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気が向いたら思いついたことを書いてみます
明治・大正・昭和初期の新聞記者には、複数の新聞社を転々とした人が目立つ。これはどういうわけなのだろうか。
次のようなネット記事を見た。
今回リストラを断行する朝日新聞だが、主に若手の中途採用は積極的に行っている。特に、かつては「花形」とされながら激務で若手記者から避けられている警察・司法担当は、産経新聞や毎日新聞からの転職組が多いことで有名だ。
50代の朝日新聞社会部記者がこう話す。
「朝日新聞に新卒で入ってくる学生は、基本的に官僚タイプの優等生が多い。警察や検察周りでの泥臭い夜討ち朝駆けでうんざりし、20代後半で地元の県庁職員などに転職するケースも少なくありません。そこを、産経や毎日で実績を上げた人材で穴埋めするというわけです。
会社が変わるだけで給料が1・5倍くらいに上がるわけですから、声が掛かった若手はすぐに転職してきます。両社の知り合いには、『ウチはもはや、朝日やNHKのための予備校になってるよ』とイヤミを言われます。
毎日はともかく、産経から朝日への転職を意外に思う人もいるようですが、警察や検察取材は基本的に肉体労働ですから、イデオロギーなんて関係ありません。警察取材トップの警視庁取材なんて、いまやかなりの割合を産経、毎日出身者が担っているくらいですよ」
警察や検察を回ってネタを取って来る人を、明治・大正・昭和初期には「探訪(者)」と言った。新聞記者は机の前にデンと座り、外回りは探訪にさせたのである。
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正岡容は、「落語時世相」(昭和十五年十二月)で次のように書いている。
ここもとの新体制下に上演禁止の落語(甲乙丙丁に分類された、その丁の部である)が、五十三種ある。上演禁止と云つたとて、当局から禁止されたのではなく、彼らが所謂自粛自戒の禁止である。その証拠には、謄写版印刷に附されてゐるこれら上演禁止落語一覧表をその筋へ提出しにいつたら、先方では、では此は参考に止め置くと云ふ程度に受理して置かう。なぜならハツキリ禁止を承認したとなると、以後の問題が大へん喧しくなるし、又、地方出のお巡りさんなどでこの物語の筋を知らないものには一人一人に五十三種の筋書を与へ、寄席入場のさいそれを対照にしては万一の違反者に備へなければならない。さうなると万事万端が極めて七面倒なことになつてしまふから、よろしくこの種の中でも改訂して上演できるものは適宜におやりなさいと云ふ、大へんさばけた話であつたさうだ。どうも今次の新体制に対する演芸界の連中にはこの種のゆきすぎが、まことに少なくないやうである。
ウィキペディアの「禁演落語」の項には、
戦時中の昭和16年10月30日、時局柄にふさわしくないと見なされて、浅草寿町(現台東区寿)にある長瀧山本法寺境内のはなし塚に葬られて自粛対象となった、廓噺や間男の噺などを中心とした53演目のこと。戦後の昭和21年9月30日「禁演落語復活祭」によって解除。建立60年目の2001年には落語芸術協会による同塚の法要が行われ、2002年からははなし塚まつりも毎年開催されている。
と、「自粛」とは書いているが、「見なされて」と当局の圧力があったかのような書き方である。
実際、冒頭には、
禁演落語とは、国家権力などによって自粛を強いられ、事実上、上演を禁じられた落語のことである。
と書いている。当局の圧力はどの程度あったのか、講談落語協会顧問・野村無名庵に聞いてみないと真相はわからない。この件について、彼の書き残したものはあるのだろうか。
野村無名庵や当時の落語家達を批判する資格は我々にはない。今は人権問題がやかましく、差別的な言葉は使えなくなっている。権力者におもねる大新聞もある。
https://www.mag2.com/p/news/427257
