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気が向いたら思いついたことを書いてみます
ゴーンというとカルロス氏ということになってしまったが、本来は鐘の音だ。大きな鐘ならゴーンだが、小さな鐘ならコーン。
斎藤緑雨『ひかへ帳』に、
この恨一生忘れじと篁村氏の語られしは、本釣鐘コーンと書きしを、おもひ遣りは寧ろ深かりし校正係の、無論鐘なればゴーンなるべしと、まんまと全文を音のみならず、濁し了りぬと
この校正係は「本釣鐘」を知らなかったのか。カルロス氏も、コーンどころかゴーンとでかいことをやってのけたようだ。
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ウィキペディアの記述に間違いを見付けた。「久保田米僊」の項に、
『京都日日新聞』の挿絵を描いたり、風刺雑誌『我楽多文庫』の編集に関わる。
とある。『我楽多文庫』は諷刺雑誌ではないし、京都にいて東京の『我楽多文庫』の編集に関わることはできない。『我楽多文庫』ではなく、『我楽多珍報』である。

前記の本に、
おまけに三十三四で、目にはありましたが、水の垂れるやうな男前でしたから、堀の芸者などにも、随分持てたもんでした。
とあるので、首をひねった。
「目に」があるのは当り前だろう。目にがなかったらヘビか?
おそらく、これは
眼にはありましたが
の間違いだろう。手書き原稿の「」を「」としてしまったものと考える。
「目に」があるとは、目つきが鋭い、けわしい、ということだ。
近年はパソコンでの誤変換による誤字が目立つが、人間脳の誤認識による誤字もある。
「奉公」とあるべき所が「奉行」となっているのを時々見る。
「ほうこう」と打ち込んで変換すれば、「奉行」は絶対出ない。人間が「奉公」を「奉行」と勘違いして「ぶぎょう」と入力してしまうのだろう。
戦後「奉公に行く」人などほとんどいなくなったが、時代劇で「奉行」は出てくる。
今日は昭和十八年四月十五日発行の本に、
直ぐの弟は入谷の菓子屋に奉行して居りましたが
お袋と相談の上で、堅気の商人へ奉行させて置いたんです
とあったので驚いた。この時代には「奉公」に出る人が多かったはずだが、それでも「奉行」と間違えている。
平成生まれの人には信じられないだろうが、旧国鉄の列車のトイレは垂れ流し(底抜け・開放式)であった。子供のころ、下の枕木や砂利が見えたのを覚えている。
流石ウィキ、「列車便所」という項目があった。
明治時代以来、列車便所は専ら「開放式」と称して、汚水管を線路上にそのまま開放し、自然流下させるもので、便器の穴から線路が見えるストレートな構造のものもあった。古くは鉄道沿線に住宅がほとんどなく、田畑においても下肥が重用されていたような時代もあったにせよ、沿線の都市化が進んだ戦後に至るも、昭和の末期に国鉄が分割民営化されるまで、実態は長年にわたって変わらなかった。
私が体験したのは汚水管式ではなくストレート式である。
『滑稽新聞』第二十九号(明治三十五年五月二十日)に、正岡芸陽の「四ツ目屋事件」という文章が載っている。
四ツ目屋事件とは何ぞや高等女学校教科書として文部省の検定を得たる「女学〈ママ〉国語読本」の中に石川雅望の筆になれる左の一節なり
さてそこを出でゝさまよひありくに佐々木の家の幕じるしかと思ふばかりなる紋つけたる軒あり薬ひさぐにや長命帆柱など金字の札をかけたり長命とは不死の薬なるべし帆柱とは何ならむもしくは風の薬といへるなぞなぞにやかゝるむづかしげなる薬さへ其意えて買ふ人のあればこそ営業となし世を渡るめれといとをかし
と、之れ長命或は帆柱なる淫薬店の店頭を写したる者也、苟も女子教育の読本中に斯かる淫猥なる記事ありとすれば、何人も其余りに滑稽なるに抱腹するを禁じ得ざるべし
編者落合直文は四ツ目屋を知らなかったらしい。落合のみならず、検定をした文部省のお役人(何人が担当したのか)ことごとくが知らなかったというのも妙だ。
暴動とは別に、期せずして起る集団舞踏が社会現象となったことがあった。幕末の「ええじゃないか」は有名だが、昭和八年夏、東京のあちこちで「東京音頭」を歌い舞う群集が見られたという。日比谷公園では、「大内山に谺して陛下の御寝を妨ぐ」と警察から注意があり夜九時閉会とされた。
