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気が向いたら思いついたことを書いてみます
livedoorニュース見出しに、
伊調教師 複数トラに襲われ死亡
とあった。伊調馨の先生が死んだのかと思って見ると、全く違った。
イタリアのサーカスの調教師
であった。
しかも、この見出しの2行下には、
伊調陣営コーチ 暴言で一発退場
とある。
ポータルサイトのニュース見出しには、このように誤解を招く、あるいは複数に解釈できるようなものが時々見られる。読者の気を引いてできるだけアクセスを増やそうという作戦だろうが、姑息だ。
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「馬」という字を左右反対に書いたものを見たことがある。ゲンかつぎかと思っていたが、岸井良衛『女芸者の時代』(青蛙房)に、
三味線の胴の裏に左書きで馬と一字書く。由来は明らかでないが、職分にある三味線弾きは書かない、芸者に限られている。芸の上達を願がけするときに、左手で絵馬をあげる習慣が古くからあるという。また左癖の馬は出がいゝと言われている。その辺からの迷信と思うが、不詳。
とあった。三味線に書かれたものは見たことがない。
ネットには、天童の将棋駒に「ひだり馬」があった。
「馬」の字が逆さに書かれている「左馬」(ひだりうま)は、天童で生まれた天童独自の将棋駒です。このあたりでは、家を新築した方や商売を始めた方への贈り物として重宝されています。というのは、「左馬」は福を招く商売繁盛の守り駒とされているからです。
左馬は「馬」の字が逆さに書いてあります。「うま」を逆から読むと「まう」と読めます。「まう」という音は、昔からめでたい席で踊られる「舞い」を思い起こさせるため、「左馬」は福を招く縁起のよい駒とされています。
「馬」の字の下の部分が財布のきんちゃくの形に似ています。きんちゃくは口がよく締まって入れたお金が逃げていかないため、古来から富のシンボルとされています。
馬は人がひいていくものですが、その馬が逆になっているため、普通とは逆に馬が人をひいてくる(=招き入れる)ということから商売繁盛に繋がるとされています。
馬は左側から乗るもので、右側から乗ると落ちてしまいます。そのようなことから、左馬を持つ人は競馬に強いといわれています。
 このようなことから、「左馬」は福を招く商売繁盛の守り駒とされています。「左馬」は置き駒や根付け駒、キーホルダーとして将棋駒屋さんやおみやげ屋さんに並んでいます。みなさんもおひとついかがですか?
「寸借詐欺」なども、そのうち死語になるのではないか。今の若い人には、「寸」が何故「ちょっと」なのか解らないだろう。「寸尺」も「寸借」も使われなくなったから、「寸借詐欺」が使われなくなるのも時間の問題だろう。
子供の頃、「シックな」という言葉をよく聞いた。これもいつしか死語と化したようだ。『日本国語大辞典』には、
(服装などについて)あかぬけていて、粋で、しかも上品で落ち着いているさま。
とある。今は、これを何と表現するのだろうか。
「銀座のバーの女給にトテシャンがいた」という文があった。「トテシャン」とは初めて見る言葉だ。明治以降、美人のことを「シャン」と言ったから、「トテシャン」とは「とてもシャン」つまり「すごい美人」の意味なのだろうと思ったが、その通りであった。
『日本国語大辞典』には、
とても美しい人、すごい美人の意の俗語。
とあった。第二次世界大戦後は美人のことを「シャン」とは言わないだろう。
「行潦の鮒」とあった。初めて見る言葉だ。「井の中の蛙」と同義か。
『文芸共進会』第二号に「蓼くふ虫」として、諸家の好物が挙げてある。一部抄出。
物徂徠……炒豆
服部南郭……小豆飯
菊池容斎……寺納豆
服部波山……土当帰(ウド)
山内容堂……ダボ鯊
梁川星巌……羊羹
夜雪庵金羅……薯蕷汁(トロロシル)
