もある。どういう因縁か、おいろを罵倒するような記事を見たこともある。
あと何十年かすると資料探索も容易になり、この人物についても何らかの形でまとめられることになるかもしれない。
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