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気が向いたら思いついたことを書いてみます
子供の頃は「石切り」と言っていた。しかし『日本国語大辞典』では「水切り」しかない。石を水面に投げて弾ませる遊び。ウィキには、
「水切り」、「石切り」という呼称以外にも様々な呼び名が存在する。
石投げ
跳ね石遊び
水面石飛ばし
チャラ
チャーリィ
チチッコ
ちょんぎり
ちょっぴん
ちょうま
飛び石
かいかい
ちょうれん(跳連 or 丁連)
トントンミー(沖縄での呼称)
とある。これ以外の呼び名を見付けた。
鈴與志路「三味線堀と佐竹通り」(『江戸と東京』第五巻復活第四号。昭和十四年六月)に、
(三味線堀で)自分は肥舟の上で遊ぶ子供や、通る様様な人を眺めたり、石を水に投げて二丁きりなぞをやつてゐたものだ
とある。
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「箱抜き」という言葉がある。手許の辞書には載っていない。ネットを検索すると、建築用語ばかり出てくる。
目に入った用例は二つ。
中里介山『大菩薩峠』「新月の巻」に
「聞き手があなたじゃ張合いがないけれど、でも、あなただって芸者のうたを聞いて悪い気持はしないでしょう――今日はわたし、全くつとめ気を離れてうたって上げることよ、ところがところですから、箱ぬきで我慢して頂戴――今度は新しいところをお聞かせしてあげるわ、これは、御贔屓になった夕作さんという土地の通人がこしらえたうたなのよ――古風なのと違って、また乙なところもあるでしょう、おとなしく聞いていらっしゃいね」
とある。ここで女は口三味線で歌うので「箱抜き」の「箱」とは、三味線のことか。「箱」のこの意味は『日本国語大辞典』にある。
『上野繁昌史』に、
(笑福亭は)戦後は花街の前途を危ぶみ、箱抜きの料理本位の店となってしまった。
とある。ここでは、芸者を呼ばず、料理のみということだろうから、「箱抜き」の「箱」は芸者のことか。「箱」のこの意味も『日本国語大辞典』にあるが『広辞苑』にはない。
「猫」「箱」共に、「三味線」「芸者」の両方を指した。
ウィキペディアに「出版不況」という項目があるのに驚いた。末尾を見ると、
活字離れ
CD不況
テレビ離れ
ラジオ離れ
ゲーム離れ
若者の車離れ
といった項目もあるようだ。
こういうものがあるのに、『現代用語の基礎知識』を紙で出版し続ける自由国民社は、いつまで生き残れるのだろうか。『イミダス』も『知恵蔵』も、とっくになくなった。
『武江年表』「正保年間記事」に、
寛永正保の頃、長崎より唐木の商人和泉屋半三郎といふもの江戸に来り、池の端に住し始めて古書籍の売買をなし、後大書肆と成りたり。是れ古本売買のはじめなりとぞ。
とある。『上野繁昌史』はこれによったものであろう。『武江年表』が何に拠ったのか、今はわからない。
魯庵は固有名詞を出していないが、『上野繁昌史』(昭和三十八年)には、
寛永、正保の頃、今の池の端仲町に和泉屋半三郎という唐本屋が長崎からきて、古書籍の店を出したのが最も古いとされている。
とある。
内田魯庵『下谷広小路』(『下谷上野』昭和四年)に、
