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気が向いたら思いついたことを書いてみます
『四谷怪談』三幕目砂村隠亡堀の場。ト書きでは「十万坪おんぼう堀」。お岩と小平の死体を戸板一枚の表裏に釘付けにしたのが漂着し、伊右衛門がその両面を反転して見て執念に驚く場面は余りにも有名。十万坪は、広重の「名所江戸百景 深川州崎十万坪」でも有名。砂村隠亡堀は、富賀岡八幡宮(砂村元八幡)と富岡八幡宮(深川八幡)の間のやや北方だ。
江戸時代にはお岩の怨霊、平成には富岡茂永の怨念。
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偶然とは恐ろしいもので、今朝パラパラと開いた本に「富賀岡八幡宮」とあるので驚いた。富岡八幡宮はここから移ったという。
富賀岡八幡宮(砂村八幡)
江東区南砂7-14-18
富岡八幡宮(深川八幡)
江東区富岡1-20-3
文字で区別したということは、「富岡八幡宮」も「とみがおかはちまんぐう」であったということの証左になるか。
富岡八幡宮のニュースがあった。「富ヶ岡八幡宮」ではないかと思い調べた。
富岡八幡宮というタイトルの浮世絵が多いが、
東都深川富ケ岡八幡宮境内全図
http://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail382.html?sights=tomiokahachimangu
というのがあった。
永井荷風『東京年中行事』には、
(八月)十五日都下の八幡宮深川富ヶ岡芝西ノ久保をはじめとして市ヶ谷高田築土若宮今戸蔵前等いづれも祭礼
とある。
「とみがおか」と言うのが面倒なので「とみおか」となったのだろうか。
平成の若者は、新年の挨拶に「アケオメ、コトヨロ」とメールするという。
明治時代の紳士も「よろしく」を省略して「ヨロー」と言っていたようだ。
『団々珍聞』第567号(明治19年10月24日)に
はつお目見得に付諸君何ぶんヨロー
  下谷    柳風情史
とある。
明治時代の芸者も「よろしく」を「ヨロー」と言っていたことは、以前に紹介した。
野崎左文『私の見た明治文壇』(昭和2年)には、明治初期の新橋芸者は「祝儀を収める時はアリーヨロと挨拶した。アリーは前の説明通り有難しの義、ヨロは宜しくを略したのである」とある。
柳風情史は、芸者の言葉を真似してわざと剽軽な挨拶をしてみせたのだろうか。

昨日、
日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53545
という記事を読んだ。深圳に行って感激し、日本を出たいとまで言っている。余りに楽観的だと思ったが、今日は、
深センに行ってきたがディストピアにしか見えなかったけどな
https://anond.hatelabo.jp/20171203113520
という記事を見た。こちらの方が正解だろう。日本を出たい人はどんどん出ればよい。成功を祈る。
二人とも「深圳」とかかず「深セン」と書いているのはどういうわけか。ATOKでは「深圳」と出る。
「産経ニュース」2017.12.3 14:10更新 の
中大内紛 学長選任、異例の否決
http://www.sankei.com/affairs/news/171203/afr1712030018-n1.html
という記事中、
評議員125人の投票で選任案賛成は委任状を含め過半数以下の55票
という表現がある。これは間違いだ。
「過半数」というのは半数を超える場合に用いる。半数を超えていない場合は「半数以下」と言う。
ニュースなどで「過半数を超えました」などというアナウンサーがいるが、これも間違い。「過半数に達しました」「半数を超えました」と言うべきだ。
産経新聞には【赤字のお仕事】というコラムがあるようだ。
http://www.sankei.com/premium/news/171202/prm1712020013-n1.html
私は自分の仕事のことを言われているのかと思ったが、校閲部、朱を入れる仕事、という意味だった。言葉・漢字について蘊蓄を傾けているようだが、この程度のことがチェックできないようでは困る。
そもそも自分の仕事に「」を付けるだろうか。最初私が誤解したのもこのせいだ。これも産経新聞の間違い。面接時に「わたしのお仕事は……」などと言っていたら、転職できないだろう。産経諸氏は転職の意思なしか。