第二次世界大戦後、このような現象は起きていないのではないか。21世紀になって「フラッシュモブ」というのが見られるようになったが、これは仕組まれたものであり、群集というほどでもなく、しばらくすると解散してしまう。
暴動も集団舞踏も起きないのは平和の印だろうか。
エレベーターガールという人がいた。さすがウィキペディア、「エレベーターガール」の項目があった。
現状
バブル崩壊後、人件費削減など諸般の事情により、1990年代終盤を以って一部の百貨店店舗や一部の展望施設を除きエレベーターガールを廃して自動運転としている。
いつだったか、大阪駅前「大丸」に行った時、エレベーターガールがいなくなったのに気づき、驚いたことがある。平成初年だろうか。ウィキによると、デパートでもまだエレベーターガールのいる所があるようだ。
永井荷風『日和下駄』に記された閑地
瑞聖寺門前の閑地
神田三崎町調練場跡
小石川富坂砲兵工廠日避地
下谷佐竹ケ原
芝薩摩原
日比谷公園
丸の内三菱ケ原
東京府庁前の閑地
桜田見附外
芝赤羽根海軍造兵廠跡
戸山ケ原
四谷鮫ケ橋と赤坂離宮の間の火避地
市ケ谷監獄署後の閑地
芝浦の埋立地
某学院長解雇に関連して、
文系の学問において資料の実在を証明するものとは何か
https://anond.hatelabo.jp/20190510230425
という記述があった。
細胞ならいざしらず、文献を捏造するとは、開いた口がふさがらない。
関東大震災・第二次世界大戦で多くの文献が烏有に帰した。それ以前の人が見ていたものを、我々は確認することができない場合がある。
宮武外骨『奇事流行物語(奇態流行史)』に、
山中共古子の説に、童子手習文章に東海道五十三次を尻取り文句にしてある。
とあるが、『童子手習文章』という本は、国会図書館にも、大学図書館にもない。国文学研究資料館の「日本古典籍総合データベース」を調べてもない。山中共古ともあろう人が文献を捏造するはずがないから、この本はかつてはあったのだろう。運がよければ海外に流出しているかもしれないが、そうなると、外国語のできる人でないと調べられない。
某学院長解雇に関連して、
文系の学問において資料の実在を証明するものとは何か
https://anond.hatelabo.jp/20190510230425
という記述があった。この人は歴史研究者のようだ。結論は次のとおり。
注はちゃんとつけよう。もしもあなたが捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料の実在を証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなたの研究の誠実性を証明できるのは、人文系の学問においては、注だけなのだ。
注にも二種類ある。この人が言っているのは「研究注」。研究論文・研究書において、典拠・レファレンス・補足を記すものだ。これについては、紙幅の都合がない限り、無理に注にせず、本文で記述してもよいと私は考えている。これとは別に、古典文学などについて、難しい言葉に説明をつける「語注釈」がある。
岩波文庫『幕末の江戸風俗』を出すことになった時、「注を付けてください」と言われ、そこから悪戦苦闘が始まったが、やってみると楽しい。江戸時代のことは当然だが、明治時代のことでも調べないとわからないことが多い。日本近代文学作品にまとまって注がつけられたのは、角川書店『近代日本文学大系』が嚆矢だろうか。最近では岩波書店『新日本古典文学大系 明治編』でも注がついた。今後は、大正・昭和のものについても注釈が必要になってくるだろう。
本が並んでいる写真を見るのは楽しい。舞台などでも、一人よりは複数のほうが見栄えがする。何とか48の類も一人ではどうしようもないから、多人数で誤魔化そうというのだろう。
ほとんど背表紙だけの図書館(中国・天津)
https://www.afpbb.com/articles/-/3151023
ツタヤはこれを真似したのか!
発禁図書館というのはないのかしら?