国文学研究資料館の「近代書誌・近代画像データベース」は、書物の一部しか画像が見られないのが残念だが、書誌記述が詳しいので助かることがある。
しかし、「団団都々一」の備考欄に、
扉絵の蛙が手に持った扇子に「官嘗意志[かなめ□]」とあり
http://dbrec.nijl.ac.jp/BADB_MNAY-00081
とあるのには驚いた。

ヒゲをはやした蛙がいるものだろうか。どこかのテストの採点同様、このDBの書誌記述も学生アルバイトにやらせているのだろうか。
蛙と鯰の区別もつかないような人がいるとは、信じられない。日本の未来は暗い。
厚生労働省が「人生会議」という言葉を作った。
「人生会議」してみませんか
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_02783.html
例の政府と吉本の癒着からか、妙なポスターが出来て批判を浴びている。
「人生会議」PRポスター騒動で、厚労省が気づかない本当の失敗
https://diamond.jp/articles/-/221879?page=2
ポスターよりも、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)を「人生会議」と名付けることの方がオカシイのではないか。
四字熟語にしたいのなら、「終焉会議」だ。しかし「焉」の字は常用漢字ではない。お役人は、非常用漢字を使って新語を造ることができない。それで「人生会議」という珍妙な名前になった。
無理に四字熟語にすることはない。ACPでもよいのではないか。
子供の頃、母親が「チソ」と言うのを聞いた覚えがある。「紫蘇」のことだ。訛音かと思っていたが、ある文献に「し」の音を嫌う忌み言葉だとあった。『日本国語大辞典』『広辞苑』を見ても、忌み言葉とは書いてない。
「し(=死)」を嫌った忌み言葉は、
波の花(塩)
ちそ(紫蘇)
むらさき(醤油)
六日一日(七日)
などがある。
「する」を嫌った忌み言葉は、
あたり箱(硯箱)
まわし木・あたり木(擂木)
あたりめ(鯣)

などがある。
「無」を嫌った忌み言葉は、
ありのみ(梨)
水商売では「茶を挽く」を連想させるので、「茶」と言わず
出花
と言った。
二年ぶりに赤坂へ行った。前にもまして国際化していた。コンビニは以前からだが、安定食屋の店員(調理師)が外国人だった。東南アジア系。安ホテルに行ったところ、フロントの三人が皆日本人でないのに驚いた。一人は中国か韓国かと思われる女性。一人は白人女性。一人は東南アジア系の男性。皆日本語ペラペラで、白人女性は私の質問に対して即答できた。客は三人とも日本人だったが、エレベーターで一緒になった二人連れは外国人だった。さまざまな国から来る客に対応できるようにしているのだろう。
赤坂通りでは、英語・仏語・独語・中国語・韓国語ではない(私の聞いたことのない)言語で大声で話しながら歩く外国人数人がいた。
私は赤坂しか知らないが、東京のあちこちでこのような現象が起きているのだろう。十数年後には、接客業は外国人とロボットだけ、ということになるのか。
ネット記事に、
思わずハンカチの端を噛むほど悔しい!
とあった。
ハンカチを嚙むというのは、いつ頃から始まったのだろうか。
海賀変哲『端唄及都々逸集』(大正六年)に、
つらい別をかむハンカチに未練が移つた口の紅
という都々逸があるから、大正時代、既に悲しみをこらえてハンカチを嚙んでいたことがわかる。
樋口一葉『にごりえ』(明治二十八年)には、
お力は溢れ出る涙の止め難ければ、紅ひの手巾かほに押当て、その端を喰ひしめつゝ物いはぬ事小半時
とある。
日置昌一『ことばの事典』によると、
わが国では明治十九年六月ごろよりハンカチをクビにまくことが流行しはじめ
とあるから、悔しさ・悲しさをこらえてハンカチを嚙むのは、明治二十年代から始まったのだろう。
高山樗牛『滝口入道』に、
胸中一恋字を擺脱すれば、便ち十分爽浄、十分自在。
と、『酔古堂剣掃』を引いている。しかし、樗牛は「恋」を「恋愛」の意味にとっているようだ。これはイケナイ。