下谷は昔から文人墨客の淵藪として知られ、正保の昔池の端で江戸で初めての本屋を開いたものもあり、延宝の頃には了翁僧都が江戸で初めての文庫を開いた因もあつて広徳寺前から山下、広小路、お成道へ掛けて江戸末から明治の初年はリテラリー・クオーターで本屋が多かつた。今の黒門町の文行堂、お徒士町の吉田里子などは其頃からの古い暖簾だが、勧学屋の錦袋円の店を譲受けた琳琅閣の先代は明治の本屋歴史の逸すべからざる怪物であつた。
とある。
東京古書組合「東京の古本屋 台東区」から、旧下谷区に相当する店を抜き出すと、
西楽堂(台東区上野1-18-11)
文行堂(台東区上野3-16-4)
bangobooks(台東区谷中2-5-10)
弘和洞(台東区谷中7-18-6)
古書 鮫の歯(台東区谷中7-5-11)
古書 OLD SCHOOL(台東区谷中3-5-7)
ストア フロント(台東区池之端2-1-45-103)
の七店のみ。いずれも、私は行ったことがなく、ネットで購入したこともない。
かつて上野広小路に「上野文庫」があり、一度入ったことがあったが、消滅した。
琳琅閣は本郷の店を覗いたことがあるが、私には歯の立たないものばかりだった。
「吉田里子」とは、松山荘二『古書肆「したよし」の記』に書かれた「吉田書店」だ。
青山通りと内堀通りの合する所、三宅坂小公園(最高裁判所前の角地)に平和の群像がある。女性三人の裸像。
これよりやや北、新宿通りと内堀通りの交わる所と内堀の間(千鳥ヶ淵公園)の「半蔵門こどもの池」に自由の群像がある。男性三人の裸像。
代々木公園には「しあわせの像」がある。男女+子供の裸像。
これらは電通が建てたという。いずれも、広告・新聞・放送の功労者を顕彰するためものだそうだが、現地で銘盤を見ないと、人名は確認できないのだろうか。刻まれる名前が徐々に増えているらしい。
1950(昭和25)年~ 東京三宅坂小公園「平和の群像」(広告功労者顕彰)
1955(昭和30)年~ 千鳥ヶ淵公園「自由の群像」(新聞人顕彰)
1970(昭和45)年~ 代々木公園「しあわせの像」(放送功労者顕彰
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000187987
子供の頃、押入れに「行李」があった。衣類をしまっておくためのもの。柳行李。しかし、今、衣類収納に行李を使う人はほとんどいないだろう。
相撲の明荷は「つづら」だが、つづらを収納に使う人もほとんどいないだろう。
現代中国語で「行李」というと、荷物一般を指すようだ。白水社『中国語辞典』には、次のようにある。
【行李】
名詞 〔‘件・包・个’+〕(包み・網袋・箱・トランクに入れた旅行用の)荷物,手荷物.
用例
他带着很多行李。=彼は多くの荷物を持っている.
她扛着一大包行李。=彼女は大きな包みの荷物を担いでいる.
行李卷儿 juǎnr=旅行用にぐるぐる巻いた寝具.≒铺盖 ・gai 卷儿.
行李票=手荷物引換え券.
行李标签=荷札.
行李架=網棚.
行李车=荷物車.
行李箱=(自動車の)トランク.
行李过磅处=荷物計り所.
行李寄存处=荷物預かり所.
行李搬运工=ポーター,赤帽.
手提行李=手荷物.
行李超重=重量オーバー.
收拾行李=荷物をまとめる.
打好行李=荷造りする.
邮政行李车=郵便荷物車.
