忍者ブログ
気が向いたら思いついたことを書いてみます
「むろと廃校水族館」に石碑のような自動販売機が登場した。名付けて「石碑ラッピング自動販売機」。正面に「椎名小学校」の文字、側面に「校歌」と「歴史」が記されている。裏面が、何とコカコーラ社の自動販売機。見かけは石碑だが、実はラッピング。正確には「アルミ碑」か。石は崩れやすく、アルミもそう長持ちするとは思えない。これからの金持ちは、チタン・ジルコニウムなどで碑・像を作るのではないか。
廃校の石碑、裏側は驚きの仕様
https://digital.asahi.com/articles/ASMBB6V3GMBBPLPB00L.html?_requesturl=articles%2FASMBB6V3GMBBPLPB00L.html&rm=458
PR
ジャニー喜多川は少年によるアイドルグループを続々と芸能界に送り込んだ。少年を使って商売をしたのは、江戸時代初期の勧学坊了翁僧都という人が最初ではなかろうか。彼は寛文初、池之端仲町に「万病錦袋円」の薬店を開いた。『増補江戸咄』(元禄七年)には、
彼妙薬の商人には大助と言ふ美少年を抱て勧学屋と屋号を言ひけり。彼美少年は程なく身まかりけれども、其跡にも又大助と言て前にあいも劣らぬ美少年相続きて商ふ程に、薬の望ならぬも色にめでゝも此見世に群衆しけると也。
とある。
万病薬といえば、これから二百年ほど後の文久二年に売り出された「宝丹」も、やはりこの池之端仲町である。
安床屋へ行った。いつも何人か待たされるのに、今日はすぐ鏡の前に行けた。50円値上がりしていた。客が減ったのも増税の影響だろうか。月に一度を2ヶ月に一度とすれば、増税分ぐらいはカバーできる。そもそも薄毛の人は床屋に行く必要はない。丸刈りの人は家でバリカンを使えばいい。だんだん節約志向になってゆくのではないか。
本屋のレジでも行列がなかった。千円の定食で消費税は百円だった。切りがよいのは私は好きだが、これをイタイと考える人は消費を抑えるだろう。
10月中旬だというのに、電車バスには冷房がきいている。おかしな世の中だ。
大正末から昭和初にかけて「芋蔓草紙」という叢書が発刊された。叢書といっても4冊のみ。
①冨士﨑放江『随筆 茶後』(芋蔓草紙第一編)大正十五年。一六八頁。
②礒清『随筆 吉備暖語』(芋蔓草紙第二編)昭和二年三月二十日(国会図蔵本は「四月十日」と訂正)。二一九頁。
③西沢仙湖『仙湖随筆』(芋蔓草紙第三編)昭和二年四月十八日(国会図蔵本は「五月十日」と訂正)。二〇〇頁。
④山中笑『共古随筆』(芋蔓草紙第四編)昭和三年四月二十日。四九六頁。
この中で、後に改めて刊行されたのは④のみ。平凡社東洋文庫588としてである。分量的にも④は、①~③を合わせたものに近い。①~③は1冊として刊行するには分量的に物足りない。それなら、①~③をまとめて出したらよさそうなものだが、そのような奇特な出版社は存在しないようだ。
芋蔓草紙第一編末尾の予告では、
1茶後
2共古随筆
3夜鷹考
4蔵書票の話
5御開港横浜図絵
6富士山の話
となっているが、第四編末尾では、先の①~④に続き、
〔近刊〕蔵書票の話
〔続刊〕御開港横浜図絵
    夜鷹考
    富士山の話
となっている。
『蔵書票の話』は昭和四年、文芸市場社から発行されたが、続刊予定の三点は発行された形跡がない。
村上春樹・夢野久作・椎名誠・江戸川乱歩・司馬遼太郎など有名作家の文体を模写するという遊びがある。
https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20160524/p1
『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』という本まで出ている。
文体遊びの先駆者は大田南畝である。『宛丘伝 五体』として、宛丘を五種類の文体で紹介している。長いので、それぞれ最初の部分のみ引用する。
書上文之体
右長兵衛儀幼年より学問を心掛ケ、已前は質物商売仕罷在候処、元来質物商売の儀は貧窮の者より質を取、高利の金子用立遣し、請戻し候月限切候得ば流し候様成ル儀、非道成儀と存、何卒他商売仕度心願にて、……
俗文の体
長兵衛は江戸青山久保丁の質屋也。幼年より学問を好みしに、質屋商売は貧しきものより質物を取、高利の金をかし、定の月きれる迄請もどさゞる者あれば、其質物を流す事、いかにも非道の事也。何卒商売をかへてみんと思ひて、……
漢学者の文体
宛丘子は東都青山久保街の典舗の主人也。俗称は長兵衛、幼ニして学を好み、己が生産の賤きを厭ひて常に思へらく、典舗の業たるや貧家の衣を典らしめ金をかしあたへ、其是を償ふに至て貴き子銭をかへしむる事君子の恥る処也。願くは産業を改ん迚、……
