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気が向いたら思いついたことを書いてみます
迷惑メールフィルターにかかったものを見ると、世の中には暇な奴がいるものだと感心してしまう。
Subject: i don't know where i am
Subject: can you help me?
Subject: I really need help
Subject: Oh, where have you been all my life!
Subject: let's do it tomorrow
Subject: Do you know how to turn a girl on?
これらは発信人名義は異なっているが、同一人物(同一組織)のものではなかろうか。私は、英語がわからないので、こんなものにはひっかからない。タイトルの意味さえわからないものがある。
Yahoo! や BIGLOBE や、某銀行など、有名な、そして現在私の利用している所を騙って出してくるものもある。特徴は、日本語がなっていないことだ。一読して日本人の書いたものではないことがわかる。
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の花が咲いた。控えめな薄紫はけなげだ。だが、今年はハナミズキもオウチも、どこか精彩に欠けるような気がする。天変地異の予兆でなければよいが。
樗は歴史的仮名遣いでは【あふち】だ。唱歌「夏は来ぬ」の四番を、あるCDで【オウチ】でなく、【アフチ】と発音していたのには笑った。
大阪のド真ん中に「ここに砂場ありき」という石碑が建っているのを知った。表面には大きく「ここに砂場ありき」とあり、裏面には説明文が彫ってある。ネットには紹介記事が多々あるが、この裏面の文を全部紹介しているものはないようなので、ここに写しておく。
  本邦麺類店発祥の地
   大阪築城史蹟 新町砂場
 天正十一年(一五八三)九月、豊太閤秀吉公大阪築城を開始、浪速の町に数多、膨大を極めて資材蓄積場設けらる。ここ新町には砂の類置かれ、通称を「砂場」と呼びて、人夫・工事関係者日夜雲集す。人集まる所食を要す。早くも翌天正十二年、古文書「二千年袖鑒」に、麺類店「いづみや」「津の国屋」など開業とある。即ちこの地、大阪築城史蹟にして、また、本邦麺類店発祥の地なり。
                                                  坂田孝造 識
坂田孝造とは何者か、と調べると、大阪の新聞記者でそば研究家とのこと。私費で建てたのだろうか。詳しいことはわからない。
ここから東北へ数百メートル、御堂筋のド真ん中には「此附近芭蕉翁終焉ノ地」の石碑がある。余りにも淋しいと思ったら、南御堂に「史蹟 芭蕉翁句碑」というのがあって「旅に病んでゆめは枯野をかけめぐる」の碑その他があるようだ。
人が死ぬ度にお墓を作っていたら、地球は墓場だらけになってしまうと思うのだが、そうはなっていない。石碑・銅像なども、過去に建てられたものの何割が残っているのだろうか。江戸にあったお稲荷さんはほとんど取り壊された。永遠に残るものなど、ない。
ネット記事に次の記述があった。
僕は、インターンシップに参加した学生さんによく言っていることがあります。それは、「『アイデアを考えなさい』という表現に惑わされないように」ということ。なぜならば、“アイデアを考える”ということ自体が、じつは間違っているからです。本来アイデアというのは“思い付き”でしかなく、考えるものではないのです。
思い付くというのは、いろんな情報が自分の中に入り込んで、たまたま何かと何かがパッとくっついた時に新しいものが生まれる、ということであって、順序立てて考えた結果として思い付くことは、あまりありません。
科学の世界ですら、何らかの偶然がないと思い切った発想や発見にはつながりませんよね。つまり、思い付くというのは、努力しても難しいのが現実かなと思っています。