『酔古堂剣掃』に、
浮名を恋ふる莫れ。無幻抱影限あり。且く楽事を尋ねよ。風花雪月窮りなし。
胸中只一の恋の字を擺脱すれば、便ち十分爽浄、十分自在なり。
とある。
《この「恋」は、「恋愛感情」ではなく、「執着心」である。某官房長官が某事務次官のことを「地位に恋々として」云々と評したことがあったが、自分達こそ「恋々」の最たるものだ。長く権力の座にしがみついているとろくなことはない》
この本は知らなかった。著者は明の人。これからじっくりと読んでみたい。
子供の頃は、時代劇映画全盛だった。
大河内傅次郎は、何を言っているのかわからず、
およ、およよよ
などと聞えた。後に三枝がギャグにした。
市川右太衛門だったか、
馬鹿め
と言っているのが、大げさにゆっくり言うので、
ぼあかあめ
と聞えた。家に帰って、
ぼ、ぼあかあめ
と見得を切っていた。
ジャパンサーチに、「ステテコ節」があった。
名称/タイトル
女旅役者の唄 ステテコ節
名称/タイトルヨミ
オンナ タビヤクシャ ノ ウタ ステテコブシ
人物/団体
西條八十 作詩,古賀政男 作曲,全音楽譜出版社
時間/時代
1954.1,1954
場所
東京,JP
資料種別
楽譜
著者標目
西条, 八十, 1892-1970、古賀, 政男, 1904-1978
著者標目よみ
サイジョウ, ヤソ、コガ, マサオ
最終更新日
2019/11/16
https://jpsearch.go.jp/item/bibnl-22314945
となっている。
一見して、この資料はオカシイ。「女旅役者の唄 ステテコ節」という歌があるのではなく、
A面が「女旅役者の唄」、
B面が「ステテコ節」
なのだろう。レコードのデータを記載するのに、A面・B面の区別すらつけないのでは、まともな書誌とは言えない。CD世代以降の若い人達がやっている仕事なのだろう。「A面B面がなくなってCDになった」とは昔の笑い話。今はCDすらあつかわず、ネットデータで音楽を聞く人が多いようだ。
ともあれ、「ステテコ節」が昭和29(1954)年発売であることがわかった。
横山美智子という小説家が、『荷物』という随筆で、
あなたは、いつも、荷物をもつてるひとだわね。
と、よく言われる、と書いている。
私も昨年、バス停で老婦人から、「そんなに、何もっているの」と言われたことがある。
手ブラで歩いている人を見ると羨ましい。どれほど楽だろうかと思う。しかし、財布やら鍵やらを入れたバッグは離せないし、買物を入れる手提げ袋も必要だ。
政府は、マイナンバー(個人番号)カードを普及させようとしているが、カードをポロリとポケットにいれるわけには行かない。中国のように、顔認証システムが普及したなら、財布もカードも要らないだろうが、買物を入れる袋は必要だ。店でポリ袋を貰えなくなるし、エコバッグの方がいいだろう。
ウィキペディアには、
お祈りメール(おいのりメール、御祈りメール)とは、日本の就職活動における用語の一つで、企業からの不採用通知の俗称である。祈りメール、祈られメール、お祈りレターとも呼ばれるなど、表記には幅が見られる。
基本的には電子メールを利用した不採用通知として定義される。これらを転じて、就職活動において「お祈り」「祈られる」「お祈りされる」といった表現が不採用そのものを意味する隠語として用いられる場合がある。
とある。国語辞典を見ても、「おいのり」という項目はない。「いのり」を見ても、宗教関係の意味しか載っていない。動詞の「いのる」の項目には、「心から希望する。願う」の意味が書いてあるが、名詞の「いのり」「おいのり」にはない。
湯朝竹山人「机の塵(三)」(『書物展望』第百四号。昭和十五年)は、
銃後の読者も特に自愛して、頑健に征暑に向はるよう、ひたすらお祈りする
皇軍の武運長久と護国の神霊に対し、心からなるお祈りを捧げたい
の例を引いて、
