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気が向いたら思いついたことを書いてみます
あるブログ記事に、
〝止め〟をさされた
とあった。これは「とどめ」としか読めない。
「止」には、「とまる」「とめる」「やむ」「やめる」「とどまる」「とどめる」の訓読みがある。「とまる」「とめる」以外は常用漢字表にない読みだ。「やむ」「やめる」「とどまる」「とどめる」の場合は、仮名書きにするか、ルビを振るかすべきだろう。
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ボウリング場が、テニス+フットサルに変わっていた。半世紀ほど前にはテレビ番組すらあったボウリングが凋落のようだ。
昼に入った食堂のメニューに「ロコモコ丼」とあった。どんなものかわからないので注文しなかったが、帰りに見ると、ウィンドウにサンプル写真があった。それを見てもわからない。焦げ茶色の塊が何なのか分からない。ネットで調べると、「ハンバーグと目玉焼きをご飯の上に乗せてグレービーをかけた」ものとのこと。
今朝、牛丼屋で、私の後から入って来たアラフォーの男とアラサーの男とが、相次いで「牛丼ミニ」と注文したのに驚いた。「草食化」だけでなく「少食化」も進んでいるのか。これから仕事が始まるというのに「ミニ」で大丈夫なのだろうか。
今朝、鶯の鳴く音を聞いた。燕の飛ぶのも見た。「梅に鶯」は昔の話。今は、「桜に鶯」「桜に目白」「桜に燕」だ。
鉄道自殺の第二号は、明治九年九月二日午後七時三十分、川崎でのことだという。三十二、三の職人ていの男。これは『東京日日新聞』明治九年九月五日の記事による。新橋横浜間の鉄道開通は明治五年である。
では第一号はというと、これより先に神戸大阪間であったという。以上、『明治大正史談』第三輯(昭和十二年四月)による。
明治・大正・昭和・平成と、どれほどの人が鉄道で自殺したのだろうか。
萩原健一の記事で、
コンビーフ缶詰を開けて牛乳を飲むオープニングシーンが社会現象となった「傷だらけの天使」
https://www.sanspo.com/geino/news/20190329/geo19032903000005-n3.html
とあるのに驚いた。独身時代、時々コンビーフを食べていたからだ。しかし、私は「傷だらけの天使」を見ていない。
ウィキで「傷だらけの天使」を見ると、
1974年10月5日から1975年3月29日まで
とある。私のほうが先だ。私がコンビーフを食べたのは1973年だ。安物には馬肉が入っていた。缶の開け方が面白いので、何度か食べた。
仲田定之助『明治商売往来』(青蛙房。昭和四十四年)に、
あの頃(注=明治中期)の贈答品はたいがい盆の上にのせて差出すのであるが、受けた側では必ずその盆に付木の束をのせて返す慣わしがあった
とある。「付木」とは、「杉や檜などの薄い木片の一端に硫黄を塗りつけたもの。火を移し点じる時に用いる」(『日本国語大辞典』)である。
これで、昔を思い出した。
私が小学生の時、母に命じられて季節のものやおすそわけを、お産婆さんの高橋さんの所へ持ってゆくと、高橋のおばあさんは、「ちょっと待ってね」と言って、マッチを一箱お盆の上に乗せてくれた。そんな経験を何度かした。
明治も昭和も同様だった。今、こんなことをする所があるだろうか。
源頼朝が大頭だったというのは有名な話だが、写真が残っているわけでもなく、本当かどうかわからない。
石橋思案は大頭だったという。江見水蔭「硯友社と文士劇」(『硯友社と紅葉』所収)に、
幕明きには下男がゐる。これが思案の役目だが、その下男の鬘が如何しても納まらない。当人は納まつても頭が人並脱れの大形なので、鬘の方が納まらなかつた。〈中略〉大頭に無理に嵌めた大森鬘は、アツといふ間に転げ落ちた。
とある。これは間違いないだろう。
天明七年版『七十五日』十八丁表に「八橋煎餅」がある。
根元一流 京都出店 両国やげん堀新地 八はし源七
この図にあるように八角形の箱に入れて売られていたものか。
本家西尾八ッ橋の系統なのか、聖護院八ッ橋総本店の系統なのか、私にはわからない。
ドラマで、留置場のことを「第4監獄」と言っていた。それでは第一から第三はどのような監獄なのかと調べてみると、ウィキペディア「留置場」の項目には、
留置施設に被逮捕者や被勾留者を収容する制度は代用刑事施設(代用監獄。刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律15条)制度と呼ばれる。
とあった。どうやら、私の聞き違いのようだ。「第4監獄」ではなく「代用監獄」だ。