ただ、目的に対してどういう解決方法があるのかを“考え続ける”ことは無駄ではありません。日頃から考え続けることは誰にでもできるし、考え続けることで気付きを得ることはできると思うのです。
何となく心の中に問題意識があると、ある時突然、「あ、そういえば」とハッと“気付く”ことができます。思い付くというのは、生み出すというより気付くに近いことなんです。思い付くためにできることを強いて挙げるなら、日常の中でいろんな情報を絶えずインプットしながら、視野を広げておくことです。
アイデアは、考え続けた先で気付くもの
https://dentsu-ho.com/articles/6620
同感だ。ただ、私は「考え続ける」ことはせず、思いつきと偶然に任せている。
樋口一葉『たけくらべ』に、
くちなし染めの麻だすき成るほど太きを好みて、十四五なるより以下なるは、達磨、木兎、犬はり子、さまさまの手遊びを数多きほど見得にして、七つ九つ十一着くるもあり、大鈴小鈴背中にがらつかせて、駈け出す足袋はだしの勇ましく可笑しく
とある。これは明治初期祭礼での子供のいでたちである。襷に達磨・木菟・犬張子をくくりつける、という風俗は、戦後生まれの者には見当もつかない。しかし、浮世絵にはあるようで、『浮世絵のなかの江戸玩具』という本があった。注文したばかりで到着待ちだが、達磨と木菟の組み合わせについては、内田魯庵『思い出す人々』、宮武外骨『奇態流行史』などに記述がある。
因みに、『全集樋口一葉』第二巻(小学館。昭和五十四年)では、この達磨・木兎について注釈はつけられていない。これよりも詳しい注釈書はあるのだろうか。国文学論文目録データベースで「たけくらべ」を見ると、336の論文が登録されている。この中にはあるのだろうか。
豊田章男が「現状では終身雇用を続けていくことは難しい」と言ったそうだ。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/syukatsu/syukatsu10-84/
終身雇用を文字通り解釈すれば、「死ぬまで」雇い続ける、ということだ。そんな会社はありえない。
「定年雇用」を「終身雇用」と言い換える根性が理解できない。
豊田章男も「現状では定年雇用を続けていくことは難しい」と言うべきだ。
政府が70歳まで働けるように、と言っているのに、豊田は、「それはできない。65歳まで、いや60歳までにしてくれ」ということなのか。それとも「定年制はやめる。新卒入社は35年以内、途中入社は20年以内にやめてもらう」ということなのか。あるいは、「百円ショップ業界・ファーストフード業界のように、トヨタも八割以上を非正規とする」ということなのか。いずれにせよ、方針を明確にできないのでは経営者失格だ。
因みに、大日本帝国憲法下では、判事や陸海軍将校などについて、死ぬまでその身分を失わない「終身官」という制度があった。天皇も昔は死ぬまでやらされたが、今回変った。しかし、「生きている限り働いてください」などという株式会社はない。
ゴーンというとカルロス氏ということになってしまったが、本来は鐘の音だ。大きな鐘ならゴーンだが、小さな鐘ならコーン。
斎藤緑雨『ひかへ帳』に、
この恨一生忘れじと篁村氏の語られしは、本釣鐘コーンと書きしを、おもひ遣りは寧ろ深かりし校正係の、無論鐘なればゴーンなるべしと、まんまと全文を音のみならず、濁し了りぬと
この校正係は「本釣鐘」を知らなかったのか。カルロス氏も、コーンどころかゴーンとでかいことをやってのけたようだ。
ウィキペディアの記述に間違いを見付けた。「久保田米僊」の項に、
『京都日日新聞』の挿絵を描いたり、風刺雑誌『我楽多文庫』の編集に関わる。
とある。『我楽多文庫』は諷刺雑誌ではないし、京都にいて東京の『我楽多文庫』の編集に関わることはできない。『我楽多文庫』ではなく、『我楽多珍報』である。

前記の本に、
おまけに三十三四で、目にはありましたが、水の垂れるやうな男前でしたから、堀の芸者などにも、随分持てたもんでした。
とあるので、首をひねった。
「目に」があるのは当り前だろう。目にがなかったらヘビか?
