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気が向いたら思いついたことを書いてみます
新聞の週刊誌広告に「自暴酒」とあった。ふつうは「自棄酒」と書く。国語辞典に「自棄酒」はあるが「自暴酒」はない。「自暴」も「自棄」も同じような意味だから、どちらでもいいようなものだが、調べると、尾崎紅葉・近松秋江・徳田秋声・永井荷風・吉川英治・中里介山などが「自暴酒」と書いている。この週刊誌記者はどの作家の愛読者なのだろうか。
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総選挙・普通選挙が終り、登院の段となると、早朝から国会門前に来り、一番乗りをしたがる輩がいる。いつ、誰が始めたものか知らないが、宮武外骨『スコブル』第九号(大正六年七月一日)に次のようにあった。
  ●先登第一の馬鹿者
衆議院議員中には無智無学無能の輩が多くあつて、開院の初日だけに早く行き、それで諸新聞に先登第一は何某であつたと書かれる事も見栄にする奴がある
議会をマラソン競争同様にでも心得て居るのか、今年は其先登第一になりたさに夜もロクに寝ず、午前三時頃から出かけて行つた奴があるさうな、何と云ふ糞馬鹿者であらうか、罵詈の評語にも窮する
又諸新聞記者の奴等が、先登第一に何の価値があるとして載せるのか、これも糞肝癪に触る一事である
現在では、新聞ではなく、テレビが報道している。
宮武外骨『スコブル』第九号(大正六年七月一日)のコラムに次のようにある。
   ▲川越チャブと金チャブ
下層労働者の社会に一種の通り言葉があります、即ち「川越チャブ」と云ふのと「金チャブ」と云ふ語がある、川越は薯の産地であるので、焼薯ばかり食ふて居るのを「川越チャブ」と云ふのであります、金魚の如く水ばかり呑んで絶食して居るのを「金チャブ」と云ふのであります、食卓をチャブ台と申し、チャブとは食ふと云ふことであらうと思ひます
水しか飲めない状態を「ノーチャブ」という所と「金チャブ」という所があったようだ。
今日の十両では、炎鵬・翔猿・石浦が勝った。共通するのは「頭」を使っていること。体力で劣るぶん、頭脳を働かせている。体に恵まれ、頭を使わず横綱になった人とは大違い。
宮武外骨『スコブル』第3号に、「慶応三年生の文士」というコラムがある。露伴以下はこの時点で存命なので、私に没年を追加した。
正岡子規 名常規
  明治三十五年九月十五日歿 享年三十六
尾崎紅葉 名徳太郎
  明治三十六年十月三十日歿 享年三十七
斎藤緑雨 名賢
  明治三十七年四月十三日歿 享年三十八
夏目漱石 名金之助
  大正五年十二月九日 享年五十
幸田露伴 名成行
  昭和二十二年七月三十日 享年八十
鈴木天眼 名力
  大正十五年十二月十日 享年六十
伊藤痴遊 名仁太郎
  昭和十三年九月二十五日 享年七十一
 尚『現代文士録』を見ると
上田万年 芳賀矢一
の両氏も慶応三年生とあり、石橋思案、村上浪六も同年らしい
《以下、菊池追加》
上田万年
  昭和十二年十月二十六日歿。享年七十。
芳賀矢一
  昭和二年二月六日歿。享年六十。
石橋思案
  昭和二年一月二十八日歿。享年六十。
村上浪六《慶応元年生まれ》
  昭和十九年十二月一日歿。享年七十八。

坪内祐三『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』は、外骨の指摘を受けてまとめたものだろう。漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨を取り上げている。

《以下、菊池追加》
宮武外骨
  昭和三十年七月二十八日歿。享年八十八。
南方熊楠
  昭和十六年十二月二十九日歿。享年七十四。

宮武外骨が一番長生きだった。

