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気が向いたら思いついたことを書いてみます
名文にもいろいろあるが、やはり口語文よりは文語文のほうがよい。特に死者を悼む文章は感情が籠っていてすばらしい。
『文芸倶楽部』第二巻第十五編(明治二十九年十二月十日)の「樋口一葉女史を悼む」は、稀代の名文と言ってよいだろう。
◎樋口一葉女史を悼む  一たび浮世の『濁り江』に、其才筆を染め、人生無限の恨を寄せてより、爾来明治才媛の名日々に高く、『十三夜』に、不遇の恋を写し、『たけくらべ』に、少女の果敢なき恋を描き、其想は、高く人意の表に出で、其文は、優に明治詩界の重きを為し、巾幗者流の文豪として許されたる一葉女史樋口夏子の君は、尚二十五歳の齢を以て逝きぬ、哀しい哉。
抑々女史は、其年十七にして父を喪ひ、爾後は、老母と幼妹とを、わが身一人にて保育し、具さに人生幾許の辛酸を嘗め、なかなか読書問学の暇とてはなく、小学すらも卒業せず、今より十年前花圃女史等と共に、僅かに中島歌子女史に就て歌道の一端を学びしことのあるのみなるに、天才はよく女史をして金玉の作を出せしめぬ。
女史人と語ることを好む、今年の夏の暮れ八月頃より図らずも肺炎を患へて、爾来病勢愈々篤く、或る日親しき人の訪ひし時、枯容悄然静かに語りて曰く、『妾は不幸にして処女時代を有たず、常に家計のことに齷齪して、妾が半生は殆ど涙のみ、唯慈悲深き母をして、聊かも心を安んぜしむるものなく反つて痛恨を増しむるを悲む』と。斯く北堂に孝心深かりし人とて、其病に悩めるうちも、絶えず面に微笑を帯て、苦悶の状を示さず、十一月廿三日午前十一時永く此世を辞する四五時前も、微声を洩して笑ひつゝ逝けりと、蓋し北堂の心を安めむとてのことなるが、誰か其心情の優にやさしきを感ぜざらんや。されば女史が、其心華を咲しめし著作を見れば、総て社会逆遇の人に向つて同情を表するが為めのものにして、読者一点の霊心、知らず知らず何物かに感動するある所以は、唯之れを以てのみ。
嗚呼女史逝きぬ、十一月廿五日築地本願寺に葬る、文壇知名の文士多く会葬し、本館々主亦之れに会せり。嗚呼玉砕く、本郷丸山福山町女史の空屋、復琤々の声を聞く能はず、哀しい哉、倶楽部記者こゝに一句を賦して、永く無限の恨を寄す。
   木がらしや、暮れ行く空に月の影。
さて、この筆者は誰か。奥付には、「編輯人宮澤春文」とある。しかし、『文芸倶楽部明治篇総目次・執筆者索引』の解題は、「名義上の編輯人が実質的な編集長とは限らない」として、「博文館編輯局のトップであった大橋又太郎(乙羽)が「実際の編輯」担当でもあった」とする。
ウィキペディアの「大橋乙羽」の項には、
樋口一葉とは1895年(明治28年)に半井桃水から紹介されて知り合い、乙羽の依頼で一葉は「ゆく雲」「にごりえ」など代表作を発表している。また乙羽の妻・ときも一葉から和歌の指導を受けるなど夫婦で親交があった。
とある。
よって、この追悼文は大橋乙羽の手になるものであろう。
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明治五年、徴兵令が発布された。一般庶民はできれば兵隊などにはなりたくない。明治十三年『小学作文的例』には、徴兵免役願の書式が示されている。
   徴兵免役願
私何男某儀本年廿歳ニ相成服役可仕筈之処家事差支有之候ニ付代人料弐百七拾円上納仕候間常備後備両軍共御宥恕被下度奉願候也
  年月日   住所族籍氏名印
  陸軍徴兵署御中
