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気が向いたら思いついたことを書いてみます
夜まで仕事をすることを「よなべ」と言った。「よなべ」の「なべ」とは何か。『日本国語大辞典』を見てもわからない。
日置昌一『ことばの事典』には、「夜なべの語源」として、
その語源について民谷仲宣が享和元年にあらわした東牖子には「夜なべといふは長夜のころ奴僕をして昼の残務をなさしめ、諸工人はその諸工を勤む、深更におよぶときは鍋をもって物を煮て食ふ、依て夜鍋といふと年浪草に出せり、はなはだ鑿説(うがった説〈菊池注=『日本国語大辞典』には「内容がとぼしく、真実性のうすい説」とある〉)なるべし、夜なべは夜延(よのべ)の転ぜしなり、昼を夜へ延て短晷を補ふゆゑ、夜延なるべし」とある。
とある。夜だけの仕事は「よなべ」とは言わない。暑い時(日が長い時)には「よなべ」はしなかった。
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家庭から出る粗大ゴミの回収で、インターネットを利用した申し込みを受け付ける自治体が増えている。スマートフォンやタブレット端末の普及で、24時間手軽に申し込めるメリットを生かしており、スマホ1台で申し込みから手数料の支払いまで「ワンストップ」で完結するサービスも登場。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190824-00000500-san-life
政令都市20のうち、16市では粗大ゴミのネット受付をしているという。普通の市にも広がってほしい。
この4月に初めて行った病院はネット予約ができた。
旧暦も馬鹿にしたものではない。8月8日の「立秋」で殺人的な暑さがややマシになり、23日の「処暑」でかなり楽になった。これからが本当の「残んの暑さ」だ。我が部屋の温度計は30度を下回らないが、外へ出ればだいぶ涼しい。来年のオリンピック土用(大暑)までは生き延びられそうだ。
『日本国語大辞典』の「さんずい」の項を見ると、
①漢字の部首の一つ。
②酒をいう。
③汚職をいう、警察の隠語。
とある。酒の好きな人々は「酒」を省略して「さんずい」と言い、警察(検察も?)は特捜体制となる「汚職」を「さんずい」と言う。
明治時代の投書家連は「没書(不採用)」となることを「さんずい」と言った。『親釜集』第十三号に、
無余義(よぎなき)次第とは言ながら三水に致す事全く以て記者も心に快よからず
とある。『日本国語大辞典』は、ここまで調べていないようだ。
『濡花誌』第二編に「雷江たのみ状」という戯文が載っている。
夕雨(ゆうだち)の節不相替御鳴被下常住奉線香候光れば御子息様御事昨日初而御転付(ごろつき)被成候処折節雲切れ有之御落雷被成候由奉怕(びつくり)候此上とも臍外は格別我宅江は御雷光被下間敷桑原桑原御頼申上候依之節分の豆壱袋臍焼一串指上候聊呪の験迄に御座候恐光頓首
子供の頃は、雷が鳴ると蚊帳の中に入り、節分の時の豆を持ち出して食べたものだ。この文章によれば、雷除けに線香を立てたようだが、うちではしなかった。
岡野他家夫『書国畸人伝』(桃源社。昭和三十七年)には、外骨・竹山人・荷風等と並んで、
校正の神様神代種亮
の一章がある。
芥川龍之介・坪内逍遙・永井荷風・佐藤春夫・姉崎正治・有島武郎・谷崎潤一郎などは、自作自著の校正を神代に委嘱したという。
今日は、尾佐竹猛『新聞薈叢』(岩波書店。昭和九年)の末尾に、神代の「校訂につきて」という文章のあるのが目に入った。校正のみならず校訂も行なっていたようである。以下、引用。
  校訂につきて
一原本の忠実なる覆刻たらんことを期し、現代活版印刷術の及ぶ限りを尽さんことに努めたり。
一校訂及び校正に当りては、濫りに私意を加へずと雖も、仮名の一種としての漢字は之を改めたり。例へば「者(は)」「而(て)」「與(と)」の如し。又仮名の異体なるものも通行体に改めたり。