おそらく、これは
眼にはありましたが
の間違いだろう。手書き原稿の「」を「」としてしまったものと考える。
「目に」があるとは、目つきが鋭い、けわしい、ということだ。
近年はパソコンでの誤変換による誤字が目立つが、人間脳の誤認識による誤字もある。
「奉公」とあるべき所が「奉行」となっているのを時々見る。
「ほうこう」と打ち込んで変換すれば、「奉行」は絶対出ない。人間が「奉公」を「奉行」と勘違いして「ぶぎょう」と入力してしまうのだろう。
戦後「奉公に行く」人などほとんどいなくなったが、時代劇で「奉行」は出てくる。
今日は昭和十八年四月十五日発行の本に、
直ぐの弟は入谷の菓子屋に奉行して居りましたが
お袋と相談の上で、堅気の商人へ奉行させて置いたんです
とあったので驚いた。この時代には「奉公」に出る人が多かったはずだが、それでも「奉行」と間違えている。
平成生まれの人には信じられないだろうが、旧国鉄の列車のトイレは垂れ流し(底抜け・開放式)であった。子供のころ、下の枕木や砂利が見えたのを覚えている。
流石ウィキ、「列車便所」という項目があった。
明治時代以来、列車便所は専ら「開放式」と称して、汚水管を線路上にそのまま開放し、自然流下させるもので、便器の穴から線路が見えるストレートな構造のものもあった。古くは鉄道沿線に住宅がほとんどなく、田畑においても下肥が重用されていたような時代もあったにせよ、沿線の都市化が進んだ戦後に至るも、昭和の末期に国鉄が分割民営化されるまで、実態は長年にわたって変わらなかった。
私が体験したのは汚水管式ではなくストレート式である。
『滑稽新聞』第二十九号(明治三十五年五月二十日)に、正岡芸陽の「四ツ目屋事件」という文章が載っている。
四ツ目屋事件とは何ぞや高等女学校教科書として文部省の検定を得たる「女学〈ママ〉国語読本」の中に石川雅望の筆になれる左の一節なり
さてそこを出でゝさまよひありくに佐々木の家の幕じるしかと思ふばかりなる紋つけたる軒あり薬ひさぐにや長命帆柱など金字の札をかけたり長命とは不死の薬なるべし帆柱とは何ならむもしくは風の薬といへるなぞなぞにやかゝるむづかしげなる薬さへ其意えて買ふ人のあればこそ営業となし世を渡るめれといとをかし
と、之れ長命或は帆柱なる淫薬店の店頭を写したる者也、苟も女子教育の読本中に斯かる淫猥なる記事ありとすれば、何人も其余りに滑稽なるに抱腹するを禁じ得ざるべし
編者落合直文は四ツ目屋を知らなかったらしい。落合のみならず、検定をした文部省のお役人(何人が担当したのか)ことごとくが知らなかったというのも妙だ。
暴動とは別に、期せずして起る集団舞踏が社会現象となったことがあった。幕末の「ええじゃないか」は有名だが、昭和八年夏、東京のあちこちで「東京音頭」を歌い舞う群集が見られたという。日比谷公園では、「大内山に谺して陛下の御寝を妨ぐ」と警察から注意があり夜九時閉会とされた。
第二次世界大戦後、このような現象は起きていないのではないか。21世紀になって「フラッシュモブ」というのが見られるようになったが、これは仕組まれたものであり、群集というほどでもなく、しばらくすると解散してしまう。
暴動も集団舞踏も起きないのは平和の印だろうか。
エレベーターガールという人がいた。さすがウィキペディア、「エレベーターガール」の項目があった。
現状
バブル崩壊後、人件費削減など諸般の事情により、1990年代終盤を以って一部の百貨店店舗や一部の展望施設を除きエレベーターガールを廃して自動運転としている。
いつだったか、大阪駅前「大丸」に行った時、エレベーターガールがいなくなったのに気づき、驚いたことがある。平成初年だろうか。ウィキによると、デパートでもまだエレベーターガールのいる所があるようだ。
永井荷風『日和下駄』に記された閑地
瑞聖寺門前の閑地
神田三崎町調練場跡
小石川富坂砲兵工廠日避地
下谷佐竹ケ原
芝薩摩原
日比谷公園
丸の内三菱ケ原
東京府庁前の閑地
桜田見附外
芝赤羽根海軍造兵廠跡
戸山ケ原
四谷鮫ケ橋と赤坂離宮の間の火避地
市ケ谷監獄署後の閑地
芝浦の埋立地
某学院長解雇に関連して、
文系の学問において資料の実在を証明するものとは何か
https://anond.hatelabo.jp/20190510230425
という記述があった。
細胞ならいざしらず、文献を捏造するとは、開いた口がふさがらない。
関東大震災・第二次世界大戦で多くの文献が烏有に帰した。それ以前の人が見ていたものを、我々は確認することができない場合がある。
宮武外骨『奇事流行物語(奇態流行史)』に、
山中共古子の説に、童子手習文章に東海道五十三次を尻取り文句にしてある。
とあるが、『童子手習文章』という本は、国会図書館にも、大学図書館にもない。国文学研究資料館の「日本古典籍総合データベース」を調べてもない。山中共古ともあろう人が文献を捏造するはずがないから、この本はかつてはあったのだろう。運がよければ海外に流出しているかもしれないが、そうなると、外国語のできる人でないと調べられない。
某学院長解雇に関連して、
文系の学問において資料の実在を証明するものとは何か
https://anond.hatelabo.jp/20190510230425
という記述があった。この人は歴史研究者のようだ。結論は次のとおり。
注はちゃんとつけよう。もしもあなたが捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料の実在を証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなたの研究の誠実性を証明できるのは、人文系の学問においては、注だけなのだ。
注にも二種類ある。この人が言っているのは「研究注」。研究論文・研究書において、典拠・レファレンス・補足を記すものだ。これについては、紙幅の都合がない限り、無理に注にせず、本文で記述してもよいと私は考えている。これとは別に、古典文学などについて、難しい言葉に説明をつける「語注釈」がある。
岩波文庫『幕末の江戸風俗』を出すことになった時、「注を付けてください」と言われ、そこから悪戦苦闘が始まったが、やってみると楽しい。江戸時代のことは当然だが、明治時代のことでも調べないとわからないことが多い。日本近代文学作品にまとまって注がつけられたのは、角川書店『近代日本文学大系』が嚆矢だろうか。最近では岩波書店『新日本古典文学大系 明治編』でも注がついた。今後は、大正・昭和のものについても注釈が必要になってくるだろう。
本が並んでいる写真を見るのは楽しい。舞台などでも、一人よりは複数のほうが見栄えがする。何とか48の類も一人ではどうしようもないから、多人数で誤魔化そうというのだろう。
ほとんど背表紙だけの図書館(中国・天津)
https://www.afpbb.com/articles/-/3151023
ツタヤはこれを真似したのか!
