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気が向いたら思いついたことを書いてみます
奥付に「発行者 野間佐和子」と書かれた本を何冊か買った覚えがある。「佐和子」というのはいい名前だと思う。目の前に佐和子さんが現れたら恋に落ちてしまいそうな感じだ。幸か不幸か、わが人生で佐和子さんにお目にかかることはなかった。社長夫人だったのが、連れ合いの死で社長になったのだろうと思っていたが、その通りだった。山本夏彦『私の岩波物語』に、次のようにあった。
野間清治は昭和十三年十月十六日午後一時機嫌よく入浴して、背を流させているうち胸苦しさを訴えたかと思うと一時半にはもう息たえていた。狭心症だった。それからひと月もたたない十一月七日こんどは恒が死ぬのである。二十九だった。
恒はこの年二月町尻量基陸軍軍務局長の長女登喜子と結婚している。子供はない。はじめ胃潰瘍だと思われたが直腸がんだった。申し遅れたが講談社も岩波も個人である。法人になったのは戦後である。戦前は個人の時代で法人の時代ではない。
二代目若社長が死んだから初代野間清治の未亡人左衛が三代目社長になった。結婚半年そこそこの登喜子は野間家にとどまって昭和十六年高木省一と結婚した。四代目社長になって戦後の講談社を今日あらしめたのはこの野間省一である。
ところが省一は昭和四十六年に脳血栓で倒れ、療養生活十三年何度か小康を得たが昭和五十九年七十三で死んだ。省一のひとり娘野間佐和子の婿惟道が省一のあとをついで社長になったかと思うとこれまた昭和六十二年急逝するのである。惟道は敗戦の時の陸相で自殺した阿南惟幾大将の五男で、昭和十二年生れである。
私が小学生時代御世話になった頃は野間省一時代だ。野間佐和子は平成二十三年死亡。現在は、野間省伸が七代目社長。
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