昨夜の夢。「留学生がガエンを食べてる」と学生が言う。私はガエンという食べ物を知らない。「ガエンって何?」と聞くと、駄菓子だという。学生の説明でイメージしたのは、5センチほどの細長い筒状のもの。
どうして夢の中に知らないものが出てくるのか。昨夜寝る前に、ネットで新情報・新知見をいくつか得たので、興奮した我が脳が「これも新情報でっせ」とネットの向こうを張ってガセネタを提供してきたのか。
小学生の時、駄菓子屋で、直径1、2センチ、長さ20センチ以上もありそうなガラスの筒の中にゼリー状のものが入っていて、それをすすり飲んで五円というのがあった。菓子の名前も知らない。まずくはなかったが、一回だけでやめた。
メール広告に
SANSUI 真空管アンプ搭載CDステレオシステム
とあった。
山水がまだあるのかと調べると、ウィキには、
山水電気株式会社は、かつて存在した日本の企業。 東京都に本社を置き、音響機器の製造を手掛けていたが、2014年(平成26年)7月9日に破産した。
とあった。
50年近く前、映画館で上演前に高級音響システム(スピーカーか?)の立派な広告をやっていた。私とは無縁の代物だろうと思っていたが、果たしてその通りだった。
ウィキには、
2012年(平成24年)よりドウシシャがSANSUIブランドを使用している。
とある。
「萬屋近所之助」という店がある。「街の御用聞き」と謳っているが移動販売車のようだ。平成生れの若者は「萬屋錦之助」を知らないだろう。「よろずや」という店も知らないだろう。「便利屋」も知らないだろう。高齢者向けの商売か。
ラジオネームにもダジャレがいろいろあって笑わされる。昔は筆名を雅号と言ったが、ダジャレの筆名は俗号か。『団々珍聞』には、次のような俗号がある。
牟田口加多留
恍姿軟史
愛鈍農翁
嘸屋寒可楼
一二散史
大町我意
色気内史
徂徠軒余窓
余誌喃史
真棒散史
左亭道升
和来なんし
於曾連入升
平々綾丸
矢張宗太
愛多甘兵衛
瀬和弥吉
惣亭芸升
是和小松太
誤謡舎霰多史
板見射利升
お芳喃史
和雷道史


半チャンラーメンが静かに衰退している理由
http://toyokeizai.net/articles/-/198248
という記事があった。
私も若い頃はよく食べた。20年以上食べていない。そもそも中華料理店に入らなくなった。蕎麦屋で「丼+蕎麦(分量少なめ)」のセットを食べることが多い。

授業後、先生に誘われて二人で飲食店に入り、ごちそうしていただいたことがある。学部の時は桜井益雄先生(英語学)、院の時は堤精二先生(国文学)。桜井先生は大ザル、堤先生はコーヒー。いずれも何度か同じ店に入った。桜井先生は異分野だったが、堤先生の前では緊張した。桜井先生の時はマンツーマンの授業もあったが、堤先生の時はマンツーマンということはありえない。他に何人かいたはずだが覚えていない。
堤先生のお宅には一度伺ったような記憶がある。電動書庫から関係する本を持ってこられた。何の調べ物だったか、記憶にない。《これは幻想で、本当ではないかもしれない。堤先生の小日向の書斎が電動書庫でないのであれば、私の夢想だ。何しろ、お宅までの道のりも、お屋敷の様子も、全く覚えていない。浮かぶのは、二階の電動書庫と先生の姿だけ》
院生の時、堤先生から、本を出すのだが、実質君が書かないか、と言われたことがあった。畏れ多く、鄭重にお断りした。後日出たのを見ると、別の若手が担当していた。