発禁図書館というのはないのかしら?
廃墟写真家がいるようだ。
何年も前に見捨てられたこれらの土地。現在の姿を見てみよう
https://www.editorchoice.com/these-locations-were-abandoned-years-ago-jp/
奈良ドリームランドがあるのには驚いた。千葉県の行川アイランドは、40年以上前に行ったことがあるが、2001年8月廃園になったという。ウィキによると、「勝浦シーサイドパークリゾート(仮称)が2020年春より着工予定」となっているので、廃墟を撮るなら今のうちだろう。
廃線散歩というのも時々記事で見かける。
永井荷風『冷笑』に吾妻橋畔から乗った川蒸気船での絵葉書売りが出てくる。
すると最後に乗込んだ黒眼鏡の筒袖は腰掛の上に鞄を開いて先づ二三枚の絵葉書を取出し、
「船中のお退屈まぎれ。毎度皆様方の御贔屓になりまする絵葉書。今回御覧に入れまするはお児様方のお慰み、教育武士道絵葉書に御座ります……。」と云ひ出す口上に、今まで河面に注がれてゐた乗客の視線を一度に引き集めた。
「最初に御覧に入れますは武田信玄上杉謙信川中島の合戦、この通り美事な極彩色、次には源の牛若丸鞍馬山の場に御ざります。光線にすかすと月に村雲は此通りはつきり透絵になつて居ります。」と一枚一枚説明して、開いた扇のやうに、五本の指の間に絵葉書を挟んで行つた。
〈中略〉
絵葉書売は広げた絵葉書を革包の中にしまひかけて、「都合揃つて十五枚、今日は特別の廉価を持ちまして僅に五銭、一枚はほんの三厘にしかなりません。次の言問で御免を蒙ります、お望のお方はどうぞ唯今の中……。」
これは、明治四十二、三年頃の風景。明治の一時期、絵葉書がはやった。
『優秀印刷会社一覧』という本があるのを知った。
https://www.amazon.co.jp/全国組合員名簿-平成25年版―優秀印刷会社一覧-全日本印刷工業組合連合会/dp/4888842051/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=優秀印刷会社一覧&qid=1557362526&s=books&sr=1-1-fkmrnull
平成25年版より新しいものは見当たらないから、もう出していないのだろう。優秀と優秀でないものとを、どう見分けるのか、誰が判定するのか。タイトルからして怪しげな本だ。昔は名簿作成と称して金を取る商売もあったようだ。
今は本の名簿ではなく、デジタルの個人データをやりとりして儲けている連中がいるらしい。「顧客データ流出」などというニュースを時々見かける。
労咳は肺の病気だが、老害は頭脳の問題だ。
当てはまったら老害認定される5つの行為
http://agora-web.jp/archives/2038892.html
①相手の話は聞かない(99%は自分の話)
②価値観の押し付け
③永遠に続く武勇伝
④暴力的である
⑤新しいものは否定
自戒、自戒。
悪性脳腫瘍で6月にも治験 岡山大発見のがん抑制遺伝子製剤
https://www.sanyonews.jp/article/896648/
岡山大は8日、悪性度の高い脳腫瘍の患者に、同大が発見したがん抑制遺伝子「REIC(レイク)」を用いた製剤を投与する治験を、6月にも岡山大病院(岡山市北区鹿田町)で始めると発表した。
科学・医学がどんどん進歩している。
中込重明氏は、脳腫瘍で入院、一年も経たずして39歳でなくなった。
素人考えでは、頭脳を酷使すると脳の病気になるのではないかと思う。私は頭をあまり使わない(使えない)ので、脳腫瘍にはならないだろうと安心している。
【箱売】(はこばい)という言葉がある。国語辞典類には載っていないが、尾佐竹猛『下等百科辞典』には、
