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気が向いたら思いついたことを書いてみます
平成六年、日本でジャポニカ米が不足し、タイ米を輸入した。我が家でもタイ米を食せざるを得なかったが、味には不満が残った。
江戸時代にも、タイ米を輸入して下層民に配給したことがあったようだ。
『瓊浦又綴』寛文十二年八月二十日の条に、
しやむ米千五百十五斤、町中へ御預け成被候、両町かしや廿五人に遣候。
とある。
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『俗耳鼓吹』に
手れんいつはりなしと桃灯に書しは、いにしへの遊女奥州、ずるけなしと張札せしは今の講釈師馬谷なり、みれんなしは、芝居三階の餅の名、かけねなしは現金正札なり。
とある。
今、「……なし」という広告があるだろうか。
中学二年の時、「瓜に爪あり爪に爪なし」と教わった。
大田南畝『半日閑話』安永五年に、
○てこずる
窮困 コマル事をテコズルといふ語流行す
とある。
『広辞苑』には、
(安永1772~1781)頃から始まった流行語)
とある。
三遊亭円生の落語で、
手古鶴
という名のおいらんが登場したのには笑った。
出版状況クロニクル129(2019年1月1日~1月31日)
http://odamitsuo.hatenablog.com/entry/2019/02/01/000000
に、
5.大阪の天牛堺書店が破産。負債は18年5月時点で16億4000万円。
 天牛堺書店は1963年創業で、新刊と古本を中心とし、CDや文具等も扱い、大阪府内に12店舗を展開していた。
とあった。
「日本の古本屋」を通じて何点か買ったことがある。道頓堀にあった天牛書店(今は江坂が本店)とは無関係とのこと。紛らわしい名前をつけたものだ。「天牛」とはカミキリムシ。カミキリムシのキーキーギシギシと体がきしる音は忘れられない。
朝日新聞が訂正した。
訂正して、おわびします
2019年1月27日05時00分
▼25日付スポーツ面「日清広告、『関心無い』」の記事で、大坂なおみ選手の発言内容が「なぜ多くの人が騒いでいるのか分からない。この件についてはあまり関心が無いし、悪く言いたくない」とあるのは、「騒ぐ人たちのことも理解はできる。この件についてはあまり気にしてこなかった。答えるのはきちんと調べてからにしたい」の誤りでした。大坂選手の英語での会見内容を、誤って訳しました。
これは「訂正」には違いなかろうが、「誤って訳し」た「誤訳」と言えるのだろうか? 全然内容が違う。悪意訳ではないか。
今朝のNHK「マイあさラジオ」でのリスナーメール。天井裏の鼠に悩まされ、いろいろ策を講じたがダメ。動物園に虎の尿を分けてもらいに行くという。鼠が虎の尿を嫌うということがどうしてわかるのか。ネットを見ると、害獣対策として、狼、ライオン、オオヤマネコなどのアニマルピーが販売されている。虎の尿は市販されていないようだ。果たして効果があるかどうか。
明治十二年頃、「税」のことを「ハノオルロ」と分解して言うことがはやったようだ。
『団団珍聞』第百三号(明治12年4月12日)に、
税と云字を分析したら歯でも立無(たたない)ハノオルロ
という都々逸をはじめ、狂歌川柳がハノオルロを詠んでいる。
『団団珍聞』第九十九号(明治12年3月15日)に
戀といふ字を分析すればいとしいとしといふ心 大阪武陵
とあった。
前出の
泥水に浮つ沈つ彼孑孑は心苦労して蚊々と成
も 大阪武陵 の作となっている。
森繁久弥は、
ボウフラが人を刺すよな蚊になるまでは泥水飲み飲み浮き沈み
と歌ったが、
『団団珍聞』第八十四号(明治11年10月26日)に、
泥水に浮つ沈つ彼(あの)孑孑は心(しん)苦労して蚊々と成
という都々逸が載っている。
今は「経済アナリスト」などという職業までできているが、「分析」というのは大事である。『舎密開宗』にも出てくるが、「分析」というと化学・物理のにおいがする。明治初期、科学の教科書に載ったのか、「分析」という言葉が流行したようだ。これに飛びついたのが都々逸子。

文字分析都々逸
櫻といふ字を分析すれば二貝(二階)の女が木(気)にかかる
戀といふ字を分析すればいとしいとしと言ふ心(『団々珍聞』? 未調査)
松といふ字を分析すれば君(公)とぼく(木)との差し向かひ
癪と云字を分析すれば主ゆゑ病が積(つむ)とかく
(『新撰端唄都々一集』明治十八年八月)
