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気が向いたら思いついたことを書いてみます
高橋義夫『火付盗賊改』(中公新書)を読んだ。2月25日発売の新刊。やはり期待は裏切られた。火盗改になったのは二百人近くいるが、ほとんどは一年から二年でやめている。その中で七年以上勤務したのが三人。安部式部信旨・長谷川平蔵宣以・長井五右衛門昌純。本書では前二者の記述はあるが、長井昌純については全く触れていない。長井は上層部の信任が厚かったのか、上役に取り入るのがうまかったのか、統率力がすぐれていたのか、部下が優秀だったのか、敏腕だったのか、事なかれ主義だったのか、全くわからない。
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西武池袋線の“ナゾの終着駅”「小手指」には何がある? そもそも「小手指」って読める?
http://bunshun.jp/articles/-/10829
という記事があった。東横線沿線の人は「小手指」を知らないだろうから、行ってみてやった、というもの。結論は「典型的なベッドタウン」だということ。写真では二棟の高層マンションが確認できる。人口減だというのに、こういうのが、これから増えてゆくのだろうか。今はいいだろうが、五十年、百年経った時のことを考えると恐ろしい。
ここ数年、町おこしの一環か、「バル」というのがはやっている。
「街バルジャパン」によると、
https://machi-bar.jp/whatisbar
バル(バール:Bar)は、英語のBar(バー)と書いてスペイン語で「バル」、イタリア語で「バール」と発音されます。
バル(バール:Bar)とは食堂とバーが一緒になったような飲食店を指し、スペインやイタリアなどの南ヨーロッパにおいては酒場、居酒屋、軽食喫茶店のことです。また、バルは、コーヒー類を飲んだり、地域のコミュニケーションの場所としても使用されており、コーヒー、ビール、ワインなどのドリンク類やタパスやピンチョスといったおつまみを提供しています。
「街バル(Machibar)」とは、地域・街の活性化と飲食店の活性化を目的として地域・街が密着して開催するバルを食べ歩き・飲み歩きするグルメイベントです
とある。「街バル」というのも面倒なのか、単に「バル」と言っている。
芦屋バル
https://ashiyabar.jimdo.com/
吹田バル
http://www.city.suita.osaka.jp/home/soshiki/div-toshimiryoku/chiikikeizai/_71347/_83028.html
札幌街バル2018
http://www.tabirai.net/sightseeing/column/0009288.aspx
これらは外来語だが、日本語として「ばる」というのは、あまり上品なものではない。
尾佐竹猛『下等百科事典』(批評社。平成十一年。下記項目の初出は明治四十三年)によると、
ばる(バル)【普通語】
バルとは、土佐地方の方言で小便をすることを云ふので、ユバリと転じたバリと云ふ語は諸所に行なはるるが、土佐辺では更にこれが動詞形に働くのである。
とのこと。
川本勉氏の「資料紹介『東京名物百人一首』清水晴風著」は、『参考書誌研究』第六九号(二〇〇八・一〇)に掲載されたもので、PDFが公開されている。
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3051598_po_69-12.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
「資料紹介」と謙虚だが、『東京名物百人一首』を翻刻するのみならず、詳しい注釈解説を施している、すばらしい内容のものだ。
しかし、四一番、壬生忠見「恋すてふ」をもじった歌の翻刻が、
木挽町歌舞伎座正(まさ)き立に鳥ル人しれすこそ多ひ株式
となっている。ルビは(まさ)しかない。第三句をどう読ませるつもりか。「たちにとりる」では意味が通じない。幸い、『東京名物百人一首』の一部が写真で見られる(国会図書館に行けば全部見られる)。