右の二例は時局的の用語となつてをるけれど、この「お祈り」といふ言葉が女学生その他一般若い女性の間から流行し初めたのは事変以前、今から十年ほども前からの流行であらうと推察する。それが事変に伴うて一般化といふほどではないが右の如く老若男女にまで用ゐられるやうになつた。
とし、
この「お祈り」は日本における神社仏閣での「御祈禱」と異る。歴史的にも内容的にも同一異議の用語とは思へない。在来の「祈禱」は信仰的意志の表現であるが今日の「お祈り」は軽い意味での単なる辞礼に過ぎない。
と書いている。
今から九十年以上も前から、宗教的意味のない、単なる社交辞令としての「お祈り」が使われているのに、国語辞典にはそれが記述されていない。動詞「いのる」にあれば、「いのり」「おいのり」では要らないということなのだろうか。
珍しい服装の女性を見かけた。羽織・袴のようないでたちだが、和服とはちょっと違う。布地も、厚手で絹物ではない。全体は赤だが、袴の赤は濃い紅、羽織は普通の赤、その下に短い羽織のようなものを来ているが、それは淡紅色。羽織には派手な模様がついている。摺箔か。着物のようなものをつけているのだろうが、それは見えない。短い羽織で首から下が覆われているからだ。この短い羽織のようなものがあるがために、和服とは思えない。襟元の見えない和服はないだろう。
どこかの新興宗教の教祖様のような感じもするが、それにしてはイカサマ感がない。堂々たる体格で凜としている。電話で話しているのを聞くと外国語のようだ。連れの女性は普通の服装をしている。両者大きなキャリーバッグを持っているので観光客らしい。朝鮮・台湾・中国の民族衣装かと思ったが、ネットを見てもそれらしきものが出てこない。
ネットに、
長谷川博己が演じる主人公明智光秀と絡むシーンが多く、初回から作品終盤まで登場予定だった。
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12168-11181061/
という表現があった。辞書を見ると、この「絡む」に対応した語釈が見当たらない。
『大辞林』第三版には、
① 細い物が他の物の周りに巻きつく。また巻きついて、動きなどを妨げる。
② まといつく。つきまとう。
③ 関係をもつ。
 ㋐ 別のことが関連して、事態を複雑にする。 「金銭問題が-・む」
 ㋑ ある事に関連する。 「入試に-・むうわさ」
④ いやがらせを言う。言いがかりをつける。 「乙に-・む」
⑤ 「からめる」に同じ。
とある。
「同じ場面で共演する」「せりふのやりとりをする」というような語釈をつけた辞書はないものだろうか。『日本国語大辞典』『広辞苑』『明鏡国語辞典』にも見当たらない。
二宮ゆき子の歌った「ステテコシャンシャン」は、
作詞:永井ひろし
作曲:不詳
となっているが、「すてしゃん節」というのがあるのを知って驚いた。
「すてしゃん節」の作詞は奥野椰子夫。ネットによると、
本名:弓削保夫
生没:1902 - 1981.10.9
となっている。
永井ひろしの「ステテコシャンシャン」は、
奥野椰子夫の「すてしゃん節」の改作ではなかろうか。発売後、奥野からクレームはつかなかったのだろうか。
春夏秋冬の四部構成、「……ステテコシャンシャン ドンブリ鉢や浮いた浮いた ステテコシャンシャン」の部分も全く同じ。しかも一番は「さくら咲いた咲いたステテコシャンシャン ドンブリ鉢や浮いた浮いた ステテコシャンシャン」と、「ステテコシャンシャン」の前の部分まで同じだ。
すてしゃん節
奥野椰子夫 作詞
一、月は晴れてもこころは闇さ
  梅の香に泣くヤレコノ二人づれ
  春が来たかよ天神さんのお庭にサ
  さくら咲いた咲いた
  ステテコシャンシャン
  ドンブリ鉢や浮いた浮いた
  ステテコシャンシャン
二番以下省略。
これより前だろうか、年代を明確にできないのが残念だが、お座敷唄の『浅い川』をひねって、西条八十が『ステテコ節』を作り、古賀政男作曲でレコードを出したという。
ハァ、浅い川なら裾まで濡れる、一度濡れたら、なんのことない、深くなるほど サ、ホラサー、帯を解く帯を解く、ハァ、ドッコイサッチャ、ウイタウイタ、ステテコシャンシャン。
