忍者ブログ
気が向いたら思いついたことを書いてみます
三段目に「琴手計(ことてばかり)」という力士がいる。妙な名前なので調べてみると、「手秤」とは、「料理の際など、材料を手にのせて大体の重さをはかること」(『日本国語大辞典』)とある。してみると、この力士は料理が上手なのだろうか。もっと出世したら、しこ名の由来も穿鑿されるだろう。
PR
以下はあまり上品な話ではないので、下半身関係の話が嫌いな方は読まないでいただきたい。
ネット用語でいうと、【閲覧注意】である。
本来なら「鶯亭金升」のページを作って、そこで紹介すべきものだが、今それだけの準備と余裕がないので、とりあえず備忘のために書き留めておくものである。
鶯亭金升『明治のおもかげ』(岩波文庫)の「人生走馬燈」の末尾に、
 徳川家康公が天海僧正に対って「どうしたら長寿をするか」と問われた。天海の答に「粗食、小食、読経、それから日々入浴して御下風あるべし」と言ったとやら。御下風とは放屁の事だそうな。年を取ってから毎朝起きる時ブウと一発おならをするその気持の好い事と言ったらない、屁の出ない日は気分がわるい。入浴も好い。粗食小食はむずかしい。僕は大食して今日になった。烟草は有害と思いながらも十六歳から八十余歳の今まで昼夜吸っている。若い時は朝寝、夜更し、夜明し、大食、随分不養生をしたけれど幸いに医師のお世話になった事は少い。
とある。
福富織部に『屁』という著書がある。大正十五年刊。この序文が、鳶魚幽人、鶯亭金升、剣花坊、野崎左文と豪華だ。金升の序文を紹介しておく。


 思ふ事言はねば腹の膨るゝわざ、ブウブウを鳴らして不平も尽ぬ世のならひ、其処を平気の平左と極めて、浮世を茶粥や芋粥に、腹はブツブツ言ふとても、柳に受ける風の如く、疳の虫を握り殺してノンキに暮らせば、鼻つまみの退けものに扱はれる難も無し、観ずれば屁の様な、へゝゝゝゝと独り笑って、机にむだ書きの筆を弄あそぶ処へ、郵便の声あり、ヘイと受取て開封すれば、屁の玉を聯ねたる新著に何か一筆染めよとの御所望に、スカシばかり仲間入と古く洒落てブ文を添る者は
    黄表紙好きのヘドツ子
              鶯亭金升

ダイエーが新装開店した。1階中央に書店ができたが、岩波文庫すらなく、軽いものばかり。百円ショップは混んでいたので後日見ることにする。ダイエー直営で失くなったものは、紳士服・寝具・生活雑貨。紳士服はアオキハルヤマへ行け、寝具はニトリへでも行け、生活雑貨は百円ショップに行け、ということなのだろうか。男女混合のカジュアル衣料店でダウンベストを探したが、まともなものがなく、帰宅してアマゾンで購入した。
「冬の蠅」で、『東京新聞』「筆洗」(11月9日)の記述を思い出した。
中国の五行説は、四季に四色を配している。青春、朱夏、白秋、そして黒い冬、玄冬だ。青春時代があるのなら、他の三つの時代が人生にあってもいいのではないか。宗教評論家のひろさちやさんがかつてそう主張していた▼そのうえで、白秋時代とは暗い冬を控えながら、<世俗を離れて、ゆったりと生きる時期>(『こころの歳時記』)ではないかと書いている。
何歳まで白秋で、何歳から玄冬か。気持ち次第でもあるし、その人の寿命次第でもある。
『冬の蠅』というと梶井基次郎が有名だが、永井荷風に『冬の蠅』という随筆集がある。今は冬どころか夏でさえも蠅を見ることはないが、昭和初年まで蠅は元気だったとみえる。
冬の蠅序
憎まれてながらへる人冬の蠅といふ晋子が句をおもひ浮べて、この書に名つく。若しその心を問ふ人あらば、載するところの文、昭和九年の冬よりあくる年もいまだ立春にいたらざる時つくりしもの多ければと答へんのみ。亦何をか言はむ。老ひてますます憎まれる身なれば。
 乙亥のとし二月    荷風散人識
「老ひてますます憎まれる身」と言っているが、荷風五十六歳である。
冒頭の「断腸花」には、大正六年九月三十日、木挽町での暴風雨体験が描かれている。
本郷三丁目駅出口付近に「海抜十七メートル」と書いた標識があるのを見て驚いた。ここでさえ十七メートルなのか、と。ところが、今日見た記事には、
ちょうど本郷3丁目あたりが本郷台地を山と見た場合の峠にあたるという。
https://www.asagei.com/excerpt/4501
とあった。下町は大変だろうと思ったら、
東京、水害ハザードマップ
https://biz-journal.jp/2018/11/post_25442_3.html
があった。荒川付近は水害に弱いようだ。ゴミステーションならぬ土嚢ステーションがあると、テレビでやっていた。
中国語では荷物のことを「行李」と言うらしい。地下鉄のステッカーに日本語・中国語・韓国語での注意書きが貼ってあったが、それに「行李」とあった。
子供の頃は、押入れに行李があった。先日は、行李をボストンバッグふうに改造したものをテレビでやっていた。