金があれば徴兵を逃れることができた。この他、他家へ養子に行くという手もあった。『古書肆「したよし」の記』に「兵役回避のための養子縁組」の章がある。
ある本に「喝道」に「ドゲザ」とルビが振ってあった。
『日本国語大辞典』の「喝道」は、
① 大声でしかりつけること。どなりつけること。叱咜(しった)すること。
② 貴人の通行の際、先頭にたって声をあげて、通行人を制すること。さきばらい。
となっている。
『世界大百科事典』の土下座は、
屋外での跪礼すなわち土下座は《弘安礼節》にもみえ,江戸時代には大名の通行に際して庶民は土下座をさせられた。一方,武士もまた身分によって,宮方や上級の公卿には土下座する定めであった。
となっている。
ウィキペディアには、
近代まで庶民が貴人に面会するときも土下座をするのが通常であった。近世の大名行列に対し、行きあわせた庶民は土下座をしなければならないという認識もあるが、実際に土下座の義務があったのは将軍、御三家、およびその地の領主に対する場合のみであった。他方で義務がなくとも自発的に土下座をする庶民もいた。
とある。
「喝道」に「ドゲザ」とルビがあるということは、先払いの声に応じて通行人が土下座をしたということなのだろう。
livedoorニュース見出しに、
伊調教師 複数トラに襲われ死亡
とあった。伊調馨の先生が死んだのかと思って見ると、全く違った。
イタリアのサーカスの調教師
であった。
しかも、この見出しの2行下には、
伊調陣営コーチ 暴言で一発退場
とある。
ポータルサイトのニュース見出しには、このように誤解を招く、あるいは複数に解釈できるようなものが時々見られる。読者の気を引いてできるだけアクセスを増やそうという作戦だろうが、姑息だ。
「馬」という字を左右反対に書いたものを見たことがある。ゲンかつぎかと思っていたが、岸井良衛『女芸者の時代』(青蛙房)に、
三味線の胴の裏に左書きで馬と一字書く。由来は明らかでないが、職分にある三味線弾きは書かない、芸者に限られている。芸の上達を願がけするときに、左手で絵馬をあげる習慣が古くからあるという。また左癖の馬は出がいゝと言われている。その辺からの迷信と思うが、不詳。
とあった。三味線に書かれたものは見たことがない。
ネットには、天童の将棋駒に「ひだり馬」があった。
「馬」の字が逆さに書かれている「左馬」(ひだりうま)は、天童で生まれた天童独自の将棋駒です。このあたりでは、家を新築した方や商売を始めた方への贈り物として重宝されています。というのは、「左馬」は福を招く商売繁盛の守り駒とされているからです。
左馬は「馬」の字が逆さに書いてあります。「うま」を逆から読むと「まう」と読めます。「まう」という音は、昔からめでたい席で踊られる「舞い」を思い起こさせるため、「左馬」は福を招く縁起のよい駒とされています。
「馬」の字の下の部分が財布のきんちゃくの形に似ています。きんちゃくは口がよく締まって入れたお金が逃げていかないため、古来から富のシンボルとされています。
馬は人がひいていくものですが、その馬が逆になっているため、普通とは逆に馬が人をひいてくる(=招き入れる)ということから商売繁盛に繋がるとされています。
馬は左側から乗るもので、右側から乗ると落ちてしまいます。そのようなことから、左馬を持つ人は競馬に強いといわれています。
 このようなことから、「左馬」は福を招く商売繁盛の守り駒とされています。「左馬」は置き駒や根付け駒、キーホルダーとして将棋駒屋さんやおみやげ屋さんに並んでいます。みなさんもおひとついかがですか?