「ノーチャブ」という言葉がある。「ノーパンシャブシャブ」の略語ではない。
『神戸新聞』大正十一年四月二十四日の「どん底の生活」という記事に、
その内実は飯屋で最も倹約した十二三銭のところで一食しあと二食は残飯で露命をつないでいるのだ。しかも未だこうした内は残飯にしろ人間並にお米が食えるからいいとして、その残飯さえ食えない様になって来ると金魚チャブといってパンを噛じって一時をしのいだりお腹に保ちのいいコンクリ飯と彼等仲間で呼んでいるコワ飯を一日五銭の分一杯位で我慢したりするのであるが、コンクリ飯や金魚チャブさえやれない様になると川越チャブと称して芋を二銭か三銭位噛って一日を過すのである。それがもっとひどくなって芋も買えなくなると愈と最後の手段たるノーチャブというひどい段取になり水だけ呑んでは一日を過しているという有様、まことに惨めな吾吾が思いもよらぬ生活で、こうなっては全く牛馬同様ただ生きているに過ぎない。いよいよこうした場合に押し詰られると食う事さえできない連中であるから勿論屋根代二十五銭という大金があろう筈はない。自然と無料宿泊所へ行くか或はまたオカン(野宿のこと)するより外に道がない。
とある。
これは東京深川富川町から猿江裏町付近の話だという。大正頃は、パン切れを金魚チャブ、強飯をコンクリ飯、芋を川越チャブ、水しか飲めない状態をノーチャブと言ったようだ。
昭和三十年代はちゃぶ台で御飯を食べた。私がちゃぶ台の足を広げ、食事が済んだら足を畳む役だった。ちゃぶ台の「ちゃぶ」が「食事」のことだとは知らなかった。私は、14歳と24歳の時、ノーチャブを経験している。前者は昼数日、後者は朝昼晩数日。ノーパンシャブシャブは行ったことがない。
三くだり半の研究書もあるようだが、未見。
ウィキペディア「離縁状」の項に挙げられている2例は、協議離婚と縁切寺だが、宮武外骨が『スコブル』第二号に挙げている例のほうが文章としてはよい。
一此度其許離縁致候に就ては今後
 一切関係無之何方へ縁付候共勝手
 たるべく拙者に於て毛頭異存無之候
 仍而為後日一札如件
文範があって皆それをトレースしているのかと思ったら、それぞれの家庭の事情でさまざまな文面があるようだ。
『東京新聞』「筆洗」(11月14日)に、次のようにあった。
米国では、大学一年生のことを「FRESHMAN」(フレッシュマン)と呼ぶ。以下、二年生は「SOPHOMORE」(ソフォモア)、三年生は「JUNIOR」(ジュニア)、四年生は「SENIOR」(シニア)。数字を使わずに表現する興味深いのが二年生の「ソフォモア」の語源。一説によるとギリシャ語の賢さ(SOPHO)と愚かさ(MOROS)を組み合わせた言葉らしい。賢さで成功するか。愚かな失敗をするか。分かれ目になる大切な時期という意味かもしれぬ
私にとっても、あの年がまさに「大切な時期」であった。
百日紅がまだ咲いている。6月初めに咲いたとすると、160日以上になる。12月まで咲きつづけるようだと、表記を「二百日紅」と変えなくてはならないだろう。
三段目に「琴手計(ことてばかり)」という力士がいる。妙な名前なので調べてみると、「手秤」とは、「料理の際など、材料を手にのせて大体の重さをはかること」(『日本国語大辞典』)とある。してみると、この力士は料理が上手なのだろうか。もっと出世したら、しこ名の由来も穿鑿されるだろう。
以下はあまり上品な話ではないので、下半身関係の話が嫌いな方は読まないでいただきたい。
ネット用語でいうと、【閲覧注意】である。
本来なら「鶯亭金升」のページを作って、そこで紹介すべきものだが、今それだけの準備と余裕がないので、とりあえず備忘のために書き留めておくものである。
鶯亭金升『明治のおもかげ』(岩波文庫)の「人生走馬燈」の末尾に、