この項目には、ブタ箱とトラ箱の違いが説明してある。
留置場(留置所・豚箱)は、警察法及び刑事訴訟法の規定により都道府県警察の警察官が逮捕する者または受け取る逮捕された者であって留置されるもの、刑事訴訟法の規定により勾留されるもの、法令の規定により留置(することができることと)される者を収容する施設。
保護室(トラ箱)とは、泥酔者他の「要保護者」が入る警察署内の施設。
ISBNの4番目の項目は出版社番号。2〜7桁で出版量に応じて割り当てられる。
《2桁》
00 岩波書店
01 旺文社
02 朝日新聞社
03 偕成社
04 角川書店
05 学研(学習研究社)
06 講談社
07 主婦の友社
08 集英社
09 小学館
10 新潮社
http://www.natubunko.net/publisher.html
この頁には、
273 桜楓社
とあるが、桜楓社は「おうふう」と改称した。それでも273を使っている。中央公論新社も、中央公論社の12を使っている。
「ひばりの花売り娘」二番に「白いミモザ」が出てくる。言葉のみ覚えて、どんな花なのか全く知らなかった。
加古川市の円照寺で黄色いミモザが鈴なりになっている写真があった。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201903/0012182430.shtml
Google画像検索で出てくるのは黄色ばかり。白いミモザは見当たらない。「フサアカシア」で検索すると、白があった。
「シクラメンのかほり」発表当時は薄紫のシクラメンはなく、「赤いスイートピー」発売時にもスイートピーの赤はなかったという。いずれも追って開発された。
山田風太郎は『コレデオシマイ』の中で、
広辞苑なんか、あれは三冊くらいにしたほうがいいなあ。あれじゃあ、重くて重くて。
と言っている。これでデジタル世代でないことがわかる。ワープロ・パソコンは使ったことがないだろう。四半世紀前に『広辞苑』CD版が出たし、今はPCでも電子辞書でも携帯アプリでも『広辞苑』が引ける。『広辞苑』が持てなくなったら、デジタル版を使えばよい。
山田は原稿料・印税のみで生活できた最後の世代だという。
「お天気師」という言葉があるのを知った。『日本国語大辞典』には、
詐欺師の一種。にせ金などを路上に落としておき、通行人と二人で発見したようによそおい、拾った金を預けて信用させ、種々の口実を作ってその通行人の金をまきあげて去るもの。
とある。お上りさんがよく引っかかったらしい。
悪知恵の働く奴はかなりいるようで、詐偽のネタは尽きない。
『忘れられた明治人』(柏書房)によると、明治四十二年に逮捕された仕立屋銀次の罪状は、「窃盗教唆故買牙保」だという。「牙保」という言葉は知らなかった。『日本国語大辞典』には「売買の取次をして、その中間に立って利をかせぐこと。また、その人、仲買。がほう。ブローカー」とある。小市民にはブローカーというのがピンと来ないが、街の不動産屋などはブローカーの一種なのだろうか。
ダイエー地下に「ハッピーイースター」というプレートが並び、下にお菓子の棚があった。クリスマス・バレンタイン・ハロウィンに続いて、イースターで儲けようという魂胆らしい。
しかし、「復活祭」は日本人にはなじみがない上、「春分の日の後、最初の満月の次の日曜日」ということで毎年日にちが変わる。関連グッズが「卵」というのもダメな理由だ。卵といえば廉価安定優良食品なので、高値で売買することができない。したがって、これはうまく行かないだろう。
伊藤晴雨『風俗野史』巻の一「江戸市中生業づくし」は、
江戸の所謂大道芸人なるものは大別して左の種類があり
1単に技芸のみを持て銭を乞ふもの
2物品を売る目的を以て演芸をなすもの
3格別の技芸なくして金銭を乞ふもの
と分類している。分類とは難しいもので、必ずといっていいほど、どこにも入れられないものが出てくる。「紙芝居」は、紙芝居を読み(演じ)聞かせるという一種の芸だが、同時に水飴を販売するという商行為を行なっていた。水飴を買わないと紙芝居が見られない。更に、5円で水飴を買うと、同時に2㎝×1㎝程度の小さな煎餅のようなものを渡される。これには瓢簞形等の溝がついていて、それに従って図形を切り抜くと別のお菓子がもらえるという博奕のような要素もあった。パリパリの煎餅なので、割れてしまってなかなか形を切り抜けない。唾で濡らせば簡単だが、それは違反だった。このように「紙芝居」は伊藤晴雨の言う1と2の要素の他に射幸心を刺激するという要素もからんでいる、複雑なものであった。それでもテレビが各戸に普及すると、すたれてしまった。