新聞の訃報欄はどういう取材をしているのだろう。葬儀社から連絡があったものの中から選んでいるのか。
堤精二先生が11月7日に亡くなったことが、東京新聞の11月17日紙面に掲載された旨、デジタル版で見た。90歳。しかし、毎日・朝日・産経には見当たらない。読売・日経のホームページには訃報欄がない。東京新聞と提携しているのだろう、各県の地方紙には堤先生の記事がある。
毎日新聞に浦西和彦氏の訃報が載った。16日、膵臓がんで死去。76歳。名前を知るのみ。
「副羊羹書店」という古書店から本を買った。珍名書店だ。「福陽館書店」ならわかるが、どうしてこんな名前をつけたのだろう。
多くの人は平凡な毎日を送っているので、目新しいものに飛びつく傾向がある。しかし「新」はすぐ古くなる。名前に「新」のついた政党で長続きしたものはない。日本維新の会もそのうち消滅するだろう。
「奇」「珍」は「新」に通ずる。人の興味を引きはするが、長続きしない。「副羊羹書店」はいつまで続くだろうか。
今日の朝日新聞四面に「1998年10月 日本長期信用銀行が経営破綻」とあった。私が大学4年の時、会社案内を送りつけてきたのが1社だけある。それがこの日本長期信用銀行だった。九段下にあって、立派な建物で、ということはわかったが、私は銀行に就職するつもりなど全くなかったし、聞いたこともない名前の銀行だった。
ウィキペディア「日本長期信用銀行」出身者欄には、岸田文雄(1982年入行)、林修(1989年入行)、上念司(1993年入行)の名がある。林修は半年ほどでやめたという。
世の中には、よくよく考えるとおかしなことがある。
「蛍雪の功」という言葉がある。
苦労して学問に励むこと。蛍の光や雪明かりで貧乏に耐えながら勉学すること。
という意味で納得していたが、
『蒙求』に「孫康映雪」「車胤聚蛍」がある。
車胤は、夏の夜に蛍を数十匹つかまえて絹の袋に入れ、蛍の光で本を読んで勉強した。
孫康は、冬の夜に窓辺に雪を積み上げて、雪の反射光で勉強し続けた。
というものだ。
それなら、車胤は冬の夜はどうやって勉強したのか。雪の降らない地方なので、勉強できなかったのか。
孫康は、夏の夜はどういう勉強法を工夫したのか。近くに蛍など飛んでいなかったのか。
私は小学校時代、平机で勉強した。机の上に明かりはなかった。部屋の白熱電球で本を読んだ。
中学生になる時、椅子つきの学習机を買ってもらった。蛍光灯スタンドがついた。
アマゾンでキーボードを物色していると、A(「ち」)キーの左隣が「control」となっているものがあった。「CapsLock」キーと入れ替えなくて済む。
よく見ると、Mac配列だという。Windowsで使えるのだろうか。ネットを見ると、ソフトをインストールすれば使えるようだ。買うことにした。
本日届いたので、早速接続。起動時に日本語入力がオンになっていて仮名入力ができる。「全角/半角」キーでなく、「CapsLock」キーで日本語入力オン・オフを切り換えるようだ。
今までのよりはギシギシ感・ゴシゴシ感があるが、気分転換、しばらくこれでやってみよう。
《注意》環境によっては日本語入力ができなくなる場合があります。導入する場合は、自己責任でお願いします。私は責任を持ちません。