呑といふ字を分析すれば二人口とはうまいさけ
(『新撰音曲独稽古』明治二十年)
女と云字を分析すれば浮世のがれぬくノ一ツ
(『大津ゑ入都々逸』明治二十三年)
妾といふ字を分析すれば家に波かぜ立つ女
(『滑稽新聞』第百五十八号「科学情歌」明治四十一年三月五日)

心情分析都々逸
先のこころを分析すれば啌と実との七ト三
(『声くらベ 二編』明治八年)
恋の性質分析すれば愛素好素(すいそ)でなしたなか
(『開化新撰都々逸』明治十三年)
恋といふ字を分析すれば苦らう七分にらくが二分
(『〔一粒精選〕都々逸集大全』明治十八年四月)
化学術でも分析出来ぬゝしとわたしの親和りき
(『〔一粒精選〕都々逸集大全』明治十八年四月)
惚たといふ字を分析すれば色と欲とのふたごゝろ
(『〔一粒精選〕都々逸集大全』明治十八年四月)
森銑三は回数を「十回」と間違えている。「花柳界の女傑」の連載は十二回だ。
では、森はどうしてこのような間違いを犯したのか。実は、森の引いた記憶力の話が第十回目(八月二十八日)だからだと思われる。森はこの話に感動してメモを取り、それ以降を確認しなかったのではないか。あるいは二十九日を見たが何もないので、「これで終わり」と思ったのか。実は三十日が第十一回、三十一日が第十二回で末尾に(をはり)とある。
『都新聞』の記憶力に関する記述は次のとおりである。
お倉が常に後輩の女将や芸者に口を酢くして教へし客商売する者の格言とも言ふべきは、お客の名前は譬へ一度逢つた人でも決して忘れぬやう心得べし、再び逢ひたる時其の名前を呼ばれて嫌な気持をするものは決してなしといふ程に、お倉の強記は驚くばかりにて、大一座にて逢ひたるお客にても其名を記憶せざりしものなかりしといふ程なりき
森銑三『風俗往来』(中公文庫)の
明治四十三年九月の「都新聞」では、亡くなったお倉の逸聞を、十日間に亙って連載している
という記述は間違いであった。
お倉は明治43年9月11日に亡くなったが、その後の連載は
「死せる富貴楼お倉」が九月十二・十三・十五日の三日間である。
生前に連載された「花柳界の女傑」は明治四十三年八月五・六・八・九・十・二十三・二十四・二十六・二十七・二十八・三十・三十一の十二回である。
森は回数も間違っているし、月も間違っている。どうしてこのような間違いをしたかというと、「花柳界の女傑」連載第一回の三面の柱が「明治四十三年月五日」と間違っていたからである。「八月五日」とあるべき所を「九月五日」とした。それを森が鵜呑みにしてしまったのだ。
ちなみに、「花柳界の女傑」の第五回と第六回の間が2週間近く空いているのは、台風による洪水で東京下町が被害を受け、その報道に紙面を取られたためである。
森銑三『風俗往来』(中公文庫)に次の一節があった。
明治という時代には、料理屋の女将までに、えら者が出ている。富貴楼のお倉などは、その一人だったといおうか。このお倉は、大一座の時に逢った客の名前までも、実によく覚えていて、忘れなかったそうである。それでお倉は、お前達も、一度でも見えたお客さんの名は、忘れないようにおし。二度目の時に、自分の名を呼ばれて、いやな気持になる人はないからね、といっていたそうである。
明治四十三年九月の「都新聞」では、亡くなったお倉の逸聞を、十日間に亙って連載しているのであるが、その中に右のような一事が見えている。
ところが、「都新聞」明治四十三年九月にはそんな話は見当たらない。「死せる富貴楼お倉」という連載は、九月十二・十三・十五日の三日間で、話題は「おさだ」のことだ。記憶力の話は、「都新聞」の別の月にあるか、あるいは別の新聞雑誌か。
今朝のNHKラジオ深夜便で、作曲家の池辺晋一郎が面白い洒落を言った。
「天才ですね」
と言われ、
「甜菜でなくて砂糖黍ぐらいです」
と返した。
もし、テンサイのほうがサトウキビより甘いとかすぐれているとかいう事実があるのなら謙遜になるが、そうでなければただ話をそらしただけになる。
見附市から郵便が来た。「見附市」など知らなかった。
調べると、燕市・三条市の南、長岡市の北、出雲崎町の東だ。昭和二十九年にできたという。
今日の炎鵬・志摩ノ海戦で、炎鵬が志摩ノ海の「たてみつ」をつかんだ。まわしがかなり右へズレたが、行司が炎鵬の手をつかんで結び目の方へ移した。「お前はタテミツをつかんだから失格」と試合途中で宣告できないのだろうか。その後炎鵬は結び目付近をつかんだまま投げを打って勝った。試合後でもいいから、審判が「失格」と判定できないものだろうか。