行政によって町名変更が度々行なわれた。小川裕夫『封印された東京の謎』に次のような記述がある。
(神楽坂)一帯を地図で眺めてみると、ほかのエリアと比べて、やたら細かく地割がなされており、多くの町名があることに気づかされる。〈中略〉どうして神楽坂周辺はそうなっているのか? 〈中略〉その明確な理由はわかっていないが、一説によると、神楽坂の古老たちは複雑な話が苦手で、行政の説明もろくに聞かず頑として首を縦に振らなかったとも言われている。そのうちオリンピックが終わってしまい、行政の職員が町名変更の作業を諦めたというのが真相のようだ。
「一説」と言っておきながら、それを「真相」というのは詐偽だ。信じがたいが、これとは正反対の事例がある。私の住んでいる所は「北横町」だった。私が小学生の時、町の年寄り達が「『横町』というのは格好が悪い。『北町』としてもらいたい」と陳情して、「北町」となってしまった。味も素っ気もない。このような愚かな住民もいるのだ。
柴田宵曲『明治の話題』(昭和三十七年)の「あとがき」で岡本経一は、次のように述べている。
柴田さんに影響を与えた先輩は、前に挙げた人達みんな世上「翁」と呼ばれた。年をとればみんな翁になるのではなく、翁と呼ばれるにはそれだけの風格がなければならない。ジャーナリズムの寵児ともならず、金持にもならなかったけれど、わが道を往く悠々たる人生であった。柴田さんは私淑した翁たちの遺稿を整理して本にしたがる。みんなただ働きだ。例えば次のように。
寒川鼠骨「正岡子規の世界」
五百木瓢亭「瓢亭句日記」
林若樹「集古随筆」
内藤鳴雪「俳話」
これ以外で、「前に挙げた人達」とは、三田村鳶魚・山中共古等である。
岡本の「翁」についての言説はよいが、「私淑」という言葉の使い方を誤っているのではないか。『日本国語大辞典』には、「敬慕する人に直接教えを受けることはできないが、ひそかに尊敬し、模範として学ぶこと」とある。ここに挙がっている人々と宵曲は接触・交流があった。
うちの親は「たてまい(建舞)」と言っていたが、「たてまえ(建前)」「棟上げ」「上棟式」という儀式がある。平出鏗二郞『東京風物志』の「上棟式」には「餅撒き」のことが書かれていないが、ウィキには「散餅銭の儀(餅や銭貨を撒く)が行われる」とある。家の四隅に撒いた。私が小学高学年の時、すぐ近くで建舞があり、西北隅は私一人で、餅とお捻りを独占した。
平出鏗二郞『東京風俗志』上の巻(冨山房。明治三十二年)143頁図の説明に「賽日の殷合」とある。ルビは振ってない。意味はわかる。縁日でにぎわっていることだ。説明がなくても絵でわかる。今なら「縁日のにぎわい」と書くところだ。
「殷合」を何と読むか。手許の国語辞典・漢和辞典には「殷合」は載っていない。おそらく、明治人の創作漢語ではないか。音は「インゴウ」、訓は「にぎはひ」と考える。「殷」は「にぎはひ」、「合」は「あひ」、合体して「にぎはひ」だ。「合」はなくてもよいが、二字熟語とするため、音の合うものをくっつけたのだろう。
『幕末・明治初期漢語辞典』というのがあるのを知った。これに収録された4482語の中に「殷合」は入っていないだろうが、機会があったら見てみたい。
「ツーけた格好して」と母がよく言った。辞書・ネットで「つうけた」「つうける」「ツーけた」「ツーける」を調べても、何も出てこない。これは北関東方言か。「風采のあがらない」「貧乏くさい」というようなニュアンスだと理解していた。
「でれすけ」は船村徹が塾名に使っていた。「ごじゃっぺ」は「おてもやん」にも出てくる。
平山蘆江『東京おぼえ帳』に、
芸者屋の入口はエ一格子ときまつて居り
とある。「エ一格子」とは、「江市屋格子」「江市格子」のことらしい。
『日本国語大辞典』には、
京格子を細かくして三角に削ったのを、わずかなすき間を置いて打ちつけたもの。中からは透かして外が見えるが、外からは中が見えない。
とある。しかし、google画像検索では、「江市格子」は出てこない。千本格子の一種と考えるほかないか。
平山蘆江『東京おぼえ帳』に、明治後半の東京の夕立について、
糸楯とか着ゴザといふ雨具がまだどこでも買へました 少し気取つた人は桐油紙をかぶりました さしづめこれがビニールの役をします
とある。
「着ござ」は映画やテレビの時代劇で見たような記憶もあるが、「糸だて」となると実物を見てみないとわからない。桐油紙も洋紙のものは使ったが、和紙のものとなるとわからない。今はどこのコンビニでもビニール傘を買える。
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