「寸借詐欺」なども、そのうち死語になるのではないか。今の若い人には、「寸」が何故「ちょっと」なのか解らないだろう。「寸尺」も「寸借」も使われなくなったから、「寸借詐欺」が使われなくなるのも時間の問題だろう。
子供の頃、「シックな」という言葉をよく聞いた。これもいつしか死語と化したようだ。『日本国語大辞典』には、
(服装などについて)あかぬけていて、粋で、しかも上品で落ち着いているさま。
とある。今は、これを何と表現するのだろうか。
「銀座のバーの女給にトテシャンがいた」という文があった。「トテシャン」とは初めて見る言葉だ。明治以降、美人のことを「シャン」と言ったから、「トテシャン」とは「とてもシャン」つまり「すごい美人」の意味なのだろうと思ったが、その通りであった。
『日本国語大辞典』には、
とても美しい人、すごい美人の意の俗語。
とあった。第二次世界大戦後は美人のことを「シャン」とは言わないだろう。
「行潦の鮒」とあった。初めて見る言葉だ。「井の中の蛙」と同義か。
『文芸共進会』第二号に「蓼くふ虫」として、諸家の好物が挙げてある。一部抄出。
物徂徠……炒豆
服部南郭……小豆飯
菊池容斎……寺納豆
服部波山……土当帰(ウド)
山内容堂……ダボ鯊
梁川星巌……羊羹
夜雪庵金羅……薯蕷汁(トロロシル)
渡辺崋山……団飯醤油焼(ムスビノツケヤキ)
佐藤信淵……山慈姑湯(カタクリ)
鷲津毅堂……慈姑(クワヰ)
大沼枕山……豆腐
大橋訥庵……鰻蒲焼
藤田東湖……鰻蒲焼
市河米庵……蕎麦麪
鈴木重胤……五目鮓
佐藤一斎……蕎麦麪
大久保一翁……煙草
成島柳北……煙草
菊池三渓……茄子鴫焼
頼山陽……餅
「好物」と言っても、年齢や季節によって変わるのではなかろうか。何年も何十年もこだわるようなら、本当の好物かもしれない。しかし、あまり偏するのはよくないのではないか。驚いたのは、柳北が肺を病みながら煙草を好んでいたらしいこと。これでは短命なわけだ。48歳で歿。
7月3日午前10時前、公園でクマゼミが鳴いていた。休み休み数秒ずつ。まだ本格的ではない。
『日本国語大辞典』記述の不備を見付けた。
おだて【煽】〔名〕おだてること。扇動。「おだてに乗る」「おだてと畚(もっこ)には乗るな」
おだて【小楯】一楯 二(枕)地名「やまと」にかかる。
おだて【苧経】麻糸を経として編んだ敷物。
おだてに乗る そそのかしてある事をさせようとする他人の意図に添った行動をする。人におだてられてその気になる。
「おだて」関連項目は以上である。
しかし、日置昌一『ものしり事典』には、
むかしから諺に「おだてともつこに乗るものじやない」と言われているが、その「おだて」は煽てるの「おだて」の意味ではなく、牢獄における重病の囚人を乗せる紐のついていない、こんにちの戸板か担架のようなものであつてもつこは土をはこぶものをいい、これもやはり拷問などで身体の自由を失つた囚人などを乗せたものである。このように獄囚が本牢から病人牢の溜へさがるとき、おだてやもつこに乗せて移したため、そうした身分になつてはいけないという意味から生れたことばである。
とある。
別の文献には、江戸時代の牢内で病気になった者につき、
奉行所の招喚あれは土を荷ふもつこ若くはをだてに助けられ頑鈍、無智の非人に担がれ用捨なく動揺せられて奉行所に至る
とあるので、「をだて」が「もつこ」と同様のものであったことがわかる。
『日本国語大辞典』等の国語辞典は以前に出た国語辞典はチェックしているが、『ものしり事典』のような事典類、日置のような「大学大学院で研究者としての道を歩んだのではない人」の研究を重視していない。それが「おだて」の解説に露呈している。
温水洗浄便座の代名詞となったウォシュレットだが、ウィキペディアに書いてない事実に気付いた。