気をつけたい「電車ドア横」に関するトラブル
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12156-31267/
という記事があった。
私はドア横が大好きだ。荷物を置けるから。背中をドアの取っ手棒に押しつけられるから。
荷物を持ったままドア横・座席横に張り付くと、端に座っている人に迷惑がかかる場合がある。
或る時、大阪市営地下鉄御堂筋線で、座席の横に1センチほどの厚さのアクリル板をつけた車両があった。幅40センチ、高さ1メートルほどあった。これなら、座席に寄りかかっても、端の人に迷惑はかからない。
「日本の古本屋」サイトで注文すると、時々「在庫なし」との連絡に接することがある。今年、数度あった。店舗のほうでで売れてしまう、ということなのだろう。
4日に注文した本がそれだった。今日、別の本を注文すると、「先の在庫なしの不手際のお詫びに¥1500.+送料¥150.といたします」との連絡があった。500円の値引きとはありがたい。今後、「在庫なし」だったら、しばらくして別の本を注文してみよう。二度あることは三度あるとなるか、柳の下の泥鰌となるか。
「キンダーブックの90年」という展覧会が開かれているという。
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/11050559/?all=1
私は幼稚園の時、『キンダーブック』と『ひかりのくに』と『チャイルドブック』を毎月購入していた。本屋が配達してくれるのではなく、幼稚園に届けられ、三冊抱えて帰宅した。中身は全く覚えていないが、ツルツルした厚表紙の感覚は忘れない。いずもいまだに出版が続いているようだ。講談社『たのしい○年生』が消滅し、小学館は『小学一年生』『小学八年生』のみとなったのに、幼稚園向けが続いているというのは不思議だ。
人口が減っているというのに、いろいろな店がどんどん出来、便利な世の中になっている。本郷通りの東大前には、私でも入れそうな食堂(今はこう言わないのだろうが)のような店が複数出来ていた。昔とは様変わり。赤坂通りに至ってはピンからキリまで。飲食店が目白押しだ。私の住む街でも、焼肉店・しゃぶしゃぶ店がもうすぐ開店予定。(私は入らないが)
トランプ大統領のせいで、東京ではコインロッカーが使えないだろうと思っていたが、11月1日には使えた。10月31日には丸の内線本郷三丁目駅で降りたが、コインロッカーそのものがなかった。大江戸線の方ならあるのだが。
四十数年前、松戸に引っ越した。市立図書館の帰り、江戸川堤に添って北上することしばらく、明らかに昭和初期の遊廓と見える建物があった。しかし、近寄ると青年達の声が響いている。遊女屋を安く買い上げてどこかの会社の寮にしているのかと思った。
私の想像は半分は当り、半分は外れていた。江戸川・樋古根川沿いのこの辺は平潟遊廓。木村聡『赤線跡を歩く』(自由国民社。1998年)には、
明治、大正、昭和を通じて十数軒の店があり、戦後も一部が再開したが、昭和二十九年いち早く廃業を決めて「柳仙育英センター」という会社を設立。ほとんどの業者が学生寮に転じた。
とある。この本によると、平成八年まで最後の一軒が残っていたが、平成九年にはなくなっていたとのこと。
これより先、私は奥田博昭『遊廓跡の司法研究室』(社会思想社。1992年)を購入した。これによると、中央大学などの学生寮として使われていたことがわかる。ここに住んでいた人の記述だけに詳しいが、写真が全くないのが残念だった。『赤線跡を歩く』には最後の一軒の写真がある。私は何軒か写真を撮ったが、デジタル時代ではなかったので、どこかへ行ってしまった。今は平成に立て替えられたと思われる立派な建物になっている。
昨日のTBSラジオ「ラジなん」、セルロースナノファイバーの製造技術を開発した磯貝明教授が出演。既にボールペンや紙オムツに使われているという。ボールペンは、三菱ユニボールシグノ307だ。
https://www.mpuni.co.jp/news/pressrelease/detail/20160302173951.html

残念なことに、私はジェットストリームの替芯をたくさん買い込んでいるので、シグノ307を買う必要がない。磯貝氏は「もう少ししたら三色ボールペンができると思います」と言っていたので、三色・四色のが出たら買ってみることにしよう。文具店で試し書きをして気に入ったら一色でも買ってしまうかもしれない。
それにしても一年半以上も前に発売されたというのに全く知らなかった。ネーミングもよくない。「ユニボールシグノ」で検索すると、セルロースナノファイバーを使っていない他の「ユニボールシグノ」がヒットしてしまう。これは戦略の失敗ではないか。「ユニボール ナノ」とか、それとわかる名前にしなければいけない。
昨日郵便局に行ったところ、カウンターにおっぱいの模型があり、おばさんが触りながら局員の話を聞いていた。乳がんのしこり4種類を体感できるらしい。がん保険契約に結び付けようという作戦なら、郵便窓口でなく、保険窓口に置くべきだろう。
郵便局の他、アフラックに置いてあるらしい。郵便局もアフラックと提携しているのだろう。
乳がん 触って早期発見を 郵便局に乳房模型
https://mainichi.jp/articles/20170825/ddl/k24/040/284000c
【諸君、真面目に!】郵便局に置いてあるおっぱいに触ろう!
https://matome.naver.jp/odai/2149610770427912901
今日のTBSラジオでねづっちが「きゅうかく」と言ったところ、ナイツ土屋が「しゅうかく」と言い、ねづっちがあやまっていた。あやまる必要はない。「嗅覚」も「臭覚」も同じだ。「嗅」の字が当用漢字・常用漢字に入らなかったので、「臭」で代替しているだけ。40年以上前「味噌汁のシュウカクがイヤ」と言う人がいたので、私は「キュウカクでしょ」と突っ込んだ。あの頃は若かった。
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