『活版術階梯』(明治三十五年)九頁に活字の図があり、へこみ部分の説明には、
韯目とは、抦の一片に鑄なされたる凹線、(ニツク)
とある。
「韯目」「センモク」だろう。
『新漢語林』を見ると、
韯 は 韱 の俗字で、韱 とは、
①やまにら。山野に自生するにら。
②ほそい。
だという。「韯目」は「細い溝目」といった所だろうか。
三省堂ホームページ「活字と組版」には、
ネッキ
とある。
https://www.sanseido-publ.co.jp/conts/type.html
ネッキとは、『日本国語大辞典』を見ると、
活字の軸の一面に刻まれている溝。文選、植字の時、活字の背腹・大小・書体などの区別がしやすい。
という説明がある。別称などは書いてない。
ニックもネッキも似たようなものだ。
明治時代の文選工・植字工は何と言っていたのか。センモクかニックかネッキか。
今日の朝日新聞大阪版38面に「黎子」という人が出ていた。ルビなし。「黎」は常用漢字ではない。人名用漢字にはルビを振らないという朝日の方針があるのか。しかし、31面で「倶子」にはルビが付いている。共に人名用漢字でありながら、「黎」には振らず、「倶」に振るというのは不統一ではないか。10面では「愛」に「あい」、「昭」に「あきら」とルビを振っている。これは必要だろうか。社会面とスポーツ面とではルビの方針が違うのか。常用漢字でも表外読みの「美悠」「美宇」「美誠」「博生」「尚史」にはルビがある。
日清のカップヌードルは底に「フタ止めシール」があって、これを引っ張ると透明の包装プラが破れ、剥きやすくなる。と共に、お湯を注いだフタを止めるシールにもなる。これは便利だが、他のメーカーにはこれに類するものがついていない。特許を取られていて真似できないのだろうか。
国技館で、力士の名を大きく書いたタオルやプラカードを掲げる人たちがいる。タオルは購入したものだろうが、自作のプラカードには誤字が見られる。
「貴景勝」を「高景勝」としたり、「嘉風」を「喜風」としたものがあった。観客のレベルが知られる。
今年十月から消費税が10%になるという。
『鶯亭金升日記』昭和二十三年九月一日に「百円の買い物をすれば一円、八十円には八十銭と云ふ税の印紙ができて、今日より商人も面倒なるべし」とある。1%だ。これは、印紙税か物品税か消費税か。ネットを見ても、『近代日本総合年表』を見ても、この件に関する記述が見られない。どういうことだろうか。
今日見た文献に「第四種郵便」とあった。「第三種郵便」というのはよく見るが、第四とは? 三・四があるなら、一・二があるはずだ。ハテ、「第一種郵便物」とは? と疑問に思い、調べると、次のようなことであった。
第一種郵便物(手紙)(定形郵便物・定形外郵便物・郵便書簡)
第二種郵便物(はがき)
第三種郵便物(承認を受けた雑誌などの定期刊行物。開封)
第四種郵便物(通信教育用郵便物・点字郵便物・特定録音物等郵便物・植物種子等郵便物・学術刊行郵便物)
https://www.post.japanpost.jp/service/standard/index.html
封書が原則で、葉書はその廉価版らしい。私が小学校低学年の頃は定形封書が十円だった。母の姉は封筒の右上を切って開封とし、八円切手で送ってくるのが常であった。カモシカの図で、子供にはこわいような気もしたが、今見るとかわいらしい感じもする。
https://marumatestore.com/?pid=340621
某氏の論文注釈に、
男名の芸者は、幕府の公許を受けていた吉原以外の色町・宿場・歓楽地等の岡場所で、役人の目をごまかすために芸者を男名前にして雇人にしたと言われている。(凡平『江戸の花街「遊廓」がわかる』、二〇〇五・九、技術評論社)また、岡場所の代表とされる深川で、豪華に着飾る花魁に対抗し、男装であつた羽織を用い、売春をせず、意地と張りな態度で接客する深川芸者に由来して、男名前を付けることもあったと指摘されている。(中野栄三『廓の生活』、一九六八・六、雄山閣出版)
とあった。
語源同様、事物起源も難しいものだが、凡平・中野栄三の説のみ掲げて、宮武外骨の説を抜かしているのは残念。
宮武外骨『スコブル』第一号(大正五年十月)掲載「男名の芸妓(其由来)」に、
古い時代から何処にでもあるが誰も其由来を知らずに居る事
女性の芸妓が男性の名を附るこれはそもそも何が故であるか
男の名といへば、先づ何太郎、何次郎、何三郎、何吉、何松、何助である、女の名といへば、お松、お鶴、お花、お吉、お蝶、静子、英子等の類である、然るに芸妓の名に