 徳川家康公が天海僧正に対って「どうしたら長寿をするか」と問われた。天海の答に「粗食、小食、読経、それから日々入浴して御下風あるべし」と言ったとやら。御下風とは放屁の事だそうな。年を取ってから毎朝起きる時ブウと一発おならをするその気持の好い事と言ったらない、屁の出ない日は気分がわるい。入浴も好い。粗食小食はむずかしい。僕は大食して今日になった。烟草は有害と思いながらも十六歳から八十余歳の今まで昼夜吸っている。若い時は朝寝、夜更し、夜明し、大食、随分不養生をしたけれど幸いに医師のお世話になった事は少い。
とある。
福富織部に『屁』という著書がある。大正十五年刊。この序文が、鳶魚幽人、鶯亭金升、剣花坊、野崎左文と豪華だ。金升の序文を紹介しておく。


 思ふ事言はねば腹の膨るゝわざ、ブウブウを鳴らして不平も尽ぬ世のならひ、其処を平気の平左と極めて、浮世を茶粥や芋粥に、腹はブツブツ言ふとても、柳に受ける風の如く、疳の虫を握り殺してノンキに暮らせば、鼻つまみの退けものに扱はれる難も無し、観ずれば屁の様な、へゝゝゝゝと独り笑って、机にむだ書きの筆を弄あそぶ処へ、郵便の声あり、ヘイと受取て開封すれば、屁の玉を聯ねたる新著に何か一筆染めよとの御所望に、スカシばかり仲間入と古く洒落てブ文を添る者は
    黄表紙好きのヘドツ子
              鶯亭金升

ダイエーが新装開店した。1階中央に書店ができたが、岩波文庫すらなく、軽いものばかり。百円ショップは混んでいたので後日見ることにする。ダイエー直営で失くなったものは、紳士服・寝具・生活雑貨。紳士服はアオキハルヤマへ行け、寝具はニトリへでも行け、生活雑貨は百円ショップに行け、ということなのだろうか。男女混合のカジュアル衣料店でダウンベストを探したが、まともなものがなく、帰宅してアマゾンで購入した。
「冬の蠅」で、『東京新聞』「筆洗」(11月9日)の記述を思い出した。
中国の五行説は、四季に四色を配している。青春、朱夏、白秋、そして黒い冬、玄冬だ。青春時代があるのなら、他の三つの時代が人生にあってもいいのではないか。宗教評論家のひろさちやさんがかつてそう主張していた▼そのうえで、白秋時代とは暗い冬を控えながら、<世俗を離れて、ゆったりと生きる時期>(『こころの歳時記』)ではないかと書いている。
何歳まで白秋で、何歳から玄冬か。気持ち次第でもあるし、その人の寿命次第でもある。
『冬の蠅』というと梶井基次郎が有名だが、永井荷風に『冬の蠅』という随筆集がある。今は冬どころか夏でさえも蠅を見ることはないが、昭和初年まで蠅は元気だったとみえる。
冬の蠅序
憎まれてながらへる人冬の蠅といふ晋子が句をおもひ浮べて、この書に名つく。若しその心を問ふ人あらば、載するところの文、昭和九年の冬よりあくる年もいまだ立春にいたらざる時つくりしもの多ければと答へんのみ。亦何をか言はむ。老ひてますます憎まれる身なれば。
 乙亥のとし二月    荷風散人識
「老ひてますます憎まれる身」と言っているが、荷風五十六歳である。
冒頭の「断腸花」には、大正六年九月三十日、木挽町での暴風雨体験が描かれている。
本郷三丁目駅出口付近に「海抜十七メートル」と書いた標識があるのを見て驚いた。ここでさえ十七メートルなのか、と。ところが、今日見た記事には、
ちょうど本郷3丁目あたりが本郷台地を山と見た場合の峠にあたるという。
https://www.asagei.com/excerpt/4501
とあった。下町は大変だろうと思ったら、
東京、水害ハザードマップ
https://biz-journal.jp/2018/11/post_25442_3.html
があった。荒川付近は水害に弱いようだ。ゴミステーションならぬ土嚢ステーションがあると、テレビでやっていた。
中国語では荷物のことを「行李」と言うらしい。地下鉄のステッカーに日本語・中国語・韓国語での注意書きが貼ってあったが、それに「行李」とあった。
子供の頃は、押入れに行李があった。先日は、行李をボストンバッグふうに改造したものをテレビでやっていた。