一筆写本にありては片仮名と平仮名との混用を妨げずと雖も、之を活字に現はすことは体裁の乱雑を来すを以て、特殊なる用例を除きては平仮名に統一したり。又仮名を右側に小さく旁書せるものも改めたり。
一同一文中に在りて敬意を表はす為の語頭の空白、行改め等の一致せざるものは体裁上之を統一したり。
一引用文は之を更に原文に対照して校訂すること必ずしも不必要ならざるも、誤写のまゝにて読解されたるものなれば、今敢て加筆せず。
一人名地名等の用字の区々なるものあれども、之が考証を加へず。例へば福岡県大里の「内裏」「内裡」「大理」等とあるが如し。
一用字語格送仮名句読等につきては厳に原本に随ひたりと雖も、同一文中にありて甚だしく区々なるものは一見誤植なるかの虞を懐かしめ、又一々之を旁証すること煩に過ぐるを以て適当に統一したり。例へば「儀」と「義」との混用の如し。
一原本には当時の慣例として弖爾遠波を省略せる箇所甚だ多し。
一題目に大活字を用ゐたる直前の「○」符は原本に於て紙改めなることを示し、其他に在りては原本に随ひたるものと、前後の区別を明瞭ならしむる為に加へたるものとあり。
一原本に朱書せるものは上下に「〔〕」を施して区別したり。又「()」符にて「マヽ」「不明」「カ」等と旁書せるもの以外の小文字は原本に存するものなり。
一原本は年月を逐ひて輯録したるものなるを以て、年代的索引として詳細なる目次を編して巻首に置き、以て事項索引に代へたり。
一原稿は昭和六年十二月に手入れを了りたれども、事情に依りて原稿が印刷所へ廻附されるまでに一個年に近き日子を空費し、之が為に校訂者の作業予定にも支障を生じ、遂に故下出隼吉氏一周忌までに完成するを得ざりしのみならず、事半ばにして明治文化研究会の柱石たりし吉野作造博士の易簀に遭ひしは甚だ遺憾とするところなり。謹みて之を謝す。
    昭和八年十二月      神代種亮記
「霧積」が出て来るドラマというのは、『人間の証明』だった。
ニューヨークで、
「どこへ行くの?」と聞かれて、ジョニーは
KISS ME
と答える。これが「霧積」のことなのだった。
40年以上前一度だけ見た映画だが、ほとんど覚えていなかった。
明治二十一年、『親釜集』に投稿したもののボツになった原稿を供養しようと、
本所区荒井町十一番地天台宗清光寺
に親釜塚を設置した。
本所区荒井町は現在の
墨田区本所一・二丁目、東駒形一・二丁目
に相当するという。
清光寺で検索すると、
台東区西浅草1丁目7−19(浄土宗)
江戸川区東葛西3丁目3−16(浄土宗)
はあるが、区も宗派も違う。寺が宗旨を変えたり移転したりすることはあるが、これらの寺は明治以降移転していないようだ。
すなわち、親釜塚は、塚が消滅したのみならず、本所にあった寺自体が消滅してしまったのだ。
世は無常。
明治の文献を見ていると「霧積」という地名が出て来る。ウィキペディアを見ると、
温泉街はない。温泉旅館一軒のみ営業。
明治時代初期には温泉旅館が季節営業を始め、軽井沢が別荘地として開かれる以前から別荘が建てられるなど、避暑地として知られるようになった。
しかし1910年(明治43年)に山津波が発生し、4軒あった温泉旅館、50~60軒あった別荘が流され、温泉街・別荘は壊滅。金湯館のみが被害を免れ、営業を続けた。避暑地としても終焉を迎え、山奥の秘湯という風情の現在の姿になった。1971年姉妹館「きりづみ館」誕生。2012年(平成24年)4月、きりずみ館が閉館し、以後は金湯館のみの営業となっている。
とある。
ドラマでも見たことがあるような気もする。
霧積温泉の現在の住所は、
安中市松井田町坂本
であるという。地図を見ていて驚いたのは、信越本線が松井田町の横川駅で終わっていること。詳しくはウィキペディア参照。
45年ほど前、研修で「万場高校から来ました」という先生と一緒になったことがある。「万場って知ってますか」と言うので、「知ってます。温泉・スキー場ですね」と言うと、「それは万座。こっちは万場です」と言った。調べると、群馬県多野郡神流町大字生利にある。松井田の南の下仁田の東南、群馬県の南端だ。万座は草津の先だから、位置的にもだいぶ離れている。