和学者の文体
大江戸の西に横おりふせる青山てふわたり、久保丁とかやいへる所にすめる宛丘子なんたぐひなき隠者なりけり。その家のわざとするところ、人のおぎのる物をあづかり、こがねの数を母とさだめて、ほどほどにかしあたへ、其子あまたうみ出させ、衣は八の月、うつはものは十あまり二の月をかぎり、其時すぎてあがなはざれば、流川のながれよどみなく、世にかはりゆく物となしはてぬる事、とにもかくにもまめ人のなす所にあらじかしとおもひとり侍りて、……
当時雅俗ともに通ずべき体
長兵衛は江戸青山久保丁の者也。幼きより書をよむ事をこのみ、薬をひさぎて世をわたれり。元は質商をなし、人のおぎのる物を請て金をかしあたへ、つぐのふ時にはそこばくの利銀をそへしむ。或はつぐのふ時すぐれば、其物をとゞめてかへさず、外に売代ロなして徳つく事をはかれるは、道ならぬ事よと思て、……
末尾には、
吾家の児輩譬和漢の文を学ぶとも、いましめてかくのごとき戯れをなす事なかれ
と書いている。自分でやっておきながら子孫には禁ずるというのも面白い。
某全集を格安で入手した。(格安でなければ全集は買わない)その中の数冊の函がきつく、取り出すのに一分以上かかった。私は函は捨ててしまうのでどうでもよいが、函保存派の人は、取り出す度にイライラしたのではなかろうか。製函の事情がわからないが、ベテランでない人が担当したのだろうか。
先日、ビニ本ならぬプラ本を2冊購入した。ポリエチレンだか何だか知らないが、薄い透明なもので本全体が覆われている。スリップが中にあるので取り出したいと店員が言う。「切っていいですよ」と言うとナイフで切ったが、なかなか取り出せない。「全部剝いていいです」と言うと「そうですか」と言って全部剝がした。その時ベテランの店員が来てもう1冊の方をナイフで一部切ってスリップを取り出した。こちらは全部剝がしていない。これも経験の差だろうか。本人の器用さの問題だろうか。
梅田のカレーうどん屋に「人手不足の為、午後五時から七時までの営業とします」という貼紙があった。1日2時間働いて(その前の仕込みや後の片付けもあるのだろうが)生活できるのなら、いい商売だ。
10月6日(日曜日)、大阪に出た。9月29日(日曜日)の半分以下の人出だった。やはり増税の影響は目に見える形で現れている。先週も今週も、フレッシュマンあるいはそれになる予定かと思われる若者達を見た。老人と違って、体からエネルギーがあふれ出ているのがわかる。彼等が月給20万程度でこき使われるのかと思うと、気の毒だ。
ひところ、「カリスマ何々」という文字をよく見た。昨日は「神」ではないかと思われる店員に遭遇した。本2冊を渡すと瞬時に「1,980円です」と言い、千円札二枚を出すと即座におつり20円を差し出した。受け取って財布に入れようかと思ったら、袋に入れた本を持っている。20円を握ったまま包みを受け取った。この間、10秒もなかった。これには驚いた。普通の店員なら数十秒かかるところだ。何という人かとレシートを見ると、担当者は名前ではなくコード番号になっている。40008478さん、あなたはスゴイ。
華厳の滝で自殺した人の捜索費用300万円が遺族に請求されるという。鉄道自殺も頻繁に起きているが、遺族が賠償請求されるようだ。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20191004-OYT1T50386/
華厳の滝といえば、藤村操だ。1903年(明治36年)5月22日、彼は華厳の滝に投身自殺した。以後、華厳の滝は自殺の名所となり、柵を作るなど防止策がとられたという記述を見たことがある。
ウィキペディアには「自殺の名所」という項目がある。三原山も最近はニュースで見ない。青木ヶ原樹海は警備体制が強化され、自殺できなくなっているようだ。
牛込の横寺町は有名だが、何故「縦寺町」とか「中寺町」とかがないのだろうか。
『一話一言』には、
牛込末寺町酒井様御下屋敷脇通にて相揃、通寺町より神楽坂左りへ、
とある。
「通寺町」の横町が「横寺町」、「末寺町」の横町が「末寺横町」だという。
アンボン(アンベノか。オエクシ=アンベノは、ティモール島のインドネシア領西ティモールに囲まれた、東ティモール民主共和国の飛び地地区及び県。一般にオエクシ県だがアンベノ県とも呼ばれている。)
チモル(ティモール島は、小スンダ列島の東端にある島。南にはティモール海を隔ててオーストラリアがある)
セレベス(スラウェシ島は、インドネシア中部にある島。植民地時代はセレベス島と呼ばれたが、インドネシア独立後は一般的にはスラウェシ島と呼ばれる)
マカサル(マカッサルは、インドネシアの都市。スラウェシ島の南部に位置し、南スラウェシ州の州都)
カナソイン(?)