世の中にはいろいろな博物館があるものだ。
目黒寄生虫館は、医学博士 亀谷了(1909-2002)が私財を投じて1953年に創設した寄生虫学専門の私立博物館です。
館内には国内外から集められた約300点の標本及び関連資料を展示しています。
https://www.kiseichu.org/association
2013年から公益財団法人となる。
標本約60,000点(タイプ標本1,500点を含む)、図書文献約16,000冊は立派だが、研究員三名というのは心細い。
豊島ふくろう・みみずく資料館
どうしてこのような施設ができたのだろうかと調べると、
世界中の梟に関した資料収集家でもある、東大名誉教授の飯野徹雄氏が、所蔵する膨大な梟コレクションのうちのおよそ4000点を、豊島区に寄贈。豊島区では、区立南池袋小学校の一室をみみずく資料館とし、それらのコレクションを200から300点ずつ順次展示公開しています。
http://www.city.toshima.lg.jp/132/bunka/kanko/006337/006351.html
ということであった。
豊島区立南池袋小学校には通っている児童がいるようだが、校門・教室を開放し誰でも入れるようにしていて問題は起きないのだろうか。先日もお茶中で事件があったばかりだ。神戸の某幼稚園は、昔は通りから丸見えだったが、その後、塀をめぐらして中が見えないようにした。
四谷の「東京おもちゃ美術館」は、廃校となった小学校の旧校舎を利用して2008年にオープンした。大阪市中心部では、子供の数が減ったため、一部小学校を廃校にした。ところが、その跡地がタワーマンションとなり、今度は子供が増え、小学校は満杯状態になっている。四谷のようにしておけば、いざという時に小学校に戻せるかもしれない。
漱石生誕150周年にあたる平成29年(2017年)9月24日、新宿区立漱石山房記念館が開館しました。
https://soseki-museum.jp/
ウィキによると、
1945年(昭和20年)の空襲で焼失し、戦後その敷地の半分は「漱石公園」、残る半分は区営住宅(元は都営住宅)となっていた。
とのこと。
私は全く知らなかった。行ったこともないので、あれこれ言う資格はないが、ネットや写真を見る限り、展示中心で、腰を据えて本を読む環境ではなさそうだ。1階に「ブックカフェ」、地階に「図書室」はあるものの、さほど広くはなさそう。図書室の蔵書は約3,500冊と、多くない。
救いは、漱石が、
私はもつと明るい家が好きだ。もつと奇麗な家にも住みたい。私の書斎の壁は落ちてゐるし、天井は雨漏りのしみがあつて、随分穢いが、別に天井を見て行つて呉れる人もないから、此儘にして置く。何しろ畳の無い板敷きである。板の間からは風が吹き込んで冬などは堪らぬ。光線の具合も悪い。此上に坐つて読んだり書いたりするのは辛いが、気にし出すと切りが無いから、関はずに置く。(『文士の生活』)
と愚痴りつつ願った「明るさ」「奇麗さ」に満ちていることだろう。
「漱石山房」の一部、書斎・客間・ベランダ式回廊が1階に再現されているが、写真を見る限り、「暗さ」「汚さ」「崩れた壁」「天井のしみ」「風が吹き込む板の間」などは再現されていないようだ。
永井荷風の詩『震災』に登場する人名は、次のとおり。
団菊
桜癡
一葉
紅葉
緑雨
円朝
紫朝
柳村先生
鷗外漁史
柳村がわからない。「柳村先生」とは、と調べると、流石ネット、「上田敏」だという。
林田亀太郎は明治大正昭和の官僚・政治家。ウィキには、その著作『新芸者論』『芸者の研究』が挙がっていない。
内閣書記官長時代の大正七年、『新芸者論』を出したが発禁となった。出版社は建文館、西条八十の経営であった。
発禁となるとかえって欲しくなるのが人情。かの牧野富太郎が建文館を訪ね、ぜひ売ってくれと頼み込んだとのこと。
牧野は、植物・鉱物だけでなく、芸者にも興味があったのか。牧野は昭和四年刊の『芸者の研究』を入手できたのだろうか。
牧野は昭和三十一年没。西条八十は昭和四十五年没。西条は、「牧野さんは当時の番頭が僕だったとはついに知られずに亡なられた」と語ったという。
以上、野田宇太郎『東京文学散歩 下町篇』によった。
なお、林田亀太郎は子供が十八人いたという。
講談社『新大字典』の【清楚】の項には、
①清くさっぱりとしていること。
②はっきりしていること。
とある。
現在の日本では、専ら①の意味で使われると思うのだが、中国では②の意味で使うことが多いようだ。
白水社『中国語辞典』には、
1 (形状・輪郭・痕跡・映像・方向・目標・思想・考え・言葉・態度・状況があいまいでなく)はっきりしている,明瞭である.
2 (物事に対する理解が)明晰である,明確である.
3 (はっきりと)知る,わかる,理解する.
