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気が向いたら思いついたことを書いてみます
斎藤清衛が「東京大学国語国文学会会報14号」に「学者と長寿」という文章を寄せている。

古代の文学者は、平均して高齢長寿である。別に、これといつて特別の栄養食を採つていたらしくもないが、上代には百歳近くまで寿命を保つていたものが数多であつた。かりに延喜、寛弘前後在世した人物の歿年を検討しても、紀貫之(天慶五年、八十五歳)大中臣頼基(天暦十年、七十三歳)大江朝綱(天徳元年、七十二歳)敦実親王(康保四年、七十五歳)源実頼(天禄元年、七十一歳)菅原文時(天元四年、八十四歳)源順(永観元年、七十三歳)兼明親王(永延元年、七十四歳)清原元輔(正暦元年、八十三歳)大中臣能宣(正暦二年、七十一歳)藤原仲文(正暦三年、七十八歳)等の名を列挙することができる。その他、中世では、西行が七十三歳、俊成が九十一歳、家隆が八十歳、定家が八十歳、為長が八十九歳、信実が八十九歳、為世が八十九歳、為兼が八十二歳、頓阿が八十四歳、了俊が九十六歳で歿しているという類で、一般に長命の生を経験している。仏門、特に禅僧には八九十歳迄の長命者が多いのであるが、全般として文人の平均には劣つている。もとより現代の文学者の中にも、長命のものはいるが、多くは作家となつて徒らな名誉心──それはしばしば文学才能の情熱と混同されているが──に駆られて八九十歳の寿命を保つものはほとんど無くなつている。最近の日本人が、平均的に死亡年齢が伸び、体躯の肥大となつたことは、主因として栄養の結果にあると思うが、なお心理的に神経の安静というものを失つている。

昭和37年、斎藤69歳である。この時点で「余裕綽々」とした「神経の安静」を得ていたのであろう。88歳まで生きた。
作家では志賀直哉の88歳、安岡章太郎の92歳が思い起こされる。文学研究者にも長生きの人は多いのではなかろうか。私は、老いた久松潜一先生の講演を聴いたことがあるが、彼は82歳没。するとあれは70代だったのか。今の老人なら80過ぎの感じだった。

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