渡辺崋山……団飯醤油焼(ムスビノツケヤキ)
佐藤信淵……山慈姑湯(カタクリ)
鷲津毅堂……慈姑(クワヰ)
大沼枕山……豆腐
大橋訥庵……鰻蒲焼
藤田東湖……鰻蒲焼
市河米庵……蕎麦麪
鈴木重胤……五目鮓
佐藤一斎……蕎麦麪
大久保一翁……煙草
成島柳北……煙草
菊池三渓……茄子鴫焼
頼山陽……餅
「好物」と言っても、年齢や季節によって変わるのではなかろうか。何年も何十年もこだわるようなら、本当の好物かもしれない。しかし、あまり偏するのはよくないのではないか。驚いたのは、柳北が肺を病みながら煙草を好んでいたらしいこと。これでは短命なわけだ。48歳で歿。
7月3日午前10時前、公園でクマゼミが鳴いていた。休み休み数秒ずつ。まだ本格的ではない。
『日本国語大辞典』記述の不備を見付けた。
おだて【煽】〔名〕おだてること。扇動。「おだてに乗る」「おだてと畚(もっこ)には乗るな」
おだて【小楯】一楯 二(枕)地名「やまと」にかかる。
おだて【苧経】麻糸を経として編んだ敷物。
おだてに乗る そそのかしてある事をさせようとする他人の意図に添った行動をする。人におだてられてその気になる。
「おだて」関連項目は以上である。
しかし、日置昌一『ものしり事典』には、
むかしから諺に「おだてともつこに乗るものじやない」と言われているが、その「おだて」は煽てるの「おだて」の意味ではなく、牢獄における重病の囚人を乗せる紐のついていない、こんにちの戸板か担架のようなものであつてもつこは土をはこぶものをいい、これもやはり拷問などで身体の自由を失つた囚人などを乗せたものである。このように獄囚が本牢から病人牢の溜へさがるとき、おだてやもつこに乗せて移したため、そうした身分になつてはいけないという意味から生れたことばである。
とある。
別の文献には、江戸時代の牢内で病気になった者につき、
奉行所の招喚あれは土を荷ふもつこ若くはをだてに助けられ頑鈍、無智の非人に担がれ用捨なく動揺せられて奉行所に至る
とあるので、「をだて」が「もつこ」と同様のものであったことがわかる。
『日本国語大辞典』等の国語辞典は以前に出た国語辞典はチェックしているが、『ものしり事典』のような事典類、日置のような「大学大学院で研究者としての道を歩んだのではない人」の研究を重視していない。それが「おだて」の解説に露呈している。
温水洗浄便座の代名詞となったウォシュレットだが、ウィキペディアに書いてない事実に気付いた。
商品名が、
WaSHLeT
となっている。母音だけ小文字だ。
ネットを見ても、このことに触れている記事はないようだ。他にもアルファベットの一部分を小文字にした商品があったような気がするが、今思い出せない。
早蕨の握りこぶしを振りあげて山の頰面春風ぞ吹く
先代文楽の落語『愛宕山』に出てくる狂歌だが、よく出来ている。
幕末明治の落語家がひねったものだろうか、出典を明らかにできない。
早蕨の握りこぶしを振りあげて山の横づら春風ぞ吹く
とする文献もある。
明治初期、日本橋浜町大橋際に「サラトガ湯万千楼」という温泉施設があった。浴衣付き一人一銭五厘。私は「サラトガ」を全く知らなかったが、アメリカに複数ある地名。ニューヨーク州のサラトガは温泉で有名とのこと。明治初期の温泉経営者は、どうしてこの名前を知っていたのか。渡米経験のある有識者からアドバイスを得たのか。
浅草区には「カルルス湯保生軒」という温泉もある。私は「カルルス」も知らない。北海道登別市にカルルス温泉があるとのこと。これにあやかったのか。
「草津湯明治軒」(日本橋区)「熱海温泉熱海庵」(日本橋区)などがあるので意表を突いたものか。
地名ではなく、「ヨジューム湯」「アルカリー湯」というのもある。ヨジュームとはヨー素・ヨードのこと。
横文字でタイトルを記した小説の嚆矢は何だろうか。
今日は、明治二十二年一月に「YES AND NO.」という作品が紅葉によって発表されているのに気付いた。