廃墟写真家がいるようだ。
何年も前に見捨てられたこれらの土地。現在の姿を見てみよう
https://www.editorchoice.com/these-locations-were-abandoned-years-ago-jp/
奈良ドリームランドがあるのには驚いた。千葉県の行川アイランドは、40年以上前に行ったことがあるが、2001年8月廃園になったという。ウィキによると、「勝浦シーサイドパークリゾート(仮称)が2020年春より着工予定」となっているので、廃墟を撮るなら今のうちだろう。
廃線散歩というのも時々記事で見かける。
永井荷風『冷笑』に吾妻橋畔から乗った川蒸気船での絵葉書売りが出てくる。
すると最後に乗込んだ黒眼鏡の筒袖は腰掛の上に鞄を開いて先づ二三枚の絵葉書を取出し、
「船中のお退屈まぎれ。毎度皆様方の御贔屓になりまする絵葉書。今回御覧に入れまするはお児様方のお慰み、教育武士道絵葉書に御座ります……。」と云ひ出す口上に、今まで河面に注がれてゐた乗客の視線を一度に引き集めた。
「最初に御覧に入れますは武田信玄上杉謙信川中島の合戦、この通り美事な極彩色、次には源の牛若丸鞍馬山の場に御ざります。光線にすかすと月に村雲は此通りはつきり透絵になつて居ります。」と一枚一枚説明して、開いた扇のやうに、五本の指の間に絵葉書を挟んで行つた。
〈中略〉
絵葉書売は広げた絵葉書を革包の中にしまひかけて、「都合揃つて十五枚、今日は特別の廉価を持ちまして僅に五銭、一枚はほんの三厘にしかなりません。次の言問で御免を蒙ります、お望のお方はどうぞ唯今の中……。」
これは、明治四十二、三年頃の風景。明治の一時期、絵葉書がはやった。
『優秀印刷会社一覧』という本があるのを知った。
https://www.amazon.co.jp/全国組合員名簿-平成25年版―優秀印刷会社一覧-全日本印刷工業組合連合会/dp/4888842051/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=優秀印刷会社一覧&qid=1557362526&s=books&sr=1-1-fkmrnull
平成25年版より新しいものは見当たらないから、もう出していないのだろう。優秀と優秀でないものとを、どう見分けるのか、誰が判定するのか。タイトルからして怪しげな本だ。昔は名簿作成と称して金を取る商売もあったようだ。
今は本の名簿ではなく、デジタルの個人データをやりとりして儲けている連中がいるらしい。「顧客データ流出」などというニュースを時々見かける。
労咳は肺の病気だが、老害は頭脳の問題だ。
当てはまったら老害認定される5つの行為
http://agora-web.jp/archives/2038892.html
①相手の話は聞かない(99%は自分の話)
②価値観の押し付け
③永遠に続く武勇伝
④暴力的である
⑤新しいものは否定
自戒、自戒。
悪性脳腫瘍で6月にも治験 岡山大発見のがん抑制遺伝子製剤
https://www.sanyonews.jp/article/896648/
岡山大は8日、悪性度の高い脳腫瘍の患者に、同大が発見したがん抑制遺伝子「REIC(レイク)」を用いた製剤を投与する治験を、6月にも岡山大病院(岡山市北区鹿田町)で始めると発表した。
科学・医学がどんどん進歩している。
中込重明氏は、脳腫瘍で入院、一年も経たずして39歳でなくなった。
素人考えでは、頭脳を酷使すると脳の病気になるのではないかと思う。私は頭をあまり使わない(使えない)ので、脳腫瘍にはならないだろうと安心している。
【箱売】(はこばい)という言葉がある。国語辞典類には載っていないが、尾佐竹猛『下等百科辞典』には、
箱売とは、箱即ち汽車中に於ける売、即ち商売を云ふので、汽車の中売りのことだ。昨年〔注=明治四十三年〕鉄道営業法が改正になつて、これを禁ぜられたが、それ以前は必ず汽車中にあつたもので、これは一二等にのみ乗らるる上流社会の旁々は御存知はないが、我々赤切符連は、前刻御承知の所である。