「だんつく」「どんつく」は辞書にあるが、「どろつく」を載せている辞書は見当たらない。「だんつく」は「旦那」を軽蔑し、「どろつく」は「泥棒」を馬鹿にした言葉だ。
ところが、この軽蔑語の「つく」を見出しに挙げている辞書も見当たらない。
「ダンツク」「デンツク」「ドンツク」「ドロツク」は太鼓の擬音語でもある。「ドロツクドン」「ドロツクドロツクスッテンテン」「ドロツクドロツクスットントン」などという。
イルクーツク・オホーツク・ドネツク・ヤクーツクなど、ロシアの地名に「ツク」が多いのはどういうことか。馬鹿にしているわけではない。ロシア語を勉強すればわかるのだろうか。
笹の家主人こと村松恒一郎は『吾妻ゑびす』はしがきで、
凡そ著述するに、五ツの富を得されは、雄編はなしかたきとかや、一に学才に富み、二に蔵書に富み、三ツに記臆に富み、四ツに青年に富み、五ツに閑静に富み
と書いている。典拠があるのか、この人の思い付きか。
PC-8001が1979年発売以来40年になるという。当時、かなりの頻度で新聞一面広告が出た。しかし、これはゲーム機だった。
1982年10月、PC-9801が発売されたらしいが、私は知らなかった。この頃、新聞広告で「文作」というワープロの発表会があるのを知り、実物を見、ソートが簡単にできるのを確認した。
数年後、大学で「文作」を導入した。しかし、そのうちPC-9801が話題になっているのを知り、PC-9801VXに乗り換えた。5インチフロッピー駆動、ハードディスクなしで40万円。昭和末期だ。今から考えるとオモチャのようなものだが、以来30年、この間のハード・ソフトの進歩はすさまじかった。現在のパソコンは、片腕・片脳以上の存在となっている。
『団団珍聞』第三百八十五号(明治十六年十月)の戯画に、
神社の額には「茨城神社」とあり、幟には「いばる気神社」とあるので笑った。
この戯画の意味するところは、説明文を読んでも全く理解できないが、「茨城」を「いばる気」にかけた表現は初めて見た。
都々一坊扇歌の伝で、「水戸の人は鼻にかかる」というのがあるが、水戸の人が全て蓄膿症であるはずがない。これは「水戸の人は鼻にかける」が正しいのではなかろうか。扇歌はかなり頭の回転が速かったようだから、天狗になってもおかしくない。
自分自身や周囲の人を見ても実感できる。「井の中の蛙」の類だ。
名医を国手といった。「国手」はもはや死語といってよいだろう。
平成天皇の心臓手術を担当した天野篤を「国手」と称したメディアはないようだ。ネットを見ると、「天皇陛下の執刀医」という変な表現になっている。
複写機のある世の中に生まれたことをありがたいと思う。
昭和二年、宮武外骨は別所温泉で上田花月に会い、「投書家細見を五円位でお譲り下さいませんか」と頼んだところ、2部複写の後、原本を郵送進呈されたという。
この時代に複写機はないから、書写したものである。
この原本は、現在、東京大学大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センター明治新聞雑誌文庫に保存されている。その見返しには、次のような外骨の書込みがある。
  此珍本
 昭和二年十一月三日
  信州別所温泉遊浴中
  上田花月こと飯島茂経兄より
    贈らる
          外骨㊞
此前日、予が花月子ニ本書の借覧を乞ひしによつて、子が別所温泉の花屋ホテルへ携へ来られしなり、予が花月子に対して「ワタシが十六歳の時、団珍に投書したことがあります、其頃本書を購入して久しく持つてゐたのですが、二十二年入獄の不在中に紛失したのを今に惜く思つてゐるのです、近年三都の古本屋をあさツても見当りませぬ、失礼ですが、五円位でお譲り下さいませんか」と要請せしにつき、温厚の花月子ハ微笑しつゝ「それほど御熱望ならば進呈します」とて我有に帰せしなり、此事決定せし後、花月子は「ワタシも参考にとつて置きたい本ですから、複写して後に郵送します」とのことであつたが、其際同伴の花岡百樹子が複写を担任し、両子保存の複写本二冊を製して後、本書を郵寄されたり、其割愛の情、切なりしを察すべし