地下鉄にて。母親のだっこ紐から身を乗り出して、長座席端の握り棒(?つかまる所)を懸命になめている幼児がいた。どんな味がするのだろう。味よりもツルツルした舌触りが珍しいのか。
これを見て、三遊亭円生「なめる」を思い出した。舐めるものは全然違うが、視覚・聴覚以外のものを言葉で表すというのは大変難しい。今の落語家でこれをやれる人はいるのだろうか。
オーストラリアのシドニーで8年前にふざけてナメクジを食べ、寄生虫が原因で昏睡状態に1年以上陥り、体にまひが残った20代後半の男性が2日に死亡したという。
https://www.nikkansports.com/general/news/201811060000682.html
鶯亭金升『明治のおもかげ』(岩波文庫)に「変な御馳走」という話がある。
明治十五、六年頃、秩父で「東京の芸人が来た」と歓待され、御馳走された。小さな鉢に盛った酢の物が「山烏賊」で一番の御馳走だという。正体は蛞蝓だった。
生で食べず、秩父のように酢漬けにすればよかったか。
空港の夢を見た。鉄道駅の夢は度々見たことがあるが、空港、しかも外国の空港の夢は初めてだ。鉄道駅と違うのは、長い行列ができていたこと。南米のほうに研究関連の文献があるというので行ったらしい。
小学生の頃の本に「かちどき橋」があり、真ん中から左右に開いて船を通す可動橋(跳開橋)とあって、「ヘエー」と感心したものだが、今は開かないようだ。今日見た昭和七年の地図には「かちどきの渡し」と点線があって、橋はない。調べると、着工 1933年(昭和8年)6月、竣工 1940年(昭和15年)6月14日とある。
子供の頃、「御飯におみおつけを掛けて食べてはいけません」と言われた。伝馬町の牢屋の朝食は味噌汁を掛けた飯だったそうだが、それを知ってのことかどうか。母は「おみおつけ」と言って「味噌汁」とは言わなかった。家を出ると「おみおつけ」と言う人はいなかった。中学二年の時の国語の先生が、丁寧語の説明で「おみおつけ」と言ったのを聞いたのみ。
「ロハ」という言葉が「只」を分解して読んだ洒落言葉だと知り、他に漢字を分解した洒落がないかと調べたところ、小林祥次郞氏が多数の例を簡潔にまとめていた。ただし、「ロハ」のような分解読みは見当たらない。
文字あそび(漢字の分解)前編
https://japanknowledge.com/articles/asobi/02.html
文字あそび(漢字の分解)後編
https://japanknowledge.com/articles/asobi/03.html
幼時のおやつは「おにぎり」だった。まわりに味噌をつけてくれた。
中高の弁当は「海苔弁」が多かった。
コンビニおにぎりで海苔のパリパリ感を味わった時は感動的だった。
しかし「味噌おにぎり」は見たことがない。焼くか海苔を巻くかしないと、商品化できないだろう。
インスタント食品の走りは、「日清チキンラーメン」「渡辺のジュースの素」「渡辺のしるこの素」などか。いずれも60年前。日清は健在だが、渡辺は消えた。
カップ麺はそれから14年後の発売だというが、自分自身でカップ麺を食べた最初というのは思い出せない。
言葉を逆にして喜ぶ人がいる。
「ガサ入れ」の「ガサ」は「探す」の語幹の倒語。
「ドヤ街」の「ドヤ」は「宿」の倒語。
「ネタ」は「種」の倒語。
「レコ」は「これ」の倒語。
「ドサクサ」の「ドサ」は「佐渡」の倒語だという人がいる。これに対し、『日葡辞書』に「ドサクサ」があるから、「佐渡の鉱山で人足が不足すると博徒狩りをするので『ドサを食らった』と言うようになった」というのは俗説だという人もいる。しかし、『今昔物語集』巻26に「能登の国の鉄を掘る者、佐渡の国に行きて金を掘る語」がある。語源考証は難しい。
「恋しい恋しい私の恋人」を「変しい変しい私の変人」と書いたというのは、石坂洋次郎『青い山脈』に出て来る話だがGoogleの文字認識もこの程度らしい。
某研究者の論文紹介に「星野変人」とあったので、「この人がこんな間違いをするのか!」と驚いて原文PDFを見ると、「星野麥人」とあった。Googleは「麥」を「麦」と読めず、「変」としているのだ。
谷垣禎一が、「老兵は死なず、消えゆくのみ」と記者団に語ったという。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20181031-OYT1T50112.html?from=ytop_ylist
https://www.asahi.com/articles/ASLB05392LB0UTFK00W.html
元は英語の歌だから、どう訳してもいいようなものだが、一般には、
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」
と訳されている。
Old soldiers never die,
Never die, never die,
Old soldiers never die,
They simply fade away.