商品名が、
WaSHLeT
となっている。母音だけ小文字だ。
ネットを見ても、このことに触れている記事はないようだ。他にもアルファベットの一部分を小文字にした商品があったような気がするが、今思い出せない。
早蕨の握りこぶしを振りあげて山の頰面春風ぞ吹く
先代文楽の落語『愛宕山』に出てくる狂歌だが、よく出来ている。
幕末明治の落語家がひねったものだろうか、出典を明らかにできない。
早蕨の握りこぶしを振りあげて山の横づら春風ぞ吹く
とする文献もある。
明治初期、日本橋浜町大橋際に「サラトガ湯万千楼」という温泉施設があった。浴衣付き一人一銭五厘。私は「サラトガ」を全く知らなかったが、アメリカに複数ある地名。ニューヨーク州のサラトガは温泉で有名とのこと。明治初期の温泉経営者は、どうしてこの名前を知っていたのか。渡米経験のある有識者からアドバイスを得たのか。
浅草区には「カルルス湯保生軒」という温泉もある。私は「カルルス」も知らない。北海道登別市にカルルス温泉があるとのこと。これにあやかったのか。
「草津湯明治軒」(日本橋区)「熱海温泉熱海庵」(日本橋区)などがあるので意表を突いたものか。
地名ではなく、「ヨジューム湯」「アルカリー湯」というのもある。ヨジュームとはヨー素・ヨードのこと。
横文字でタイトルを記した小説の嚆矢は何だろうか。
今日は、明治二十二年一月に「YES AND NO.」という作品が紅葉によって発表されているのに気付いた。
これより古いものがあるかどうか。
『春色梅兒與美』は、
野に捨た笠に用あり水仙花
で始まる。後続文から察するに捨てられた笠でも水仙の「霜除け」になるということ。
今日、笠をかぶった人というと、宗教・農業関係者ぐらいしか思いつかない。
東京オリンピックの暑さ対策として、「かぶるタイプの傘」が発表された。これは傘と笠の中間。あごひもで固定しないとだめだが、そうすると強風にあおられて首を痛めるなどの事故が起きるのではないか。ソンブレロのようなものなら、ひもを外しておけば笠が飛んで行くだけだが。「かぶるタイプの傘」を買う人はいないだろう。支給品のみ。
学生に、「英語で cameraman とはどういう人のことですか?」と質問したことがある。答えは「写真を撮る人」。「違う。cameraman は動画を撮る人で、写真を撮るのは photographer だ」と教えた。
考えてみれば「写真」とは大げさな言葉だ。photograph を直訳すれば「光画」だ。幕末か明治初期に中国語を知っている人が「写真」と提唱したのだろう。
「真実を写す」というのは難しい。現在ネットに膨大な量の写真がアップされているが、同一人物、同一場所について複数のものを見ると、これが同じ人・物を写したものかと驚かされることが多々ある。角度、光量、時間などによってかなり違って見える。どれが真実なのか解らない。動画にしても同様。
いつの世にも悪人はいる。江戸・明治には、悪い女を「毒婦」と言った。
三日月お仙
妲己のお百
鳥追お松
高橋お伝
写真のお若
夜嵐お絹
鳴神お金
ネットを見ると、最近では木嶋佳苗をマスコミは「毒婦」と呼んだという。
後妻業の女こと筧千佐子も毒婦の部類に入るのだろうが、新聞・テレビなどで「毒婦」と表現していたような記憶はない。
昔の毒婦には「お」を付けられたが、最近では「お」の付けにくい名前が多い。
今日の天声人語は中国の話。
100年マラソンで言えば、今年は、急な疲れに襲われる「30キロの壁」付近にあたる。
とあった。中華人民共和国と私は同い年だ。私も30キロの壁付近にいるということだ。フルマラソンは走ったことがないので実感がわかない。今後どうなることやら。
『口から出まかせ』第十三号(明治二十五年)に、