30年以上前、ステッキをついている先生に、「ステッキはどこで買うんですか?」と尋ねたところ、「しいたげられてるんですよ、デパートの傘売場に置いてあります」とのことだった。
『団団珍聞』明治三十八年の広告に、
洋傘/鞭杖
とあるのに目がとまった。
中央には大きく「仙女香」とある。これは化粧品屋か小間物屋ではないのか。そこで傘・鞭・杖を売っているという。
坂本商店
東京市京橋区南伝馬町三丁目
とあり、円形の周囲枠には、
本店ハ明治元年ヨリ引続キ洋傘ヲ営業ス
仙女香鞭杖ハ文政年間ニ開業ス
本店ハ卸小売共精良品ヲ撰ビ安価ニ調進ス
とある。
今は、ホームセンターで折り畳み式の杖を売っている。若い頃は杖にあこがれたこともあったが、年をとると御世話になりたくないと思う。
森銑三『明治東京逸聞史』(平凡社東洋文庫)明治三十四年の項目に、
「キューピッド(一)」として、
その「みだれ髪」〈菊池注=明治三十四年八月刊〉の挿絵の一つに、やはり武二がキューピッドを画いている。そのキューピッドなども、これなどが早い方かと思われる。
とある。
しかし、これよりも古い例を見付けた。
『団団珍聞』第一二九八号(明治三十三年十二月十五日)六ページに、
結び文に腰をかけて腕組みしつつ眠っているキューピッドの図がある。
背には翼、右横には弓矢がある。
これは『みだれ髪』よりも古い例である。
同図は、『団団珍聞』第一三〇六号(明治三十四年二月発行)八ページ、『団団珍聞』第一三一一号(明治三十四年三月十六日)七ページにも出ている。
因みに、『デジタル大辞泉』には、
キューピッド(Cupid)
ローマ神話の恋の神クピドの英語名。ビーナスの子。弓矢を持つ裸の有翼の少年で、その矢に当たった者は恋心を起こすという。ギリシャ神話のエロスに当たる。
とある。
森銑三『明治東京逸聞史』(平凡社東洋文庫)明治三十四年の項目に、
「ハート形」として、
この年八月に、晶子の処女歌集「みだれ髪」が出た。表紙を藤島武二が画いて居り、ハート形の中に女の横顔があって、そのハート形に、上から斜めに矢が突きささっている。ハート形を画いたのでは、これなどは早い方だろうか。
とある。
しかし、これよりも古い例を見付けた。
『団団珍聞』第一一九六号(明治三十二年一月一日発行)二十ページ「画とき話し」に、東亭扇升の「二重廻し」があるが、その挿絵、ヒゲをかたどった二重廻し(インバネス)を右側に別に取り出して描いたものの枠がハート形である。(東亭扇升とはかの小山内薫の戯号である)
今の所、これが最も古いイラスト例と言えるのではないか。
『団団珍聞』第一二九六号(明治三十三年十二月)九ページに、
ハートマークらしきものが三つあり、「怒」「泣」「笑」の表情が書かれているが、今日のハートマークとは上下逆転しており、栗の実と見えないこともない。
トランプ(西洋カルタ)の遊び方を解説した『骨牌使用法』(明治十九年十二月出版)には、
ハート 心臓形 
として、今日のハートマーク ♥を上下逆転した絵模様が描かれている。
明治二十年三月二十八日発行の『万物独学自在』のハートも上下逆転である。
明治二十一年十二月十日発行の『遊戯大学』のハートも上下逆転である。
明治二十二年四月二十九日発行の『トランプ手術』のハートも上下逆転である。
明治二十六年八月十八日発行の『物識天狗』のハートも上下逆転である。
今後は、明治三十年以前に、今日のようなハートマークのイラストを見付けられるかどうかの問題になる。
因みに、ウィキペディアによると、任天堂は明治三十五年、ロシア兵捕虜のためトランプを作製し、明治三十九年、国内向け販売を開始したという。
日本語を学習しはじめの外国人が日本に来て、喫茶店で近くにいた女子学生が何かを落し「あっ、おっこっちゃった」というのを聞いたが、「ちゃった」がわからない。辞書で「ちゃ」「つた」をひいてもわからないという、作り話ではないかと思われるような話を聞いたことがある。「ちゃった」という項目を掲げている辞典はないようだ。
『東京語辞典』(大正六年)には、
だッちャない 「だといふことではない」といへるが促りたることば。
