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気が向いたら思いついたことを書いてみます
向島をMapウォーキングしていると向島五丁目に「めうがや」という看板があった。子供の頃、近くに「めうがや」という薬局があった。ここは何屋かとみると、足袋の誂え専門店だった。足袋を受注制作して食べていけるらしい。
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『柳亭筆記』に、
入間様又入間詞といふも同じ逆詞なり、是に二種あり。一は意を逆に言なり、一は詞を逆にしたるなり。意を逆にいふとは花散れ月くもれなどの類なり、詞を逆にするとは花の雲といふべきを雲の花といひ月の鏡を鏡の月といふ類なり、余は准じて知るべし。正章が著の〔かたこと〕〔割註〕慶安三年印本。」「山崎の宗鑑法師といひしえせ者の かしまや〈菊池注:「かしましや」の誤記か〉此里すぎよ郭公都のうつけさこそ侍らめ」と詠しはいとことさめてにくきやうなれど是はいるまやうとて狂歌狂句の本体とこそ承はれ云々」とあり。〈下略〉
やや異なるが、忘れられないのは「喧嘩挨拶」とでもいうべきものである。私の母が家を訪れた人(男)にいきなり悪態をふっかけ、その客も母をあしざまにけなし、そのやりとりが数分続いた後、二人は「あはは」と笑って、その後は普通の会話に戻った。専門用語で何というのか知らないが、ローティーンの私は聴いていてハラハラもし、驚きもした。母は何人かにこのような喧嘩言葉をふっかけていたようだ。示しあわせたのではない、最初の一言を聴いて怒りもし相手の意図を忖度もし、茶番喧嘩につきあおうというものだと思う。
あたま悪そうな名の地方空港ランキング
というページがあった。
https://rdrd072rd.hatenablog.com/entry/2019/09/22/125506
10位
えらぶゆりの島空港〔鹿児島県大島郡和泊町〕
コウノトリ但馬空港〔兵庫県豊岡市〕
対馬やまねこ空港〔長崎県対馬市〕
9位
宮崎ブーゲンビリア空港〔宮崎県宮崎市〕
8位
隠岐世界ジオパーク空港〔島根県隠岐郡隠岐の島町〕
7位
富山きときと空港〔富山県富山市〕
6位
おいしい山形空港〔山形県東根市〕
おいしい庄内空港〔山形県酒田市・鶴岡市〕
5位
出雲縁結び空港〔島根県出雲市〕
4位
岡山桃太郎空港〔岡山県岡山市北区〕
3位
徳島阿波おどり空港〔徳島県板野郡松茂町〕
2位
米子鬼太郎空港〔鳥取県境港市〕
1位
鳥取砂丘コナン空港〔鳥取県鳥取市〕
私が降り立ったことのある空港は、高知空港・長崎空港・青森空港だ。いずれもワースト10には入っていない。ある映画を見ていたら、高知空港ロビーが出てきたので感動したが、それがセットであったことを知って驚いた。映画に金がかかるのはもっともだと思った。高知空港は「高知龍馬空港」になってしまったようだ。
『南嶺遺稿』に、
書物の帙、古来は竹にて編むものにて、竹を随分細くしてこしらへたり。源氏物語に、竹帙と有。是にて書物を巻ておく也。
とある。
『日本国語大辞典』には、
ちす【帙簀】〔名〕(「ぢす」とも)経巻などを包む帙(ちつ)。竹のすだれを心(しん)にして、四周を錦でふちどり、裏に綾をつけ、巻き緒、組み緒をつけたもの。竹帙。
とある。
昔は「竹」が生活の隅々にまで存在した。私が小学生の時は、通学途上に「竹屋」があり、裏手には竹がびっしりと並んでいた。
上田花月二十歳の時の作に「老翁」という題の戯文がある。
七十年高達者翁、欲張還願齢無窮、工為仕事瞳猶瞭、能聴音声耳未聾、香物嚙来顋頻動、花嫁去口甚雄、是爺壮健心如矢、何若其腰似大弓、
年よりをさんざん褒めて最後に落とすというやり方だが、私はまだまだ腰は曲がっていない。百数十年以上経っているので、老人も違っている。そもそも、今は七十で本当の「高齢」とは言えない。七十五から「後期高齢者」ということになっている。この定義もそのうち変わるだろう。みんな七十五まで働かされることになるかもしれない。
明治十四年の都々逸に、
主の心とがらすの鏡日かずたつ程はげてくる
というのがある。これは今の若い人には理解困難ではなかろうか。ガラスは透明だから、これを鏡にする為には裏に何らかの反射材を貼り付けなくてはならない。ウィキペディアには、
一般的な鏡はガラスの片面にアルミニウムや銀などの金属を蒸着したものである
