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気が向いたら思いついたことを書いてみます
川崎房五郎はウィキに載っていないが、『東京都公文書館調査研究年報(2015年第1号)』に、
昭和25,26,27年の東京都職員名簿をみると、当時、市史編纂室の中堅スタッフであった鷹見安二郎と川崎房五郎は、文書課文書係に所属する事務吏員となっている。
とあった。
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川崎房五郎『明治東京史話』は、わかりやすく書かれた、おもしろい本だが、誤植があった。245ページに、
森有礼が伊勢の外に参拝し
とある。昭和四十三年桃源社発行。印刷者が社名ではなく、「川瀬壬子」と個人名のような感じだ。ネットを見ると、東京都千代田区神田鎌倉町13にあった「鎌倉印刷」か。ここの誤読・誤植だろう。著者川崎も校正で見逃してしまった。
人間脳の記憶容量は、250GBだという。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/251514
私のPCには、この倍以上のデータが入っている。
昔は記憶力に優れた人の勝ちだったが、今はPCでこれを補うことができる。
昨夕、テレビで「はねず色」をテーマにした襖絵を放送していた。
朱華(はねず)とは、黄色がかった薄い赤色のことです。『万葉集』にもその名が見られる由緒ある伝統色で、他に『波泥孺』『唐棣花』『棠棣』『翼酢』などの字が当てられることもありました。
https://irocore.com/hanezu/
ウィキには、
唐棣とは、庭梅(或いは庭桜)またはザクロの花の古名。
とある。
「はねず色」に輝く絶世の美女の生涯
https://www.asahi.com/articles/ASM343RK0M34PTIL008.html
シャープペンシルを初めて使ったのは、60年近く前。友達が、「駄菓子屋で50円のシャープペンシルを売ってる。これだよ。安いだろ」と見せてくれた。50円は安いと思った。ただ見栄えはよくなく、艶のないブリキ製の太いものだった。繰出式かノック式か覚えていないが、多分繰出式だったのだろう。芯をとがずに済むのは感動的だった。ただ、その駄菓子屋では替え芯などというものは売っていなかったので、入っていた芯がなくなったらお役御免になったと思う。中高大では別のを買って試験の時に使ったが、それ以降ほとんど使っていない。
読売新聞の阿諛追従ぶりが明らかとなった。
新元号発表で露呈、読売新聞の“安倍政権の広報機関”化
https://biz-journal.jp/2019/04/post_27376_2.html
塚田某の発言によって、自民党政治家はヤクザ同様の精神であり、地元利益誘導の権益政治を行っていることが明らかになった。
https://blogos.com/article/369000/
下記の記事から見ても、読売新聞が権力者にすり寄り、忖度していることは明らかだ。
「新元号の原典は漢籍」に喜んだ朝日
http://agora-web.jp/archives/2038141.html
こんな新聞が最大発行部数だというのだから、日本のお先は真っ暗だ。
塚田某が自ら「忖度した」と認めた。新元号についても、マスコミは首相や政府のことを忖度しているのではないか。真の典拠が『文選』であるにもかかわらず、天声人語まで「万葉集」「万葉集」とはしゃいでいる。真実を伝えるのがマスコミの役割だろう。
首相はなぜ原出典の『文選』を隠し、『万葉集』と言い張るのか。それは『文選』の張衡「帰田賦」の内容にある。これは張衡が官を辞して田舎に帰った時の賦だ。首相は選挙で大敗し下野した「悪夢」を思い出させるこれを出典としたくなかったのだろう。病気が重り退陣した「悪夢」を思い出させるこれを出典としたくなかったのだろう。それらの再来を恐れているのか、感知しているのか。
宮崎タケシが、政府の「孫引き」を非難している。
「令和」の元ネタは中国の古典なのに…
https://blogos.com/article/368002/
いくら『万葉集』と言い張っても、『万葉集』の注釈に「『文選』による」と書いてあるのだから、『文選』を隠すのはフェアではない。首相・官房長官等が大学で文献引用のまともな教育を受けなかったことが明らかになった。国辱的元号典拠説明である。因みに、首相は成蹊大学、官房長官は法政大学出身。
森銑三『明治東京逸聞史』1(平凡社東洋文庫)290頁に、
菊五郎が舞台で、ほんものの猿を使って、まんまと失敗した。
とある。これはおかしいのではないか。
『日本国語大辞典』には、
〘副〙 (「うまうまと」の変化した語) やり方が非常にうまいさまを表わす語。ものの見事に。首尾よく。現代では、悪事や企みが巧妙に行なわれるさまをいうことが多い。
とある。この定義に従えば、「まんまと」は、思いどおりにうまく行く場合に使われる。
しかし、太宰治は、
まんまと私は、失敗した。『女の決闘』
まんまと失敗したのである。『花燭』
と書いている。これは森銑三と同様の表現だ。思いどおりでなくとも、うまく行かなくても、程度を強調する表現としても使われたようだ。
もし、慶応の次の元号が「令和」だったら、江戸っ子は、
官房長官に任せておけばいいのにしゃしゃり出やがって、
全く和令(われえ=笑い)たくなるゼ。
などと言ったことだろう。