ということは、「ステテコシャンシャン」という言い回しを作ったのは、西条八十か。
「ステテコ」といえば、明治十三年頃から、三遊亭円遊が寄席で踊ったのが有名だが、彼は「ステテコ、ステテコ」と言っただけで、「ステテコシャンシャン」と歌ったわけではない。
「どんぶりばちゃういたういたステテコシャンシャン」というフレーズは忘れられない。調べると、二宮ゆき子の「ステテコシャンシャン」という歌だ。しかし、いつ発売されたレコードなのかわからない。ウィキペディアを見ても、『まつのき小唄』が1964年発売ということはわかるが、「ステテコシャンシャン」についての記述はない。
「ステテコシャンシャン」という言葉はどこから来たものか知らないが、「どんぶりばちゃういたういた」は古い。天保二(1831)年刊の『娘節用』後篇にあるので、それより前から歌われていたことは明らかだ。
今場所休場力士
▼鶴竜
▼豪栄道
▼友風
▼逸ノ城
▼栃ノ心
▼若隆景
大相撲九州場所 5日目で幕内6力士が休場する異常事態
AbemaTVを見ていると、序の口で、登場するとアップになる力士がいる。将来有望なのかと思っていると、簡単に負ける。どういうことかと、ウィキペディアを見ると、
大相撲で8項目のワースト記録を有する力士
とあった。
負け続けて四年。この桜はいつか開花するのだろうか、それともそのうち散ってしまうのだろうか。
大相撲で怪我をする力士が跡を絶たない。1メートル下に百キロ以上の人が落ちる場合、膝や足首を痛める危険性はかなり高い。土俵(仕事場)を改善しようとしない協会役員には首をかしげざるを得ない。私は土俵をマットにすべきだと考えているが、仮に土俵が土であったとしても、1メートル下の場外にはマットを敷くなどの工夫をすべきだろう。八角理事長は、次々に不祥事が明らかになるのに「責任はある」とだけ言って責任を取らない某国指導者と同類だ。
大相撲で、四股を踏む時、足を上げる前に腕を上げるが、若手は指先の方向を見る力士が多い。関取になると顔は前か下を向いたままの力士が多い。今日は志摩ノ海が指先を見ていた。30歳というのに珍しい。
国語辞典で「エア」を引くと、「空気」「航空」の意味しか載っていない。
しかし、『哲学字彙』(明治十四年)には、
風格、光範、品藻
とある。
『ジーニアス英和大辞典』には、
6(人・物の特徴的な)外見、様子、雰囲気、(自信のある)態度
とある。
百二十年ほどで、「空気」がかくも薄くなったかと驚く。あるいはスモッグ、黄砂、PM2.5で汚れ過ぎたか。
「デイリースポーツ」に、
身長168センチながら体重100キロを超える巨漢だった。
https://news.goo.ne.jp/article/dailysports/entertainment/20191110119.html
とあった。これはオカシイ。168センチの「巨漢」など、あるわけがない。168センチで100キロ超なら、単なる肥満体だ。「巨漢」というからには、190センチ、六尺三寸以上ないとダメだろう。
香港のニュース映像で、慰霊の場に折り鶴がたくさんぶら下げてあった。千羽鶴というほどではなく、一本の紐(数十センチ)に間隔をあけて数羽ついている。中国から日本に来た習慣かと思ったら、そうではないらしい。日本の江戸時代起源のようだ。広島から世界にひろがっているのだろう。
昭和三年刊のある本に、『諸国盆踊唄』を引いて、
早乙女の××××を鳩がにらんだとな、にらんだも道理かや、××に××をはさんだと。
としている。
しかし、明治十六年刊『諸国盆踊唱歌』では、
そふとめのまたぐらをはとがにらんだとなにらんだもどうりかやまたに豆をはさんだとなよな
となっていて伏字はない。
普通に考えれば、明治時代の本に伏字があって、昭和のものにはない、となるだろうが、実は逆。昭和初期のほうが検閲が厳しかったのか。それとも発行者の問題か。
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