とあるが、私が子供の頃、母親が使っていた鏡台の鏡は、その裏の反射材塗料が一部剝げ落ちていた。裏を見ると朱色に塗った金属ようのものであったのを覚えている。アルミではなかった。技術の進歩で、鏡裏面の一部がごっそり剝げ落ちるというようなことはなくなった。
子供の頃、テレビのクレジットで「花登筺」という名前をよく見た。
『新大字典』には、
筐 かご。かたみ。はこ。
もと匡とかき、飯を盛る器。竹で作ることから、竹冠を加え、匡は転じて方正、または救う義に用いる。
とある。
『日本国語大辞典』には、
かたみ【筐】〔名〕竹で編んだ目の細かいかご。堅間(かたま)。勝間(かつま)。
とある。
これによって、「筐」「匡」「かたみ」「かたま」「かつま」は同じものであることがわかる。
「はこ」でなく、「こばこ」と読ませる発想はどこから出たものであろうか。
土俵上で力士が体を痛めたりした後、呼出が土俵に塩を投げ込むことがある。縁起直しだろうか。勝負審判入場の際、先頭の審判が土俵に塩を投げ込むのを何度か見た。全ての審判がやるのではない。これはどういうわけなのか。
明治二十三年の本に「津幡駅」とあった。はて、津幡とはどこか、と調べると、
石川県河北郡津幡町
であった。倶利伽羅峠のある町だ。
金沢市と高岡市とに接しているというのには驚いた。
明治二十三年の本に美人の形容として「裊娜嬋妍」とあった。「娉婷」という形容もあるようだ。「嬋妍」は見たことがあるが、「裊娜」「娉婷」は初めてだ。
明治十九年の本に「赤坂区丹後町」とあった。昭和二十二年に「港区赤坂丹後町」となり、昭和四十一年には赤坂四丁目の一部となった。TBSの北方にあたる。名残としては「丹後坂」がある。
マンションなどに、
ジオ赤坂丹後町
サンウッド赤坂丹後町
フォレセーヌ赤坂丹後町
COMOE赤坂丹後町
ジュネス赤坂丹後坂
パークオアシス赤坂丹後坂
赤坂丹後町ビル
などがあり、旧町名を残しているのはありがたい。それにしても「何とか赤坂」という建物の多いこと多いこと。
以前、『日本国語大辞典』の「たぬき」の項目に、「幇間」の意味の記述がないことを指摘した。その際、
宮武外骨『滑稽辞林』(安田書店。明治三十六年)に
たぬき 幇間、又はズルイ奴
とあり、
横江鉄石作『痛快節』には、
ヱライ決心東雲ならぬ、法官社会のストライキ、骨のないのは海鼠に海月、たぬき幇間タイコモチ(添田唖蝉坊『流行歌明治大正史』〈春秋社。昭和八年〉による)
とあるのを例示したが、更に古く、
明治十三年刊『花柳事情』中之巻(酔多道士作)に、
幇間(たいこもち)は〈中略〉狸の称こそあれ矢張䣩然たる人間にして其景象(ありさま)懸版芸者に異ならす
とある。この例を追加しておく。
『別世界』第七巻第十一号(明治三十二年十二月)に、
煙草の「シーザ」新輸入にて小生試し候所口当り宜敷候間御吸料として御笑納被下候得ば幸甚の至りに御座候
  思ふお方を缶詰煙草余所の風にもあてさせぬ
とある。
45年以上前、「煙草は缶入ピースに限る」という人がいた。格好いいなと思って買ってみたが、一缶でやめた。強すぎるし、フィルターがないのがダメだった。ネットを見ると「缶ピース」はまだ販売しているらしい。50本で1250円。1本あたり25円。まだまだ安い。もっと値上げして1本100円以上にすべきだ。
『別世界』第六巻第十一号(明治三十一年十二月)に、
俳諧師や狂歌師が古人の死跡を探り索めて其の号を嗣ぎその名を襲ひて四世の五世のと名乗るは恰も空巣狙ひの窃盗の如し
とある。
芸界・角界は知らず、俳諧・狂歌・小説・戯作等では避けてもらいたい。
某国文学者が、某狂歌師(但し旦那芸)の提灯持ち論文を書き、狂歌師であった先祖の号を継承せず、この旦那芸狂歌師の号を襲って「二世」と称したのは、感心しない。この名で狂歌集を刊行しなかったのが、せめてもの救いだ。
人が死ぬことの表現はいろいろとある。
文人については、「白玉楼中の人となる」と言った。
『別世界』第六巻第九号(明治三十一年十月)には、
桂才六、三遊亭万橘の両丈は此程極楽の蓮華亭へ乗込みたり
とある。「蓮華亭」とはオツな表現だ。ネットを見ると「蓮華亭」という料理屋がたくさんあるようなので、笑った。
『撥あたり』第三号(明治二十三年)に、芸者を美事に描写した文がある。
