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気が向いたら思いついたことを書いてみます
吉井勇のエッセイに「逢状」の他、「雑魚寝」があった。

今はもう「雑魚寝」などというのんびりしたこともなくなつてしまつたが、私がはじめて祗園に遊んだ四十数年前の昔には、まだこういう習慣が行われていて、最初こういう一夜を白川に近い或る茶屋で過した時には、何だかまるでこの世の出来事ではないような気がして、何時しか自分が紅楼夢中の人となつているように思われてならなかつた。
 遊び疲れ飲み疲れて、これから雑魚寝ということになると、急に酔が出て来て瞼も重く、床の敷きつらねてある座敷に入るなり、そのまま倒れるように枕につく。そうして眠るともなく夢うつつの間に、大勢の舞妓達が何か京言葉でしやべりながら、帯を解いたり、かんざしを抜いたり、着物を脱いだりした後、紅い長襦袢ひとつになつて、それぞれ寝支度をしているのを聞いていると、まだ襟替えには大分間のある、色気のないいたいけな少女だとは思つていても、伽羅の匂いさえほのかに漂つて来るような心持がして、妙に婀娜(あだ)つぽく心がときめいて来るのである。大勢の舞妓達との雑魚寝はまだいいが、もうすつかり女になりきつている芸妓達との雑魚寝の場合は、どうも心がときめくと言つたくらいでは済まず、体中が緊張して息苦しくなつて来る。手が触つたり足が触つたりしても、お預けに会つた犬のように、じつと耐(こら)えていなければならないのだから、考えて見れば「雑魚寝」という制度ぐらい若い男に取つて、殺生極まるものはなかつた。

これについても、「ギオン福住」のHPに説明がある。

 昭和の中頃まで、京都、大阪の花街には雑魚寝(ざこね、京都ではじゃこね)という風習が有りました。
 これは文字通り、宴会の後のお茶屋さんで、お客とそれより多い芸、舞妓が一つ部屋で枕を並べて泊まるものですが、芸、舞妓側は、朋輩とお喋りも出来るし、ひと時ですが屋形の生活とも開放されるし、何よりお花が付きましたので皆喜んで参加したそうです。
 一方、お客の方はこの間、一切芸、舞妓に触れてはならぬ、というルールが有ったので、ただもどかしく夜を過ごすというものだった様です。
 “空寝入り あまり鼾が 律儀すぎ”なんていう川柳がこのあたりの雰囲気を良く伝えています。
 このお客に全くメリットが無い(としか私には思えない)風習が何故行われていたのでしょう? 単に“おおらか”とか“男の修行”とかでこれを片付けていいのでしょうか?
 実は明治18年発行の“花街妓情”に雑魚寝に対する芸妓の心得が書かれています・・・
 雑魚寝中、万一お客がしつこく迫ってきたら・・・
 「オオうれし、たとえウソでも口説て貰うたら拍子が直る。」と大声を出します。傍らにバツの悪そうなお客が見えるようです。
 「サアサア皆目を覚まして一寸聞いて頂戴、五年この方一人くらしの私にお客さんがついた。あしたは柏太山か南吉をおごります。」
 何だかよく分りませんが大変な事が起きているようです。
 そこで最後に「一寸祝いに一ぷく呑う。」
 と煙草をくゆらし灯を明るくしてお客の顔を真底うれしそうに笑うてかかる、とあります。
 きっとこの時のお客の顔は釜揚げのしらすの様に真っ白でしょう。
 そしてこの芸妓さんに目出度く旦那さんがついたことは想像にかたくありません。
 おおこわ!
 参照:大和屋発行、阪口祐三郎伝、鷲谷樗風著


「雑魚寝」についても都々逸がある。
右のところをうかゞう雑魚寝左りまへとは知らぬ客



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