箱売とは、箱即ち汽車中に於ける売、即ち商売を云ふので、汽車の中売りのことだ。昨年〔注=明治四十三年〕鉄道営業法が改正になつて、これを禁ぜられたが、それ以前は必ず汽車中にあつたもので、これは一二等にのみ乗らるる上流社会の旁々は御存知はないが、我々赤切符連は、前刻御承知の所である。
として詳細に記述している。絵葉書・安本などを売った。
私が『明治大阪物売図彙』(平成十年)を出版した時、『大阪朝日新聞』明治三十五年二月十八日のコラムに「汽車中の書物売」というものがあった。いろいろ調べたが、それらしきものが見あたらないので、
諸書に「汽車中の書物売」なし。
として済ませた。刊行後、青木元氏から「こういうものがありますよ」と資料を送っていただき、不明を恥じた。
『大阪出版六十年のあゆみ』(昭和三十一年)に、
当時〔注=明治末期〕の正式な販売ルートは、小売店を通じて一般消費者に販売されていたが、榎本法令館は特殊な売捌き方法を案出した。それは販売員を使って直接顧客に売るものである。その出版物は、児童の絵本・ポンチ絵(漫画)本、大衆の簡易な読物であって、絵本類は木版活版色刷、読物は××悲話、××心中などという「きわもの」の、薄ペラいものであり、内容は低級なものであって、玩具類似品であった。
関西線の湊町―天王寺間、大阪駅から、吹田、神崎間、片町線などの列車の中や、川口から出帆する大阪商船の定期航路の船中(神戸までの間)に、必ず現れて、
「おなじみの榎本法令館であります。お子達のおみやげに絵本桃太郎をおすすめします。一冊定価××銭ですが、本日は勉強しましてモー一冊金太郎を添えます。それから……と一冊一冊を加え、最後に読物を加えて全部で十冊、これで一冊の定価の××銭でおわけします」
といった具合に、うまく引きつけて近在の農家やお上りさんの乗客に売りつけていた。この方法は大いに成功して法令館はメキメキ発展していった。
とある。
その後、隅田川の一銭蒸気でも本を売っていたことを知った。
今井栄『墨東歳時記』(昭和四十九年)に、
都鳥ののんびりと水面に浮かんでいるそのころの隅田川は、水もきれいであったし、両岸の眺めもまだ美しかった。この川筋をのどかに走った蒸気の姿は、今さらに懐かしいものであるが、忘れられないのは、吾妻、言問の間、また白蒸気でいえば、おんまや橋、横網の間で、いつも見られた物売り風景である。子供心にも、どうしてあんなにおまけがつくのだろうと、不思議に思うほどにおまけがつく。「船内は特別の大勉強、本日は、なお加えまして」などと口上をいゝながら、色彩も美しい絵本を五冊も、六冊も、八冊も九冊も、はては十冊あまり、扇形に並べて手に持って客の購買心をそゝる。今日のように、子供雑誌や教育絵本などの、まだ現れなかった時代である。桃太郎や、かちかち山などのおとぎ話、牛若丸や金太郎の昔話、さては、きつねに化かされのような馬鹿げたものまであった。本所、深川、あるいは向島に育った五十以上の人々は、浅草の観音様の帰りの、蒸気の中の不思議な光景を、はっきりと覚えておられることであろう。
とある。今井栄は明治三十四年生まれ。この話は明治四十年代のことだろう。
漢字の読み方がさまざまであること、古来多々言われている。
【木下】
人名は「きのした」だが、千葉県印西市の木下は「きおろし」。鉄道駅もある。
【木下川】
川の名前ではない。ウィキには、
この地は中世には「木毛河(きげがわ)」と呼ばれ、江戸時代に入ると「木下川(きねがわ)」と呼ばれるようになった。
とある。
鏑木清方『明治の東京』岩波文庫157ページに「きのしたがわ」とルビがあり、
鶯亭金升『明治のおもかげ』岩波文庫38ページに「きげがわ」とルビがあるのは不審。
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