とある。「だっちゃない」を項目掲載している辞典は他にないのではないか。
小峰大羽『東京語辞典』(新潮社。大正六年)が面白いので読んでいるところ。ハタと気付いたが、『東京語辞典』というタイトルの本はこれしかないようだ。東京堂出版は「○○辞典」というのをたくさん出しているが、『大阪ことば辞典』があるのに、『東京語辞典』は出していない。これはオカシイのではないか。東京堂なら、真っ先に『東京語辞典』を出すべきではないのか。『江戸語辞典』を出して『東京語辞典』を出さないのはオカシイ。
「おんぼろ」の「おん」とは何か。『日本国語大辞典』の「おんぼろ」の項には、
(「おん」は接頭語)
としかない。どういう意味の接頭語なのかを知りたい。
「おん(御)」を見ると、
①体言(まれに用言)の上に付き尊敬の意を表わす。
②(下に来るべき体言を省略して)「おん」だけで名詞的に用いる。
とある。今、②は関係ない。すると、「おん」は尊敬の意味ということになる。「ぼろ」を尊敬するとはどういうことか。
小峰大羽『東京語辞典』(新潮社。大正六年)には、
おンぼろ〔襤褸〕弊ぶれたる衣類、卑しき値打なきものに、故ら敬語を用ゐて戯むる。
とある。
なるほど、「褒め殺し」ということがある。『日本国語大辞典』クラスなら、この辺まで説明してもらいたいところだ。
山本笑月『明治世相百話』(中公文庫)「日本最初の勧工場」の章に、
明治の末年、新橋際に博信館の開業
とある。昭和十一年の初版単行本も同様。しかし、新橋際角にあったのは
帝国博品館勧工場
である。当時の京橋区南金六町4番地、同地が現在は中央区銀座8-8-11となっていて、博品館トイパーク・博品館劇場がある。
では、笑月は、どうして「博品館」を「博信館」などとしたのか。文庫本末尾の「父の思い出」によると、笑月は大正八年、健康を理由に朝日新聞社を退社、晩年の数年間(菊池註=昭和初め)は床に臥すことが多かった。昭和十一年、亡くなる直前に『明治世相百話』が出版されたという。弟・長谷川如是閑の跋文には、東京朝日新聞に連載されたものを多少補綴し一巻に纏めたとある。本人は校正できなかったようだ。笑月は深川生まれの江戸ッ子だから、「博品館」を「ハクシンカン」と言っていたので、つい「博信館」と書いてしまったものだろうか。口述筆記でなければ、それぐらいしか原因が思い当たらない。
明治十五年刊『港の魁』は、神戸の商店等を案内紹介したものだが、元町通三丁目「放香堂」の店頭図を見て驚いた。向って右手には「宇治製銘茶」の看板を掲げ、左手には「印度産/加琲」の看板を掲げている。店内に仕切りはない。右端・左端にそれぞれ大きな茶壺が並んでいる。店内左隅には「郵便切手売下所」と「駅逓局貯金預処」の看板も見られ、店頭には郵便ポストが置いてある。
放香堂は、日本茶販売、コーヒー豆販売、郵便局と、三つの仕事をしていたのだ。私は日本茶とコーヒー豆を共に販売している店を見たことがない。明治初期にあった店が、どうして二十世紀・二十一世紀にないのだろうか。美容室ではネイルアートを兼業している所がある。
ローソン・ミニストップは日本郵便と提携しているから、ゆうパツクを預けたり、切手を買ったりしているが、他のコンビニでも郵便切手は買えるようだ。昔は煙草屋に「切手/印紙」と書いた看板がかかっていたものだ。
安政板「根岸谷中日暮里豊島辺図」によると、東叡山の北に「天王寺」がある。明治になると、寺域の過半を共同墓地に編入され、昔の姿を失った。明治二十四年には、天王寺前と、銀杏横町と、芋坂を合わせて谷中天王寺町となった。五重塔は昭和三十二年に焼失。露伴の『五重塔』はこの塔を題材とする。昭和四十二年には台東区谷中六・七丁目に編入された。げんざい、この附近に川はなく、橋もない。以前は、根岸を音無川が流れていたが、「天王寺橋」は確認できない。
江戸・東京の地名から、地方の地名と同じものを拾った。ほとんどは江戸のもので、現在では消滅している。
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