ボルネヲ(ボルネオ島は、南シナ海、スールー海、セレベス海とマカッサル海峡、ジャワ海とカリマタ海峡に囲まれている島。インドネシア・マレーシア・ブルネイ、この3か国の領土であり、世界で最も多くの国の領地がある島)
安南(アンナンは今のベトナム)
アキン島内カナリイン(マキンはキリバスのギルバート諸島に属する太平洋上の島。カナリインは不明)
大田南畝『半日閑話』「五島異国船漂流」に出て来る地名である。今から二百年ほど前、インドネシア近辺から長崎まで漂流したきた人の生地。括弧内は菊池注釈(ウィキペディアによる)。
五郎丸というとラグビーということになってしまったが、昔は『曽我物語』に出て来る有名な人物であった。
礒清『吉備暖話』(坂本書店。昭和二年)には、
五郎丸と謂へば、日本に一人しかゐない、あの曽我の討入に狩屋の広椽で、五郎時致に武者振り付いた、紅つ顔稚児髷の御所の五郎丸
とある。
上方落語「遊山船」のサゲは、
質においても流れんように
だ。
大田南畝『半日閑話』に、当時の童謡として、
金を拾ふたらゆかたを染めよ、肩にかなてくもすそに碇、質に置ても流れぬやうに
という歌が紹介されている。〈菊池注=「肩にかなてこもすそに碇」という文献もある。すると「かなてこ」は「鉄梃」だ〉
「遊山船」の話を作った人は、この歌を知っていたと思われる。
小学五年か六年の時、他のクラスの先生が「ごんべさんの赤ちゃんが風邪引いた」という歌を教えてくれた。皆笑いながら覚えた。後で知ったが、曲はアメリカのものだという。
それから数年後だろうか、「ごんべが種まきゃ烏がほじくる」という妙な歌を聞いた。お笑い芸人がほっかむりをして歌っていたような記憶がある。
大田南畝『半日閑話』に、
権兵衛が種まく烏がほぢくる何事おゐても三度に一度は追はずばなるまい
という童謡が紹介されている。二百年近く前の童謡だ。
大田南畝『半日閑話』に、「海のなき国々の歌二首」がある。
海なきは大和山城伊賀河内筑紫に筑後丹波美作
近江美濃飛驒をこへては甲斐信濃上野下野是も海なし
この歌には間違いがある。山城は今の京都府南部だから海には面していないが、ウィキペディアによると、筑紫は筑前・筑後に分割されて、筑前は玄界灘、筑後は有明海に面している。
年取って転んで骨折し、寝たきりになってあの世行き、という話をよく聞く。
大田南畝も、文政元年登城の際転倒し、文政六年に死亡した。
『奴師労之』末尾に、
われ四年前戌寅きさらぎ十八日、登営のみちすがら、神田橋のうちにて、つまづきころびし後、はづき十日に血を吐しより、もとの健にたちかへるべくもあらず、酒のみても腹ふくるゝのみにて、微醺に至らず、物事にうみ退屈して面白からず、声色の楽もなく、たゞ寝るをもて楽とし、奇書もみるにたらず、珍事もきくにあきぬ、若き時酒のみて、とろとろ眠りし心地と、狎たる妓のもとに通ひし楽は世をへだてるごとくなりき
と書いている。この2年後、南畝は他界した。
南畝は私よりちょうど200年前に生まれている。江戸・明治の人は数え年齢で表示するのが普通だが、今、私との比較で満年齢で書くと、転倒したのが69歳だから、私にしてみれば去年。死亡が74歳だから四年後だ。ただ、私は未だ転倒して寝込んではいないので、南畝よりはもっと生きられるかもしれない。
映画『時代屋の女房』を見ていたら、大井三ツ又交差点が出て来たので驚いた。何度も通ったことがある。しかし、骨董屋には全く気が付かなかった。映画を見てから改めて行ってみると、骨董屋は跡方もなかった。広尾に移転したという。この近くには面白い古本屋があった。本が山積みで倉庫状態。珍しい本があったので買おうと思ったが値段がついていない。三十代の若い主人に聞くと、判断がつかないらしい。汚い本だったので「50円でいいです」と言われ、思わぬ収穫に喜んだ。
「蒼妓」という言葉がある。「蒼」を『新漢語林』で見ると、
①あおい(青)。草のような青い色。こい青色。深青色。
②青くしげるさま。
③年老いたさま。白髪のまじっているさま。
④あわただしいさま。また、あわてるさま。
とある。「蒼」には「老年」の意味があるらしい。
天明四年『通詩選』「昼三の古意」に、