https://rnavi.ndl.go.jp/bibliography/tmp/69-06d.pdf
ここには「立に鳧」とある。これほど詳しい解説をする人が「鳧」を読めないとは、信じがたい。国会図書館司書のようだ。
大学の授業履修計算基準として「単位」という言葉がある。お役人の翻訳語らしく、妙竹林な日本語だ。私は「1単位」ではなく、「1ポイント」と言ったほうがわかりやすのではないかと思っていた。今日、和英辞書を見ると、「単位」とは、credit の訳語らしい。気になって、英和辞典で point を引いてみると、「(成績・競技などの)点数、得点;《米》履修単位」とあった。アメリカでは、credit ではなく、point と言う所があるようだ。正に我が意を得たりという感じだ。文部科学省は「単位」という訳を変えないだろう。大学生に「履修ポイントカード」が配布されるのはいつのことか。
アマゾンで本を買おうとすると、今迄のアマゾンポイト欄の上に「Oki Dokiポイント」欄ができていて、一万円ほど使えるようになっていた。タダで本が買えるのだから、当然利用した。更に2冊追加した。まだ若干余っている。
「Oki Dokiポイント」とはJCBカードのポイント制のようだが、今月から始まったわけではないだろう。どうして私が今月から使えるようになったのか、わからない。数年前には商品券が送られてきたことがあったが、それは一回きりであった。
いろいろな所で買物にポイントが付くようになっている。好きな人、金のある人は、何十枚もポイントカードを持っているらしい。ポイントのために買物をするようになっては、本末転倒である。
『続続 値段の明治大正昭和風俗史』(朝日新聞社)の、「値段のうつりかわり 下宿料金」、昭和四十三年一万三千円とあった。これは東京都文京区本郷で2食付き四畳半乃至六畳の料金とのこと。私はこの年、豊島区三畳朝晩食事付きで一万円だった。ただし、日曜日は食事なし。相場どおりということ。月々の小遣いなど、いくらで、どうやってもらっていたのか、全く記憶にない。銀行振込の時代ではない(そもそも口座を持っていなかった)し、為替が送られてきた記憶もない。現金書留封筒が届いたこともない。金をもらいに田舎に帰った覚えもない。銀行や郵便局に行った記憶もない。
これから、この手の本は「明治大正昭和平成」となるのだろうが、これだけで8文字とってしまう。「明治~平成」では心配か。
ほし芋を食べた。ウィキペディアには
「乾燥芋(かんそういも、かんそいも)」「きっぽし」「いもかち」などと呼ばれることもある。
とあるが、これは違う。
昔の乾燥芋は表面が完全に乾燥していたが、今のほし芋はしっとりとしている。昔の乾燥芋のほうが甘味・旨味があった。
ドラッグストア・コンビニなどで5円コピー機が多くなったせいか、コピー専門店のセルフコピーが一枚3円になっていた。本2冊、300枚近くコピーして千円札一枚でおつりがきた。30年ほど前、京大前のコピー屋が4円だったのに驚き、羨んだが、数年後には一枚2円になるのだろうか。
「フェリーさんふらわあ」の広告に、「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」とあった。「山は富士」「湯は別府」に異存はないが、「海は瀬戸内」はどうか。
「山は富士」とくれば、「酒は白雪」だ。伊沢八郎唄のCMが盛んにながれていた。日本酒では、黄桜も目立った。男優が一升瓶を抱えたり酒を飲んだりするCMもあったが、銘柄を覚えていない。歌だけだと沢の鶴か。最近、日本酒のテレビCMを見ない。
駅のホーム際の電灯ポールに「昇柱禁止」と書いてあった。意味はわかるが、「昇柱」とは造語だろう。何故四文字なのか。誰に向けたメッセージなのか。不可解。
大正十三年七月三十一日、奢侈品課税法が公布され、生活の必要程度をこえ、または分限をこえた物品、たとえば玉突台、金庫、畜犬、自動車、庭園、遊興、骨牌、観覧などに税をかけたという。
金持ちも貧乏人も一律に課税する「消費税」はやめ、高級品・贅沢品に高い税を課すべきである。大正時代の例から考えれば、犬を飼っている人には税を課すべきだ。中国などではやっているらしい。糞や毛をまきちらすのは公害でもある。庭園も広さに応じて固定資産税とは別に課税すべきである。お役人はもっといろいろ思いつくだろう。
