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気が向いたら思いついたことを書いてみます
浅草蔵前新堀川下流に「天王橋」がかかっていた。
文久三年『東都浅草絵図』に、「鳥越橋/里俗天王橋ト云」とある。鳥越川と新堀川との合流地点のすぐ東。橋の南西に「天王町」がある。現在の須賀橋交番前交差点付近。須賀橋交番の現住所は、台東区柳橋2丁目16番12号。交差点の西は台東区浅草橋三丁目。
『柳橋新誌』二編に、
天王橋畔騎人一嫗を踏殺す(岩波文庫)
天王橋畔、騎人、一嫗を踏み殺す(岩波新古典大系)
とある。元の漢文は、
天王橋畔騎人踏殺一嫗(明治七年刊本)
天王橋畔。騎人踏殺一嫗。(『柳北全集』)
である。
増田太次郎『引札絵ビラ風俗史』(青蛙房。昭和五十六年)は、「神亀堂」の引札を紹介して、
この引札で不思議なのは占者の住所である。占者が表通りの立派な家に住んでいるとは限るまいが、それにしても「浅草区福富町廿九番地、但シ天王寺橋側きんつばや横町へ入り、取付の橋へつき川岸を半丁程で……の裏」とある。
としている。しかし、第41図の影印を見ると、住所は、
浅草区福富町廿九番地但シ天王橋側きんつばや横町へ入り取付のはしへつき……
とある。「天王寺橋」ではなく「天王橋」である。
天王寺は大阪の寺だ。江戸・東京に「天王寺橋」はないだろう。
篠田鉱造『幕末百話』には、
道々天王寺橋の所を通つて来ると(『増補幕末百話』万里閣書房。昭和四年。313ページ)
道々天王寺橋の所を通つて来ると(岩波文庫。196ページ)
とある。これは聞き違いか。篠田は赤坂出身で、下町のことには詳しくなかったか。
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