として詳細に記述している。絵葉書・安本などを売った。
私が『明治大阪物売図彙』(平成十年)を出版した時、『大阪朝日新聞』明治三十五年二月十八日のコラムに「汽車中の書物売」というものがあった。いろいろ調べたが、それらしきものが見あたらないので、
諸書に「汽車中の書物売」なし。
として済ませた。刊行後、青木元氏から「こういうものがありますよ」と資料を送っていただき、不明を恥じた。
『大阪出版六十年のあゆみ』(昭和三十一年)に、
当時〔注=明治末期〕の正式な販売ルートは、小売店を通じて一般消費者に販売されていたが、榎本法令館は特殊な売捌き方法を案出した。それは販売員を使って直接顧客に売るものである。その出版物は、児童の絵本・ポンチ絵(漫画)本、大衆の簡易な読物であって、絵本類は木版活版色刷、読物は××悲話、××心中などという「きわもの」の、薄ペラいものであり、内容は低級なものであって、玩具類似品であった。
関西線の湊町―天王寺間、大阪駅から、吹田、神崎間、片町線などの列車の中や、川口から出帆する大阪商船の定期航路の船中(神戸までの間)に、必ず現れて、
「おなじみの榎本法令館であります。お子達のおみやげに絵本桃太郎をおすすめします。一冊定価××銭ですが、本日は勉強しましてモー一冊金太郎を添えます。それから……と一冊一冊を加え、最後に読物を加えて全部で十冊、これで一冊の定価の××銭でおわけします」
といった具合に、うまく引きつけて近在の農家やお上りさんの乗客に売りつけていた。この方法は大いに成功して法令館はメキメキ発展していった。
とある。
その後、隅田川の一銭蒸気でも本を売っていたことを知った。
今井栄『墨東歳時記』(昭和四十九年)に、
都鳥ののんびりと水面に浮かんでいるそのころの隅田川は、水もきれいであったし、両岸の眺めもまだ美しかった。この川筋をのどかに走った蒸気の姿は、今さらに懐かしいものであるが、忘れられないのは、吾妻、言問の間、また白蒸気でいえば、おんまや橋、横網の間で、いつも見られた物売り風景である。子供心にも、どうしてあんなにおまけがつくのだろうと、不思議に思うほどにおまけがつく。「船内は特別の大勉強、本日は、なお加えまして」などと口上をいゝながら、色彩も美しい絵本を五冊も、六冊も、八冊も九冊も、はては十冊あまり、扇形に並べて手に持って客の購買心をそゝる。今日のように、子供雑誌や教育絵本などの、まだ現れなかった時代である。桃太郎や、かちかち山などのおとぎ話、牛若丸や金太郎の昔話、さては、きつねに化かされのような馬鹿げたものまであった。本所、深川、あるいは向島に育った五十以上の人々は、浅草の観音様の帰りの、蒸気の中の不思議な光景を、はっきりと覚えておられることであろう。
とある。今井栄は明治三十四年生まれ。この話は明治四十年代のことだろう。
漢字の読み方がさまざまであること、古来多々言われている。
【木下】
人名は「きのした」だが、千葉県印西市の木下は「きおろし」。鉄道駅もある。
【木下川】
川の名前ではない。ウィキには、
この地は中世には「木毛河(きげがわ)」と呼ばれ、江戸時代に入ると「木下川(きねがわ)」と呼ばれるようになった。
とある。
鏑木清方『明治の東京』岩波文庫157ページに「きのしたがわ」とルビがあり、
鶯亭金升『明治のおもかげ』岩波文庫38ページに「きげがわ」とルビがあるのは不審。
子供の頃は「石切り」と言っていた。しかし『日本国語大辞典』では「水切り」しかない。石を水面に投げて弾ませる遊び。ウィキには、
「水切り」、「石切り」という呼称以外にも様々な呼び名が存在する。
石投げ
跳ね石遊び
水面石飛ばし
チャラ
チャーリィ
チチッコ
ちょんぎり
ちょっぴん
ちょうま
飛び石
かいかい
ちょうれん(跳連 or 丁連)
トントンミー(沖縄での呼称)