永井荷風『つゆのあとさき』(昭和6年)に、「君江は半(なかば)眼をつぶってサムライ日本何とやらと、鼻唄をうたうのを」とある。この表現からすると、唄の文句に「サムライ日本」という歌詞があるかのようだが、違う。タイトルが「侍ニッポン」で、歌詞に「ニッポン」という言葉はない。
『侍ニッポン』は昭和6年に映画化・レコード化されたもの。レコードはこの年だけで十万枚を売る大ヒットとなったという。それから38年後、私はこのレコードを300円で買った。レコード屋に置いてあった。
永井荷風『つゆのあとさき』(昭和6年)に「オトカを飲まして頂戴」という君江(女給)の言葉がある。これは「ウォッカ」のことだろうが、ウィキを見ると、ロシア語では「ヴォートカ」であり、「ウォッカ」というのは日本の慣用で、今では「原語発音に近いヴォトカ、ウォトカないしウォツカに修正される方向にある」とのこと。宮本百合子の昭和三年の日記にも「オトカ」とある。太宰治も「ウオトカ」と書いている。昭和初期には「オトカ」「ウォトカ」という人もいたようだが、「ウォッカ」の方が主流になってしまった。これは「ティシュー」が「ティッシュ」となったのに似ている。「ティッシュ」も「ティシュー」と言うようになる時代が来るのだろうか。
今朝のNHK「ラジオ深夜便」三時台は「劇伴」。劇伴とは、ウィキによると、
映画やテレビドラマ、演劇やアニメで流れる伴奏音楽
のことで、サウンドトラックやBGMとは別物。
『月夜に傘をさした話』を買った。朝日新聞に紹介があったので。「正岡容単行本未収録作品集」という副題があり、ネットを見ると800部限定とあったので、買わねばならぬと思ったが、5500円は高い。アマゾンに送料込み4千円弱のがあったので、買うことにした。「幻戯書房」と書いて「げんきしょぼう」と読ませる、というのは、「黒木華」と書いて「くろきはる」と読ませるのと同様、意地が悪い。「幻戯」は角川源義に由来するという。それなら「げんぎ」と濁るべきだろう。
筑後市で製造されたお菓子を食べた。「筑後市」とは知らなかった。旧国名を使った市がどれほどあるのか、調べてみた。
むつ市 奥州市 いわき市 下野市 加賀市 越前市 甲州市 美濃市 飛騨市 伊豆市 伊勢市 伊賀市 志摩市 和泉市 摂津市 丹波市 淡路市 出雲市 備前市 美作市 長門市 阿波市 さぬき市 安芸市 筑後市 豊前市 対馬市 壱岐市 日向市
以上29市。河内市というのがあったが、1967年の合併で東大阪市になったという。
北原白秋に「魯文の夢見た巴里」という詩がある。幕末と明治初期とパリとがごっちゃになったもの。夢だから、何が出てきてもいい。

  魯文の夢見た巴里

赤い夕日の奈破崙(ナポレオン)、
雪駄ちやらちやら、落し差、
扇ひらいて、割羽織。
巴里の歌女(うたひめ)、左褄、
箱屋はパッチ、尻端折、
鬱金の風呂敷かついでく。
三角塔の避雷針、
あれはカトリコ教会堂、
紅白ねぢり有平糖、
散ぎり町床、ちよん髷屋、
蝙蝠傘はぶらさげた
大きな深張、濃むらさき。
さて怒論軒(どろんけん)夕されば、
椅子に腰かけ、豚料理、
仲間どもが半纏も
くわっと夕焼、尼が紅、
酒は伊丹にかぎりやす、とことんやれなで鼻唄だ。

世界のかたちは円くして、
夜はながるる天の川、
織女星(たなばたぼし)も牽牛星(ひこぼし)も、
金の線(すぢ)ひくうつくしさ。
今宵酒宴(さかもり)、奈破崙、
青簾(あをす)まかせた高楼(たかどの)に
徐世賓(ジヨセヒン)姫との痴話口説、
庭には芭蕉、柴の垣、
厠の外は薄墨や
まるい月夜のほととぎす。
岐阜提灯に灯もふけて、
移る杓子は北斗星、
はて、怪しやな、忍び寄る
鼻へ手ぬぐひ、豆しぼり、
じつとこまぬき、胸に腕、
合点合点で「ほい、しめた。」
ぎりぎりしやんらん、砂時計、
チョンと幕ぎれ、カチカチカチカチカチ。
45年前、国語学演習は『西洋道中膝栗毛』。テキストは濡れコピーだった。50年前には、街の書店にあったコピー機がやはり濡れコピーだった。青写真ではなく、銀色地に文字が浮かんでいるのだが、機械から出てくる時はしっとりと濡れている。ツーンとアンモニアのような匂いがした。ウィキによるとジアゾ式の湿式複写機だという。45年前には街の本屋でも乾式普通紙コピー機があった。私は46年前まで謄写版印刷をしていたが、45年前からやめてコピーになった。