昼三の座鋪二間に連なる。衣桁簞笥七宝の環。蒼妓(をいらん)縦横茶亭に過(よ)ぎり。雛妓(しんぞう)絡繹として中町に向かふ。〈原漢文。下略〉
とある。「雛妓」と対比しているのだから、「蒼妓」はベテランなのだろう。
文政四年『奴師労之』には、
東渥先生の名物六帖に、蒼妓の字をトシヨリノユフヂヨと訓せり、平賀鳩渓(名国倫字士彝戯号風来山人称源内)見て笑て曰、たゞトシマといふべきを、先生の訓笑ふべしと云へり(今の名物六帖に蒼妓の事なし古写本にありし歟)
「年増」の概念も時代によって変わる。今は「年増」という言葉はあまり使われないようだが、明治中期には、「二十二、三から年増、二十五越せば大年増、三十姥桜といわれた」という長谷川時雨の注釈がある。してみると、「雛妓」は二十歳前でなければならない。
食べながら歩く、歩きながら食べる、というのはマナー違反のような感じがするが、戦後、特にオリンピック・万博以後、かなり増え、平成には当り前のようになってしまったのではないか。
大田南畝『奴師労之』には、
夏の頃、枝豆をありきながら喰ふは、明和の頃、三ツまたに築出しの新地出来し頃よりなり
とある。これは箱崎川の中洲新地(富永町)である。現在の東京都中央区日本橋箱崎町43番地附近に相当する。今から200年ほど前、既に歩行飲食がなされていた。
税率2%の差を考えると、これからはイートインよりも歩行飲食がより盛んになるのではないか。
ダイエーは昨年冬の改装にあたり、地階にイートインスペースを広くとった。今回の増税のことを考えなかったのだろうか。客が、「あのイートインスペースで食べます」と言えば、消費税10%をとらなければならない。イートインで食べている人をつかまえて、レシートを見せろ、とは言えない。客の方でも2%違うのなら中では食べない、ということになるだろう。あの空間(畳にして十畳強か)は何とももったいない。
女性の名で「るい」「るみ」「るめ」は見たことがあるが、初代市川八百蔵の妹の名は「るや」だという。
本名かどうかわからないが、今、「るき」という名の人がいるようだ。
街を歩くと、増税の影響をひしひしと感じた。ホームセンターは閑散とし、レジに並ぶこともなかった。ダイエー・ドラッグストアのレジは一人待ちで済んだ。業務スーパーやドラッグストアの駐車場は、いつも満杯状態だが、今日は数台しか見られなかった。この状態がいつまで続くのだろうか。
それにしても今日は10月とは思えない暑さだ。ノースリーブのお姉さんまでいた。9月の気象情報で「10月 残暑」とあったが、正に10月残暑。一年の半分以上が夏になってしまった。公園や町中では、熱帯密林に入り込んだのではないかと錯覚するような、派手な鳥の啼声があちこちで聞える。熱帯ニッポン。
正気散は、『申楽談義』(永享二(1430)年)に載る。
藿香正気散は、『言継卿記』天文十七年(1548)条に載る。
藿香正気散は、今でも販売されているようだ。500年近い歴史。
葛根湯は『傷寒論』に記載があるから、1800年ほどの歴史。
まさに物は言いようだ。関電役員は「収賄」を「一時保管」と言ってのけた。
掏摸も泥棒も、「盗ったのではなく、私の所に『保管』しただけ」と言うだろう。
悪事でなければ、「保管」と考えるのは理にかなっているかもしれない。私の命はこの世で「一時保管」しているだけ。金を出して買ったものも「一時保管」。どうせあの世まで持って行けるわけではない。
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]
カレンダー
11 2019/12 01
S M T W T F S
1 3 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(12/04)
(12/04)
(12/02)
(11/30)
(11/30)
(11/29)
(11/25)
(11/24)
(11/24)
(11/23)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
gwaikotsu
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
忍者ブログ / [PR]
/ Template by Z.Zone