「和」のつく年号は多い。
承和(平安時代)
仁和(平安時代)
応和(平安時代)
安和(平安時代)
寛和(平安時代)
長和(平安時代)
康和(平安時代)
養和(平安時代)
貞和(南北朝)
文和(南北朝)
永和(南北朝)
弘和(南北朝)
元和(江戸時代)
天和(江戸時代)
明和(江戸時代)
享和(江戸時代)
昭和
令和
十八回全部下の方に現れている。248のうち18というのは多いだろう。
昼前、人出が少なかった。ホームセンターでもドラッグストアでもレジに並ぶ必要がなかった。客はまばらだった。散歩する爺さん婆さんも見なかった。車も少なかった。思うに、新元号の発表を待ってテレビにかじりついていたのだろう。今度の東京オリンピックでも同様になるだろうが、それは暑さのせいで外に出ることができないからだろう。
三好一光『江戸東京風俗語事典』に「玉ころがし」の項目がある。これによると、『明治事物起原』に引く『横浜ばなし』(文久二年)、『横浜奇談』(文久三年)、『異人玉ころがしの図』(明治三年)は、いずれも「玉突き(ビリヤード)」のことだ。成島柳北『航西日乗』明治六年条、『雷名競』(明治十二年)には「衝突(たまつき)」「玉突」とある。東京では、明治十八年に店ができたという。以上、三好一光『江戸東京風俗語事典』によった。
ビリヤードでない「玉ころがし」もある。
篠田鉱造『幕末明治女百話』(岩波文庫)に、「その間にあなた、『玉ころがし』というものがありました。……台に穴が六つありまして、六つの玉を転がして、金の玉が金の座へ入ると、一番よく、大きな金華糖の鯛を貰えますが」とある。これはパチンコの平面版のようなもので、スマートボールの一種ではないか。
明治二十五年には、『玉胡盧雅誌』という雑誌が出た。一頁の挿絵を見ると、直径1メートル足らずの玉を転がしている。運動会の玉ころがしのようなものだ。しかし、金升の「発行の告条」には、「近き頃流行物の一と聞えし遊戯にして今は玉つきに奪はれたれど」とある。これは、「昔は『玉ころがし』と言っていたが、最近は『玉突き』と言うようになった」という意味だろうか。
「春眠」とはよく言ったものだ。この所、快適な睡眠が続いている。睡眠・栄養・運動が健康の基本らしいが、「運動」については不足だろう。運動しながらでは本は読めない。
あるブログ記事に、
〝止め〟をさされた
とあった。これは「とどめ」としか読めない。
「止」には、「とまる」「とめる」「やむ」「やめる」「とどまる」「とどめる」の訓読みがある。「とまる」「とめる」以外は常用漢字表にない読みだ。「やむ」「やめる」「とどまる」「とどめる」の場合は、仮名書きにするか、ルビを振るかすべきだろう。
ボウリング場が、テニス+フットサルに変わっていた。半世紀ほど前にはテレビ番組すらあったボウリングが凋落のようだ。
昼に入った食堂のメニューに「ロコモコ丼」とあった。どんなものかわからないので注文しなかったが、帰りに見ると、ウィンドウにサンプル写真があった。それを見てもわからない。焦げ茶色の塊が何なのか分からない。ネットで調べると、「ハンバーグと目玉焼きをご飯の上に乗せてグレービーをかけた」ものとのこと。
今朝、牛丼屋で、私の後から入って来たアラフォーの男とアラサーの男とが、相次いで「牛丼ミニ」と注文したのに驚いた。「草食化」だけでなく「少食化」も進んでいるのか。これから仕事が始まるというのに「ミニ」で大丈夫なのだろうか。
今朝、鶯の鳴く音を聞いた。燕の飛ぶのも見た。「梅に鶯」は昔の話。今は、「桜に鶯」「桜に目白」「桜に燕」だ。
鉄道自殺の第二号は、明治九年九月二日午後七時三十分、川崎でのことだという。三十二、三の職人ていの男。これは『東京日日新聞』明治九年九月五日の記事による。新橋横浜間の鉄道開通は明治五年である。
では第一号はというと、これより先に神戸大阪間であったという。以上、『明治大正史談』第三輯(昭和十二年四月)による。
明治・大正・昭和・平成と、どれほどの人が鉄道で自殺したのだろうか。
萩原健一の記事で、
コンビーフ缶詰を開けて牛乳を飲むオープニングシーンが社会現象となった「傷だらけの天使」
https://www.sanspo.com/geino/news/20190329/geo19032903000005-n3.html
とあるのに驚いた。独身時代、時々コンビーフを食べていたからだ。しかし、私は「傷だらけの天使」を見ていない。
ウィキで「傷だらけの天使」を見ると、
1974年10月5日から1975年3月29日まで
とある。私のほうが先だ。私がコンビーフを食べたのは1973年だ。安物には馬肉が入っていた。缶の開け方が面白いので、何度か食べた。
仲田定之助『明治商売往来』(青蛙房。昭和四十四年)に、
あの頃(注=明治中期)の贈答品はたいがい盆の上にのせて差出すのであるが、受けた側では必ずその盆に付木の束をのせて返す慣わしがあった
とある。「付木」とは、「杉や檜などの薄い木片の一端に硫黄を塗りつけたもの。火を移し点じる時に用いる」(『日本国語大辞典』)である。
これで、昔を思い出した。
私が小学生の時、母に命じられて季節のものやおすそわけを、お産婆さんの高橋さんの所へ持ってゆくと、高橋のおばあさんは、「ちょっと待ってね」と言って、マッチを一箱お盆の上に乗せてくれた。そんな経験を何度かした。
明治も昭和も同様だった。今、こんなことをする所があるだろうか。
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