とある。これ以外の呼び名を見付けた。
鈴與志路「三味線堀と佐竹通り」(『江戸と東京』第五巻復活第四号。昭和十四年六月)に、
(三味線堀で)自分は肥舟の上で遊ぶ子供や、通る様様な人を眺めたり、石を水に投げて二丁きりなぞをやつてゐたものだ
とある。
「箱抜き」という言葉がある。手許の辞書には載っていない。ネットを検索すると、建築用語ばかり出てくる。
目に入った用例は二つ。
中里介山『大菩薩峠』「新月の巻」に
「聞き手があなたじゃ張合いがないけれど、でも、あなただって芸者のうたを聞いて悪い気持はしないでしょう――今日はわたし、全くつとめ気を離れてうたって上げることよ、ところがところですから、箱ぬきで我慢して頂戴――今度は新しいところをお聞かせしてあげるわ、これは、御贔屓になった夕作さんという土地の通人がこしらえたうたなのよ――古風なのと違って、また乙なところもあるでしょう、おとなしく聞いていらっしゃいね」
とある。ここで女は口三味線で歌うので「箱抜き」の「箱」とは、三味線のことか。「箱」のこの意味は『日本国語大辞典』にある。
『上野繁昌史』に、
(笑福亭は)戦後は花街の前途を危ぶみ、箱抜きの料理本位の店となってしまった。
とある。ここでは、芸者を呼ばず、料理のみということだろうから、「箱抜き」の「箱」は芸者のことか。「箱」のこの意味も『日本国語大辞典』にあるが『広辞苑』にはない。
「猫」「箱」共に、「三味線」「芸者」の両方を指した。
ウィキペディアに「出版不況」という項目があるのに驚いた。末尾を見ると、
活字離れ
CD不況
テレビ離れ
ラジオ離れ
ゲーム離れ
若者の車離れ
といった項目もあるようだ。
こういうものがあるのに、『現代用語の基礎知識』を紙で出版し続ける自由国民社は、いつまで生き残れるのだろうか。『イミダス』も『知恵蔵』も、とっくになくなった。
『武江年表』「正保年間記事」に、
寛永正保の頃、長崎より唐木の商人和泉屋半三郎といふもの江戸に来り、池の端に住し始めて古書籍の売買をなし、後大書肆と成りたり。是れ古本売買のはじめなりとぞ。
とある。『上野繁昌史』はこれによったものであろう。『武江年表』が何に拠ったのか、今はわからない。
魯庵は固有名詞を出していないが、『上野繁昌史』(昭和三十八年)には、
寛永、正保の頃、今の池の端仲町に和泉屋半三郎という唐本屋が長崎からきて、古書籍の店を出したのが最も古いとされている。
とある。
内田魯庵『下谷広小路』(『下谷上野』昭和四年)に、
下谷は昔から文人墨客の淵藪として知られ、正保の昔池の端で江戸で初めての本屋を開いたものもあり、延宝の頃には了翁僧都が江戸で初めての文庫を開いた因もあつて広徳寺前から山下、広小路、お成道へ掛けて江戸末から明治の初年はリテラリー・クオーターで本屋が多かつた。今の黒門町の文行堂、お徒士町の吉田里子などは其頃からの古い暖簾だが、勧学屋の錦袋円の店を譲受けた琳琅閣の先代は明治の本屋歴史の逸すべからざる怪物であつた。
とある。
東京古書組合「東京の古本屋 台東区」から、旧下谷区に相当する店を抜き出すと、
西楽堂(台東区上野1-18-11)
文行堂(台東区上野3-16-4)
bangobooks(台東区谷中2-5-10)
弘和洞(台東区谷中7-18-6)
古書 鮫の歯(台東区谷中7-5-11)
古書 OLD SCHOOL(台東区谷中3-5-7)
ストア フロント(台東区池之端2-1-45-103)
の七店のみ。いずれも、私は行ったことがなく、ネットで購入したこともない。
かつて上野広小路に「上野文庫」があり、一度入ったことがあったが、消滅した。
琳琅閣は本郷の店を覗いたことがあるが、私には歯の立たないものばかりだった。
「吉田里子」とは、松山荘二『古書肆「したよし」の記』に書かれた「吉田書店」だ。
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