「校書」という言葉を見ると、誰しもお堅いイメージを抱くのではないか。「学校」の「校」に、「書物」の「書」だ。しかし、この言葉には、「芸妓」という意味がある。
goo辞書には、
《唐の元稹 (げんしん) が蜀に使者として行ったとき、接待に出た妓女薛濤 (せっとう) の文才を認め、校書郎に任じたという「唐才子伝」の故事から》芸者のこと。
とある。かの白居易も校書郎であった。図書館司書のようなもの。「校書」という言葉が似合うのは永井荷風くらいまでか。
「秘書」は今でもよく使われる。お偉いさんになると付いて来るらしいが、英語の secretary の訳語だから、機密文書を扱う人だ。ドラマなどで見ると、スケジュール管理中心の人が多いようだが、時には社長と結託して悪事を働くようなのもある。後者が本来の姿か。
今朝のNHK「まいあさラジオ」で都城市立図書館が紹介されていた。百貨店跡地(都城大丸センターモール)を利用した、リノベーション施設とのこと。広いスペースを活かし、様々な工夫が凝らされている。しかし、図書館の基本は「本」だ。読みたい、調べたいと思う本がなければ、意味がない。自習勉強できる場所、暇な時間をつぶせる場所としてはよいかもしれないが。
都城市立図書館(案内パンフレット)
http://mallmall.info/images/mall_pamphlet.pdf
五千円以下の安い所に泊ったことがある。入ると、二畳程度。布団が敷いてあるが、荷物を置いたらそれで一杯。これには参った。
五千円の某ビジネスホテルに泊った時のこと。夜中に起きるとトイレの中はゴキブリの大集会。驚いて出るものも出なくなり、朝まで我慢できた。朝には姿を消していた。後になって思えば、フロントに電話して文句を言うべきだった。
十年以上前、遠くへ行くのでキャリーバッグを買った。千円と安かったので喜んだが、青森で壊れてしまった。「捨ててください」と貼紙をしてホテルを出た。二日間はもってくれたので、「安物買いの銭失い」というほどでもない。以後、キャリーバッグを使うことはなかった。
『幕末の江戸風俗』発売以来75日になる。「人の噂も七十五日」というが、「留置場から逃げても四十九日」だ。有名人の本でもない限り、売れ行き好調の期間は三十日程度か。
現在、『幕末の江戸風俗』は、honto「岩波文庫の月間ランキング」では第6位だが、一週間では30位、この24時間では28位だ。アマゾンの岩波文庫ランキングでも発売後一ヶ月で100位以下になることがあり、時には200位台、最近では300位台になったこともある。岩波書店サイトの「岩波ベストテン」文庫の部では、十月以降姿を消した。
今は文章を発表しようと思えば、ネットで簡単にできるが、昭和の昔は雑誌でも発行する他なかった。よく「三号雑誌」と言われたものだ。今日は「四号雑誌」を入手した。
題字は永井荷風、監修は泉鏡花・長谷川如是閑・鏑木清方・永井荷風・谷崎潤一郎・佐藤春夫という豪華な面々。和紙に活版刷と凝っている。題簽には「季刊/日本橋」とあるが、昭和10年から11年にかけて4号出して終った。資金が続かなかったか。
五月半ばから十月半ばまで「夏」だったが、この所朝晩冷えてきた。夏は足半布草履をはいていたが、普通の室内履きに変えた。腹にはボディウォーマー。これで当分暖房不要。
[1] [2] [3] [4] [5] [6]
カレンダー
10 2018/11 12
S M T W T F S
2
6
13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(11/12)
(11/11)
(11/10)
(11/10)
(11/10)
(11/09)
(11/09)
(11/08)
(11/07)
(11/07)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
gwaikotsu
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
忍者ブログ / [PR]
/ Template by Z.Zone