地下鉄にて。母親のだっこ紐から身を乗り出して、長座席端の握り棒(?つかまる所)を懸命になめている幼児がいた。どんな味がするのだろう。味よりもツルツルした舌触りが珍しいのか。
これを見て、三遊亭円生「なめる」を思い出した。舐めるものは全然違うが、視覚・聴覚以外のものを言葉で表すというのは大変難しい。今の落語家でこれをやれる人はいるのだろうか。
オーストラリアのシドニーで8年前にふざけてナメクジを食べ、寄生虫が原因で昏睡状態に1年以上陥り、体にまひが残った20代後半の男性が2日に死亡したという。
https://www.nikkansports.com/general/news/201811060000682.html
鶯亭金升『明治のおもかげ』(岩波文庫)に「変な御馳走」という話がある。
明治十五、六年頃、秩父で「東京の芸人が来た」と歓待され、御馳走された。小さな鉢に盛った酢の物が「山烏賊」で一番の御馳走だという。正体は蛞蝓だった。
生で食べず、秩父のように酢漬けにすればよかったか。
空港の夢を見た。鉄道駅の夢は度々見たことがあるが、空港、しかも外国の空港の夢は初めてだ。鉄道駅と違うのは、長い行列ができていたこと。南米のほうに研究関連の文献があるというので行ったらしい。
小学生の頃の本に「かちどき橋」があり、真ん中から左右に開いて船を通す可動橋(跳開橋)とあって、「ヘエー」と感心したものだが、今は開かないようだ。今日見た昭和七年の地図には「かちどきの渡し」と点線があって、橋はない。調べると、着工 1933年(昭和8年)6月、竣工 1940年(昭和15年)6月14日とある。
子供の頃、「御飯におみおつけを掛けて食べてはいけません」と言われた。伝馬町の牢屋の朝食は味噌汁を掛けた飯だったそうだが、それを知ってのことかどうか。母は「おみおつけ」と言って「味噌汁」とは言わなかった。家を出ると「おみおつけ」と言う人はいなかった。中学二年の時の国語の先生が、丁寧語の説明で「おみおつけ」と言ったのを聞いたのみ。
「ロハ」という言葉が「只」を分解して読んだ洒落言葉だと知り、他に漢字を分解した洒落がないかと調べたところ、小林祥次郞氏が多数の例を簡潔にまとめていた。ただし、「ロハ」のような分解読みは見当たらない。
文字あそび(漢字の分解)前編
https://japanknowledge.com/articles/asobi/02.html
文字あそび(漢字の分解)後編
https://japanknowledge.com/articles/asobi/03.html
幼時のおやつは「おにぎり」だった。まわりに味噌をつけてくれた。
中高の弁当は「海苔弁」が多かった。
コンビニおにぎりで海苔のパリパリ感を味わった時は感動的だった。
しかし「味噌おにぎり」は見たことがない。焼くか海苔を巻くかしないと、商品化できないだろう。
インスタント食品の走りは、「日清チキンラーメン」「渡辺のジュースの素」「渡辺のしるこの素」などか。いずれも60年前。日清は健在だが、渡辺は消えた。
カップ麺はそれから14年後の発売だというが、自分自身でカップ麺を食べた最初というのは思い出せない。
言葉を逆にして喜ぶ人がいる。
「ガサ入れ」の「ガサ」は「探す」の語幹の倒語。
「ドヤ街」の「ドヤ」は「宿」の倒語。
「ネタ」は「種」の倒語。
「レコ」は「これ」の倒語。
「ドサクサ」の「ドサ」は「佐渡」の倒語だという人がいる。これに対し、『日葡辞書』に「ドサクサ」があるから、「佐渡の鉱山で人足が不足すると博徒狩りをするので『ドサを食らった』と言うようになった」というのは俗説だという人もいる。しかし、『今昔物語集』巻26に「能登の国の鉄を掘る者、佐渡の国に行きて金を掘る語」がある。語源考証は難しい。
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