若し右様の事が有つては。速にお暇頂戴。足袋屋の看板と成り升。気を附け玉へかし
とあった。この「足袋屋の看板」には首をひねった。あれこれ考えたあげく、「足が上がる」という言い回しがあるのに気付いた。『日本国語大辞典』には、
失敗して頼りとするものを失う。職を失う。足上がりになる。
とある。足袋屋の看板は、店先に足の形を掲げてある。「足袋屋の看板」即「足が上がる」即ち「クビになる」ということだ。
昔のカップルは女を先にするものが多い。
『口から出まかせ』第十三号(明治二十五年)掲載「恋道(こひ)の魁浮名の色取」は、
梅川……忠兵衛  お俊……伝兵衛  夕霧……伊左衛門  お染……久松  お駒……才三  浦里……時次郎  小紫……権八  白糸……主水  お富……与三郎  揚巻……助六  お軽……勘平  三勝……半七  お花……半七  お千代……半兵衛  お妻……八郎兵衛  お夏……清十郎  お園……六三郎  小糸……佐七  お七……吉三郎  小三……金語郎  朝顔……阿曽次郎  おさん……茂兵衛  小稲……半兵衛  初花……勝五郎  お菊……幸助  おこよ……源之丞  小春……治兵衛  おとわ……丹七  おさめ……新七  清川……文七  お六……善吉  小女郎……新兵衛  綾糸……又之助  小梅……由兵衛  八重桐……源七  此糸……蘭蝶  時姫……三浦之助  初菊……重次郎  お三輪……求女  松山……椀久  小浪……力弥  お八重……桜丸  高雄……重三郎  梅ヶ枝……源太  雛鳥……久我之助  袖萩……貞任  八重垣……勝頼  静御前……義経  袈裟……わたる  照手姫……助重  阿古屋……景清  葛葉……保名  桜姫……清玄  花の井……清七  累……与右衛門  お紺……みつぎ  少将……時宗  虎御前……祐成  いろは……新助  お初……徳兵衛  清姫……安珍  お組……松若  お滝……五右衛門  白糸……金三郎  小富……七兵衛  しのぶ……豆四郎
となっているが、「清姫……安珍」は、普通「安珍清姫」と言うのではないか。
『口から出まかせ』第七号(明治二十四年十二月)掲載の一口落語に、
西京名産の川魚商がかたられましたと「鷺しらず」だからでせうよ……
とある。この「鷺しらず」というのがわからない。
『日本国語大辞典』には、
(あまりにも小さいので鷺の目にもとまらないという意)京都の鴨川でとれる雑魚のごくこまかいもの。また、それをつくだ煮にした食品。〈中略〉京都の名産であるが、今日ではほとんど産しない。
とある。
大和田建樹『鉄道唱歌』五十三番は、
扇おしろい京都紅 また加茂川の鷺しらず
みやげを提げていざ立たん あとに名残りは残れども
で、「鷺しらず」が出てくる。
本山荻舟『飲食事典』(昭和三十三年)に「さぎしらず」はない。いつ頃まで食べられたものなのだろうか。
『口から出まかせ』第七号(明治二十四年十二月)に、
ポスポル
という言葉が出て来る。初めて見る言葉だ。
ネットを見ると、
リン(「ポスポル」)
とあった。ウィキを見ると、
燐、英語: phosphorus
とある。フォスフォラスということは聞いたことがあるような、ないような。
ハロゲン化ホスホリル
という化合物もあるそうだ。
ボスポラス海峡なら聞いたことがあると思い出したが、ウィキによると、
ボスポラスとは「牝牛の渡渉」という意味
だそうで、「燐」とは無関係だ。
『口から出まかせ』第七号(明治二十四年十二月一日発行)中、「南地 花廼家胡蝶」の文章に、
鸚鵡を飼つてキビスカンカンを、唄はして見たがドツとせぬから
とある。
これによっても、大阪では明治二十四年末には鸚鵡でさえもキンライ節を歌っていたことがわかる。
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