とある。
吉田絃二郎は『夏雲雑草』で、
ずつと以前、山の手線ができたばかりのころは、根岸に住んでいたので、鶯谷から山の手線に乗つて――その頃は院線といつていた――大塚、渋谷、品川と山の手線を一周して来ることによつて、充たされない旅の心をいくぶんか充たしていた。実際あのころは、田端も、大塚も、目白も、目黒も見渡すかぎり草の原であり、タンボつづきであり、見るものとては武蔵野の自然のみであつた。電車の中とてもまことに閑散なものであつた。だから一時間ばかり山の手線に乗つていると、ちよつとした旅でもしているような気になれたものである。
と書いている。山の手線の環状営業が始まったのは大正14年だから、これは昭和初期のことか。
これとはかなり趣を異にするが、昭和末期、阪急神戸線に乗った時、武庫之荘駅付近に田圃がたくさんあったのに驚いた経験がある。
近年、電車に乗ると、「リュックは背負わずに前に抱えてください」というアナウンスがされたり、そのような掲示物があったりする。背の物は見えないから他人にぶつかりやすいが、前に抱えればそのようなことはない、というのだろうか。リュックサックは「背嚢」と訳したが、これからは「腹嚢」という訳も必要になるかもしれない。
江戸時代には当然リュックはなく、「連尺」を背負った。ところが、
鍬形蕙斎画『近世職人尽絵詞』第一軸第三図では、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287213?tocOpened=1
羅宇のすげかえ屋が、連尺を背ではなく、前に抱えている。これはどういうわけなのだろうか。背負うと煙管を抜き取られたりするので、その用心なのだろうか。これでは歩きにくいのではないか。
明治四十一年『東京区分地図』「麴町区之部」には、「八重洲町」を挟んで、南に「有楽町」、北に「永楽町」がある。「永楽町」とは初めて見た。
ウィキには、
町名としての「有楽町」は明治初めに誕生したが、その時、現在の東京駅あたりに「永楽町」が誕生していることから、地名研究家の櫻井澄夫は、有楽、永楽はペアの地名であって、明治初期の新政府(東京)による町名確定の際、新造されたいわゆる瑞祥地名の一種であるとしている。
とある。それにしても、有楽町が残り、永楽町が消えたのはどういうわけなのだろうか。昭和初期、震災後の復興区画整理で消滅したようだ。
『新撰東京名所図会』「麴町区之部上」(東陽堂。明治三十一年十月)には、
永楽町は一丁目二丁目あり。和田倉門の東即ち呉服橋門より八重洲橋に至れる一帯の一区域をいふ。其の東北の方に銭瓶橋あり。むかし此辺にて永楽銭の入りし瓶を掘出せしとの説あるに因り。近時此名を附せしといふ。
有楽町は。一丁目、二丁目、三丁目あり。馬場先門外より南の方。数寄屋橋門、日比谷門以内の地。(中略)元和の頃茶道を以て世に鳴りし小田有楽斎此地に居住せしに因り。明治以後此の名を附せりといふ。有楽斎の来住せしこと詳ならず。
とある。
「SPA!」という雑誌は買ったことがないが、気骨ある筆者が寄稿しているようだ。
“安倍応援団商売”は戦時中の東條御用言論とそっくり――倉山満
https://nikkan-spa.jp/1520504
総理と「桜を見る会」でハシャぐ有名人の気持ち悪さ/古谷経衡
https://news.nifty.com/article/magazine/12193-262615/1
【箱止】という言葉がある。『日本国語大辞典』には、
〘名〙 (「箱」は三味線を入れる箱の意) 料理屋・待合などが、芸者の出入りを禁止すること。
とあるが、これとは反対に、芸者が待合・料理屋に営業に行くのを拒否すること(ストライキ)を意味する場合もある。
『都新聞』明治四十三年三月二十二日「津の守の箱止め」には、
四谷津の守の待合青柳は数日前芸者側より箱止めを食ひたり
として、詳しく記述している。
同紙明治四十三年三月二十九日「本日から芸者の箱止」には、
本日芸妓一同総会を開きし上公然箱止の通告を発する由
とある。
『日本国語大辞典』の記述は不親切である。『広辞苑』も同様。
朝日新聞のカバー広告に東京の航空写真があった。スカイツリーの南に広い緑地が二ヶ所見える。調べると、