これより古いものがあるかどうか。
『春色梅兒與美』は、
野に捨た笠に用あり水仙花
で始まる。後続文から察するに捨てられた笠でも水仙の「霜除け」になるということ。
今日、笠をかぶった人というと、宗教・農業関係者ぐらいしか思いつかない。
東京オリンピックの暑さ対策として、「かぶるタイプの傘」が発表された。これは傘と笠の中間。あごひもで固定しないとだめだが、そうすると強風にあおられて首を痛めるなどの事故が起きるのではないか。ソンブレロのようなものなら、ひもを外しておけば笠が飛んで行くだけだが。「かぶるタイプの傘」を買う人はいないだろう。支給品のみ。
学生に、「英語で cameraman とはどういう人のことですか?」と質問したことがある。答えは「写真を撮る人」。「違う。cameraman は動画を撮る人で、写真を撮るのは photographer だ」と教えた。
考えてみれば「写真」とは大げさな言葉だ。photograph を直訳すれば「光画」だ。幕末か明治初期に中国語を知っている人が「写真」と提唱したのだろう。
「真実を写す」というのは難しい。現在ネットに膨大な量の写真がアップされているが、同一人物、同一場所について複数のものを見ると、これが同じ人・物を写したものかと驚かされることが多々ある。角度、光量、時間などによってかなり違って見える。どれが真実なのか解らない。動画にしても同様。
いつの世にも悪人はいる。江戸・明治には、悪い女を「毒婦」と言った。
三日月お仙
妲己のお百
鳥追お松
高橋お伝
写真のお若
夜嵐お絹
鳴神お金
ネットを見ると、最近では木嶋佳苗をマスコミは「毒婦」と呼んだという。
後妻業の女こと筧千佐子も毒婦の部類に入るのだろうが、新聞・テレビなどで「毒婦」と表現していたような記憶はない。
昔の毒婦には「お」を付けられたが、最近では「お」の付けにくい名前が多い。
今日の天声人語は中国の話。
100年マラソンで言えば、今年は、急な疲れに襲われる「30キロの壁」付近にあたる。
とあった。中華人民共和国と私は同い年だ。私も30キロの壁付近にいるということだ。フルマラソンは走ったことがないので実感がわかない。今後どうなることやら。
『口から出まかせ』第十三号(明治二十五年)に、
若し右様の事が有つては。速にお暇頂戴。足袋屋の看板と成り升。気を附け玉へかし
とあった。この「足袋屋の看板」には首をひねった。あれこれ考えたあげく、「足が上がる」という言い回しがあるのに気付いた。『日本国語大辞典』には、
失敗して頼りとするものを失う。職を失う。足上がりになる。
とある。足袋屋の看板は、店先に足の形を掲げてある。「足袋屋の看板」即「足が上がる」即ち「クビになる」ということだ。
昔のカップルは女を先にするものが多い。
『口から出まかせ』第十三号(明治二十五年)掲載「恋道(こひ)の魁浮名の色取」は、
梅川……忠兵衛  お俊……伝兵衛  夕霧……伊左衛門  お染……久松  お駒……才三  浦里……時次郎  小紫……権八  白糸……主水  お富……与三郎  揚巻……助六  お軽……勘平  三勝……半七  お花……半七  お千代……半兵衛  お妻……八郎兵衛  お夏……清十郎  お園……六三郎  小糸……佐七  お七……吉三郎  小三……金語郎  朝顔……阿曽次郎  おさん……茂兵衛  小稲……半兵衛  初花……勝五郎  お菊……幸助  おこよ……源之丞  小春……治兵衛  おとわ……丹七  おさめ……新七  清川……文七  お六……善吉  小女郎……新兵衛  綾糸……又之助  小梅……由兵衛  八重桐……源七  此糸……蘭蝶  時姫……三浦之助  初菊……重次郎  お三輪……求女  松山……椀久  小浪……力弥  お八重……桜丸  高雄……重三郎  梅ヶ枝……源太  雛鳥……久我之助  袖萩……貞任  八重垣……勝頼  静御前……義経  袈裟……わたる  照手姫……助重  阿古屋……景清  葛葉……保名  桜姫……清玄  花の井……清七  累……与右衛門  お紺……みつぎ  少将……時宗  虎御前……祐成  いろは……新助  お初……徳兵衛  清姫……安珍  お組……松若  お滝……五右衛門  白糸……金三郎  小富……七兵衛  しのぶ……豆四郎