 玉吉 太郎 琴之助 粂八 春次 吉弥 米丸 鶴次 千代吉 松助 音松
など云ふのが多い、これは何故であるか
徳川時代の初期から明治維新後までの間、各地にカゲマと云ふのがあつた、蔭間は男色を売るのが本業で、若衆、色子などとも呼ばれた、其蔭間茶屋といふのが、江戸は芳町、京は宮川町、大阪は阪町などに多くあつた、蔭間は女装して居たが、名はやツぱり男名で、梅太郎、菊之助、染吉、藤松など云つて、蔭間茶屋の表行燈にも其名を記したのである
此蔭間がスコブル流行した宝暦頃に、江戸深川の芸者屋で娘を蔭間風に仕立、男髷に結つて羽織を着せ、名をも蔭間らしく千代吉、鶴次、甚八など呼ばせて、蔭間の向ふを張つたのである、それがモトで今に至るまで芸妓に男名を附けるのであるが、其由来を知つて居る当人、客人は百の中に一人もあるまい
とある。
『公私月報』第六十八号(昭和十一年)では、
江戸時代の若衆「かげま」は女装の男子で淫を売つたのであるが、その向ふを張つた深川の羽織芸妓は若衆づくりで、名をも若衆らしく駒吉、玉太郎、米八など男名を唱へたのがモトで、一般の芸妓が男名を附けることに成つたのである
と述べている。
「カフエライオン鼻つまみ番附」(『銀座』第三号所収)に、
前頭  岡 康雄(女給をちつとも張らないから)
前頭  久米正雄(女房を連れて女給を張りに来るから)
前頭  菊地寛(たまに來て女給を張るから)
とあるので、「張る」の意味がわからなくなった。
『日本国語大辞典』「張る」には
二⑦複数の男性が一人の女性をものにしようと争う。また、学生用語で女学生を口説く。〔最新百科社会語辞典1932〕
とあるが、これは、『最新百科社会語辞典』の他、
『隠語辞典』(栗田書店。昭和八年)に
はる(張る 俗)多くの男が一人の女を獲得しようとして競争することをいふ。
とあるのによったもので、「張り合う」と勘違いしているのではないか。「争う」「競争する」必要はない。
『現代語新辞典これさへあれば』(文化出版社。昭和二年)に
【張】(ハリ)(一)女を手に入れんと附けねらふこと
とあり、
尾佐竹猛『下等百科辞典』(批評社。平成十一年)に
はる(張る)【普通語】
(二)粋な言葉で、思ふ女を手に入れんと尽力するので、横町の娘を張るなど云ふので、これから転じて経師屋など云ふ隠語も出来たのである。
とあるのが、順当なところだろう。
さて、「張る」が「女を手に入れようとする」ことであるとして、その手段・方法は如何なるものか、ということが問題になる。
幸い、安藤更生『銀座細見』(昭和六年刊。今、中公文庫による)に「女給の張り方」が書かれている。
この章は、
いまのカフエの客はみんな女給目当てである。従つて、女給を永遠の女性にしてこれに真面目な恋をしようとするものもまた与太な気持で女給を弄ぼうとする者も、いずれにせよそこには人様々なテクニックが使われるわけだ。
と前置きをして、
チップの適量
時期
伴奏者
送り
呼出し
の諸項目で詳説する。最後は「金」の話だ。
これで一応納得はしたものの、先の「鼻つまみ番附」の、
久米正雄(女房を連れて女給を張りに来るから)
というのがわからない。女房を連れてカフェに来て女給を口説くというのはどういうことか。
ウィキによると、久米は大正十二年、待合「ゆたか」の元芸妓・奥野艶子と結婚している。水商売あがりの女房だから、女には寛容で、妻公認の浮気なのだろうか。そういえば、最近も東京都議会議員が、妻のセフレを容認するという話があった。世は様々。人も様々。
「カフエライオン鼻つまみ番附」は、下記に翻刻がある。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~hokkyoku/wagaya/huruhon/huruhon26/huruhon26.htm
大田南畝『一話一言』に、
浅草海苔に歌そふて得させたる返り事に
 むさしなる浅草海苔は名のみにてお心さしの深川のもの  右信海
右古今夷曲集に見ゆ、此頃もはや浅草よりは出ず、深川より出しと見えたり、今は大森辺より出るとは、弓矢八幡信海も知らさるべし
とある。
私が子供の頃、町内に海苔屋があった。大きく「浅草海苔」と書いてあったのを覚えている。『古今夷曲集』から三百年以上も海苔屋は噓をつき続けたのだ。
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