猿江恩賜公園 と
木場公園 であった。
この辺は行ったことがないので全く知らなかった。いずれも昔の貯木場跡だという。
毒蝮三太夫が、
引きこもりをどうにかするには、やはり表に出たくなる楽しい場を作るってことだな。
https://blogos.com/article/372868/?p=2
と主張している。
その論はよいが、引例に問題がある。
江戸にはね「鞍馬天狗」や「丹下左膳」なんかの映画にも出てくる「矢場(やば)」って場所があったんだ。要するに娯楽場だね。客が座って弓を打って、的に当たってカラカラカラって鳴ると景品くれたりしてね。銃ではなく弓の射的だな。そこにいい感じのお姐さんがいてさ、矢が当たると「お兄さん、当たり~」なんて言うんだ。「矢場の女」ってのは粋な女が多かったって。ちょこんと座って三味線なんかつま弾いたりしてさ。だからついつい「矢場の女」に会いたくて、通ったりなんかするというね。
映画ではきれいごとに済ませているのだろうが、江戸から明治の「麦湯」や「楊弓」などは、売春斡旋の場だったのだ。
おじさん・おじいさんが行きたくなるところ。若い女の子がいる所は金がかかりそうだ。金がかからないのは図書館。遊び場はタダというわけに行かない。年金を倍増でもしないかぎり、じいさんはなかなか外出しないだろう。
お茶中事件で、報道にズレがあった。
「机の上」と「机の近く」
「庖丁」と「ナイフ」
「机の上に氏名が貼付」と「教卓に座席表」
TBSニュースでは、
「教壇にあった座席表」「教室の教壇にはクラスの座席表が置かれていた」
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12198-261119/
となっているが、「教壇」とは、教師が立つ壇のことで、ここに座席表を置くということはありえない。「教壇の上にあった教卓に座席表が置かれていた」のである。
報道機関も信じられない。
目白で「蝶屋」を営む柿澤清美氏を紹介する記事があった。
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/mitsutaro-zenko/19-00111
約200種・5,000匹の蝶を展示・販売している。写真に、何とかシジミが「1頭 1,500円」とあるのに驚いた。「頭」とは、牛・馬などの大きな動物ではないか。しかも、柿澤氏はインタビューでは「一匹」と言っている。
ネットを見ると、学術用語では「頭」、一般用語としては「匹」と数えるのだそうだ。
https://japanknowledge.com/articles/kze/column_kaz_10.html
それにしても5,000匹は多いが、200種というのは少ないのではないか。スペースの問題か。
街を歩くと駐車場が目立つ。数か月ぶりに訪れた所が駐車場だらけになっていたりする。人口減の影響なのだろうか。都市部では、不要になった建物を取り壊して駐車場にできるが、田舎ではそうはいかないだろう。
人口が減っているとはいうものの、都市部では、まだまだ人が多すぎるという感じがする。都会では駐車場、単身者住宅、タワーマンションが増えているようだ。しかし、空き家・空き地が放置されている所も多い。
コンビニのイートインコーナーで昼食を済ませる若い男女が多いのをみると、日本の景気はあまりよくないと思う。
東京の「区」は、明治五年の大区小区制、明治十一年の十五区制、昭和七年の三十五区制、昭和二十二年の二十三区制、いずれも、皇居を中心に、「の」の字を書くように右回りで設定された。
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0714tokyo_ku.htm
進駐軍が東京の道路につけた名称も、皇居を中心に国道一号線をAストリート、右回りにB、Cとなって、晴海通りがZストリートとなったという。
右回りという点では、日本人も米国人も同じようだ。
しかし、トラックを走る時は左回りのほうが楽だ。
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