となっているが、「清姫……安珍」は、普通「安珍清姫」と言うのではないか。
『口から出まかせ』第七号(明治二十四年十二月)掲載の一口落語に、
西京名産の川魚商がかたられましたと「鷺しらず」だからでせうよ……
とある。この「鷺しらず」というのがわからない。
『日本国語大辞典』には、
(あまりにも小さいので鷺の目にもとまらないという意)京都の鴨川でとれる雑魚のごくこまかいもの。また、それをつくだ煮にした食品。〈中略〉京都の名産であるが、今日ではほとんど産しない。
とある。
大和田建樹『鉄道唱歌』五十三番は、
扇おしろい京都紅 また加茂川の鷺しらず
みやげを提げていざ立たん あとに名残りは残れども
で、「鷺しらず」が出てくる。
本山荻舟『飲食事典』(昭和三十三年)に「さぎしらず」はない。いつ頃まで食べられたものなのだろうか。
『口から出まかせ』第七号(明治二十四年十二月)に、
ポスポル
という言葉が出て来る。初めて見る言葉だ。
ネットを見ると、
リン(「ポスポル」)
とあった。ウィキを見ると、
燐、英語: phosphorus
とある。フォスフォラスということは聞いたことがあるような、ないような。
ハロゲン化ホスホリル
という化合物もあるそうだ。
ボスポラス海峡なら聞いたことがあると思い出したが、ウィキによると、
ボスポラスとは「牝牛の渡渉」という意味
だそうで、「燐」とは無関係だ。
『口から出まかせ』第七号(明治二十四年十二月一日発行)中、「南地 花廼家胡蝶」の文章に、
鸚鵡を飼つてキビスカンカンを、唄はして見たがドツとせぬから
とある。
これによっても、大阪では明治二十四年末には鸚鵡でさえもキンライ節を歌っていたことがわかる。
藤澤衛彦『流行歌百年史』(昭和二十六年)は、推量節について、(明治二十一・二年頃流行)とする。
『口から出まかせ』第七号(明治二十四年十二月)には、「推量論」という文章があって、
嗚呼社会推量なくんは一日も立つ能はざるなり徳川氏の天下を得るも善く人心を推量せしを以てなり赤穂義士の夜討も主君の辛概を推量せしを以てなり幕府大権を奉還せしも勤王諸侯の志を推量せしを以てなりお半の情死を遂げしも浦里の雪中に笞たるゝも皆推量より起り〈中略〉余の社会各個の推量を論ずるも其主眼は此一点而已心あるものは余の心を推量せよ嗚呼社会推量なくんば一日も立つ能はざるなりアラ推量推量推量
とある。
これを見ていたら、「推量」は「忖度」でもいいのではないかと思った。二年ほど前から「忖度」がはやったが、「忖度節」というのはできていないようだ。歌で政治・世相を批判するような呑気な時代ではなくなったのか。
孑孑の浮き沈みを詠んだ句
孑孑や日にいく度のうきしづみ 小林一茶
我思ふまゝに孑孑うき沈み 高浜虚子
ネットを見ると上記が出てくる。
以下は『雅人』(十二)に載るもの。
孑孑や塵より軽き浮き沈み
孑孑や雲より軽き浮き沈み
孑孑や刹那も待たぬ浮き沈み
孑孑や目のせはしなき浮き沈み
孑孑や皆見通しの浮き沈み
孑孑や泰も否となる浮き沈み
孑孑や浅き流れの浮き沈み
孑孑や糸に似し身の浮き沈み
孑孑や闇き流れの浮き沈み
与謝野鉄幹の
われ男の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子(『むらさき』明治三十四年四月三日)
は有名だが、パロディ(?)のようなものを見付けた。
  若き歌人に与ふ
善の子よ魔の子屁の子よ河童の子芋を囓つてあゝ悶への子(『団々珍聞』第一五三九号。明治三十八年五月十九日)
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