忍者ブログ
気が向いたら思いついたことを書いてみます
某氏の論文注釈に、
男名の芸者は、幕府の公許を受けていた吉原以外の色町・宿場・歓楽地等の岡場所で、役人の目をごまかすために芸者を男名前にして雇人にしたと言われている。(凡平『江戸の花街「遊廓」がわかる』、二〇〇五・九、技術評論社)また、岡場所の代表とされる深川で、豪華に着飾る花魁に対抗し、男装であつた羽織を用い、売春をせず、意地と張りな態度で接客する深川芸者に由来して、男名前を付けることもあったと指摘されている。(中野栄三『廓の生活』、一九六八・六、雄山閣出版)
とあった。
語源同様、事物起源も難しいものだが、凡平・中野栄三の説のみ掲げて、宮武外骨の説を抜かしているのは残念。
宮武外骨『スコブル』第一号(大正五年十月)掲載「男名の芸妓(其由来)」に、
古い時代から何処にでもあるが誰も其由来を知らずに居る事
女性の芸妓が男性の名を附るこれはそもそも何が故であるか
男の名といへば、先づ何太郎、何次郎、何三郎、何吉、何松、何助である、女の名といへば、お松、お鶴、お花、お吉、お蝶、静子、英子等の類である、然るに芸妓の名に
 玉吉 太郎 琴之助 粂八 春次 吉弥 米丸 鶴次 千代吉 松助 音松
など云ふのが多い、これは何故であるか
徳川時代の初期から明治維新後までの間、各地にカゲマと云ふのがあつた、蔭間は男色を売るのが本業で、若衆、色子などとも呼ばれた、其蔭間茶屋といふのが、江戸は芳町、京は宮川町、大阪は阪町などに多くあつた、蔭間は女装して居たが、名はやツぱり男名で、梅太郎、菊之助、染吉、藤松など云つて、蔭間茶屋の表行燈にも其名を記したのである
此蔭間がスコブル流行した宝暦頃に、江戸深川の芸者屋で娘を蔭間風に仕立、男髷に結つて羽織を着せ、名をも蔭間らしく千代吉、鶴次、甚八など呼ばせて、蔭間の向ふを張つたのである、それがモトで今に至るまで芸妓に男名を附けるのであるが、其由来を知つて居る当人、客人は百の中に一人もあるまい
とある。
『公私月報』第六十八号(昭和十一年)では、
江戸時代の若衆「かげま」は女装の男子で淫を売つたのであるが、その向ふを張つた深川の羽織芸妓は若衆づくりで、名をも若衆らしく駒吉、玉太郎、米八など男名を唱へたのがモトで、一般の芸妓が男名を附けることに成つたのである
と述べている。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
[2152] [2151] [2150] [2149] [2148] [2147] [2146] [2145] [2144] [2143] [2142]
カレンダー
01 2020/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(01/23)
(01/22)
(01/21)
(01/19)
(01/18)
(01/18)
(01/16)
(01/15)
(01/14)
(01/13)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
gwaikotsu
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
忍者ブログ / [PR]
/ Template by Z.Zone