徐に左り褄してカラコロと歩む其化粧(けいけい)の清潔たる衣帯(おべべ)の時に適せし工合光沢(つやつや)なる鬢髪(かんかん)は黒く真ッ白の肌は雪の如く風姿細腰
『羅句雅記』第八号(明治二十八年)に次の記述がある。
芭蕉の句碑  過ぎぬる五月の五日京都府宇治郡醍醐字日野薬師堂境内に建て我も其盛なる式に臨みぬ碑に句あり
  留守といふ小僧なぶらん山桜   翁
これは現在の法界寺であろう。ホームページによると、
日野山を背にして建つ。「日野寺」「日野薬師」「乳薬師」ともいわれる。
https://kyotofukoh.jp/report574.html
とある。このサイトには、「留守といふ小僧なふらん山桜  はせを」句碑の写真があり、
句碑は江戸時代、1800年建立。
と説明をつけてある。
1800年(寛政十二年)に建てた碑があるのなら、95年後の
1895年(明治二十八年)に改めて碑を建てる必要はないのではないか。
明治二十八年の雑誌に「手首の有る芸者」とあった。手首があるのは当たり前だ。「手首」に特別な意味があるのだろうかと調べたが解らない。
以前に書いた「出版祝いの歌」というのは「出版への祝詞」の記憶違いであった。
『文芸共進会』第三号(明治二十七年三月)に次の記事がある。
  ○思案の都々逸、雪嶺を苦しむ
先年奇骨文学士三宅雄次郎氏主筆となりて、江湖新聞と言へるを発行せんとし、祝詞を諸家に募りて待つ。応じて四方より集る金玉の文章山の如き中に、石橋思案外史の祝詞あり。結末に都々逸を書して筆を結びぬ。流石の文学士大いに驚き、早速思案外史の宅を訪ひて『せ、せ、せッかくでしたが、私の、私の、新聞に、都、々、々都々逸は御免被下い』
まるでフォントのような美文字を書く中国の少女が話題に
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1993817.html
『千字文』をボールペンで書いているのだが、教科書体で印刷したかのような美文字。何の変哲もないボールペンのように見えるが、このペンに秘密があるのか、あるいは下の用紙ならぬマットに秘密があるのか、又はこの少女の超絶技巧なのか。毛筆で書道をやったらよかろうと思う。
斎藤緑雨は「ギヨエテとは俺のことかとゲーテ言ひ」と詠んだという。
「ギョエテ」「ゲョエテ」「ギョーツ」「グーテ」「ゲエテ」など数十種類にものぼる表記が存在した。
https://blogs.yahoo.co.jp/yutahon0281/41547091.html
シェークスピアはどうか。
明治十一年の『劇場新報』には「セーキスピール」とある。坪内逍遙訳『自由太刀名残鋭鉾』(明治十七年)の広告(明治十八年刊『小説神髄』見返し)には「セクスピア」とある。『早稲田文学』には「功過錄としてのシエークスピヤ」という逍遙の論文が載っている。逍遙自身が呼称を落ち着かせたか。
明治時代の雑誌には、「まゐらせさうらふ」「かしく」など仮名合字が頻出する。しかし、今のパソコンでは、これを文字として出力することはできない。ウィキペディアの「合略仮名」を見ると、


は出せるようだ。
ネットを見ていたら、「野丁場」という言葉があった。(やちょうば)かと思ったら(のちょうば)だった。「建築用語集」というサイトには、次のようにあった。
鉄筋コンクリート造の建物工事など、住宅以外の大規模な工事現場のこと。
かつては町場仕事のほうが施工技術が高く、野丁場という言葉は、旦那場とも呼ばれた町場職人からの蔑称だった。
しかし、町場仕事を主としてきた大工の棟梁たちが、顧客を失って、ハウスメーカーの下請けになってしまった。そのため、いまでは野丁場のほうが施工技術が高い。
野丁場と町場では、職人の言葉もいくらか違う。
「宮大工」と言われる人々は、全国で何人ぐらいいるのだろう。
大相撲序の口行司に「式守衆侯」がいる。「衆侯(ともきみ)」は本名らしい。親はどういう意図で名付けたのだろうか。キラキラではないが難読名だ。
PayPayというシステムがあり、「ペイペイモール」「ペイペイフリマ」というサイトがあるそうだ。
『日本国語大辞典』を見ると、
ぺいぺい〔名〕地位の低い者や技量の劣っている者をあざけっていう語。また、自分を卑下していう語。ぺえぺえ。
とある。
よくもまあ、こんな名前をつけたものだ。自分を卑下しているとは思えない。
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