中学の理科で「碍子」を習った。電柱を見上げて「あれが碍子か」と思っただけで、意味までは考えなかった。絶縁体を何故「碍子」と言うのか。「碍」は妨害する、邪魔する、ということで、電気の通りを妨げる邪魔な物、ということだった。「障害」を「障碍」と書き換えても、「碍」の字にはプラスイメージはない。
日本古典文学大系を1円+送料で買った。六十年近く前の本だから、当然だ。アマゾンで検索すると、古典大系の数十点は1円、その他は数十円で買える。ところが、「日本の古本屋」サイトでは200円未満のものはない。古本屋にもいろいろあるようだ。
新日本古典文学大系となると、「日本の古本屋」では某書店が300円で売り出している。しかし、送料は510円だ。一冊千円近くなる。
某書店のコンディション説明に「通読可能です」とあった。通読不能なものを売りに出してはいけないだろう。「読むには問題ない状態です」という意味なのだろうが、表現がマズイ。
公文書に「障碍」使用へ、宝塚市 全国初、4月から運用
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190205-00000008-kyodonews-pol
兵庫県宝塚市が障害者政策などに関する公文書に「障碍」の表記を使う方針を決めたことが4日、市関係者への取材で分かった。市によると、常用漢字表にない「碍」の文字を公的に使用する自治体は全国初とみられ、4月から運用を始める。一般的に法律や公文書で使う漢字は、常用漢字表が基準となっている。宝塚市もこれまで条例の条文では常用漢字表にある「害」を使用してきた。一方で「この文字は障害のある人に問題があるかのような否定的なイメージがある」として、市のホームページや広報資料では「障がい」と平仮名書きにして使い分けてきた。
宝塚市のやることに理はない。自分の勝手なイメージで表記を変えようとする愚策である。
「害」という字には、「害悪」「害毒」「損害」など悪いイメージがあるから「碍」に変えようというのだろうが、それでは「碍」はどういう意味を持つのか。『漢語林』によると、「碍」は「礙」の俗字だ。「礙」は「さまたげる。さえぎる。じゃまをする。また、さまたげ。じゃま」という意味だ。つまり「害」と同じだ。「害」は悪いイメージがあるからよくないが、「碍」は学校で教えないから普通の人は知らない、だから悪いイメージを抱かないだろう、という目先のごまかしにしか過ぎない。「障害」も「障碍」も「障礙」も、同じことなのだ。わざわざ変更するのに意味はない。
「障がい」という交ぜ書きが具合悪いのなら、「しょうがい」「ショウガイ」と仮名書きにすればよい。「がい」を離れたければ、「特定弱者」と新語を造るか、あるいはカタカナ語で「ディスエイブル」としたほうがマシではないか。
石川さゆり「恋は天下のまわりもの」(なかにし礼作詞)に都々逸が出てきた。
一番
紐でしばって鳥籠に入れて
鍵をかけたいうちの人
二番
何処にいるのよ未来の夫
たぐり寄せたい赤い糸
福津市から郵便が来た。知らない町だ。調べると、北九州市と福岡市の間。宗像市と古賀市の間。宗像は聞いたことがあるが、古賀市も福津市も知らなかった。
富津市は知っているが、福津市は「ふくつし」と読むようだ。「不屈」に通じて、いいかも。
小学一年の夏休み、親戚の家に行った。お小遣い十円を貰うと、向かいのお菓子屋に行ってボーロを買った。他の菓子より値段が高いのか、小袋一杯だった。
『武江年表』弘化三年(1846)に
去年霜月頃、まるぼうろと云ふ菓子をうりありく者あり
とあるので驚いたが、『日本国語大辞典』を見ると、

室町末期に南蛮菓子の一種として日本に伝えられ、ボールと呼ばれていた。早くから商品化され、日本橋の菓子司桔梗屋の天和三年(一六八三)の目録に「ごまぼうる」「丸ほうる」と見える
とあった。
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