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気が向いたら思いついたことを書いてみます
伊藤晴雨『風俗野史』巻の一「江戸市中生業づくし」は、
江戸の所謂大道芸人なるものは大別して左の種類があり
1単に技芸のみを持て銭を乞ふもの
2物品を売る目的を以て演芸をなすもの
3格別の技芸なくして金銭を乞ふもの
と分類している。分類とは難しいもので、必ずといっていいほど、どこにも入れられないものが出てくる。「紙芝居」は、紙芝居を読み(演じ)聞かせるという一種の芸だが、同時に水飴を販売するという商行為を行なっていた。水飴を買わないと紙芝居が見られない。更に、5円で水飴を買うと、同時に2㎝×1㎝程度の小さな煎餅のようなものを渡される。これには溝がついていて、それに従って図形を切り抜くと別のお菓子がもらえるという博奕のような要素もあった。パリパリの煎餅なので、割れてしまってなかなか形を切り抜けない。唾で濡らせば簡単だが、それは違反だった。このように「紙芝居」は伊藤晴雨の言う1と2の要素の他に射幸心を刺激するという要素もからんでいる、複雑なものであった。それでもテレビが各戸に普及すると、すたれてしまった。
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行政によって町名変更が度々行なわれた。小川裕夫『封印された東京の謎』に次のような記述がある。
(神楽坂)一帯を地図で眺めてみると、ほかのエリアと比べて、やたら細かく地割がなされており、多くの町名があることに気づかされる。〈中略〉どうして神楽坂周辺はそうなっているのか? 〈中略〉その明確な理由はわかっていないが、一説によると、神楽坂の古老たちは複雑な話が苦手で、行政の説明もろくに聞かず頑として首を縦に振らなかったとも言われている。そのうちオリンピックが終わってしまい、行政の職員が町名変更の作業を諦めたというのが真相のようだ。
「一説」と言っておきながら、それを「真相」というのは詐偽だ。信じがたいが、これとは正反対の事例がある。私の住んでいる所は「北横町」だった。私が小学生の時、町の年寄り達が「『横町』というのは格好が悪い。『北町』としてもらいたい」と陳情して、「北町」となってしまった。味も素っ気もない。このような愚かな住民もいるのだ。
柴田宵曲『明治の話題』(昭和三十七年)の「あとがき」で岡本経一は、次のように述べている。
柴田さんに影響を与えた先輩は、前に挙げた人達みんな世上「翁」と呼ばれた。年をとればみんな翁になるのではなく、翁と呼ばれるにはそれだけの風格がなければならない。ジャーナリズムの寵児ともならず、金持にもならなかったけれど、わが道を往く悠々たる人生であった。柴田さんは私淑した翁たちの遺稿を整理して本にしたがる。みんなただ働きだ。例えば次のように。
寒川鼠骨「正岡子規の世界」
五百木瓢亭「瓢亭句日記」
林若樹「集古随筆」
内藤鳴雪「俳話」
これ以外で、「前に挙げた人達」とは、三田村鳶魚・山中共古等である。
岡本の「翁」についての言説はよいが、「私淑」という言葉の使い方を誤っているのではないか。『日本国語大辞典』には、「敬慕する人に直接教えを受けることはできないが、ひそかに尊敬し、模範として学ぶこと」とある。ここに挙がっている人々と宵曲は接触・交流があった。
うちの親は「たてまい(建舞)」と言っていたが、「たてまえ(建前)」「棟上げ」「上棟式」という儀式がある。平出鏗二郞『東京風物志』の「上棟式」には「餅撒き」のことが書かれていないが、ウィキには「散餅銭の儀(餅や銭貨を撒く)が行われる」とある。家の四隅に撒いた。私が小学高学年の時、すぐ近くで建舞があり、西北隅は私一人で、餅とお捻りを独占した。
平出鏗二郞『東京風俗志』上の巻(冨山房。明治三十二年)143頁図の説明に「賽日の殷合」とある。ルビは振ってない。意味はわかる。縁日でにぎわっていることだ。説明がなくても絵でわかる。今なら「縁日のにぎわい」と書くところだ。
「殷合」を何と読むか。手許の国語辞典・漢和辞典には「殷合」は載っていない。おそらく、明治人の創作漢語ではないか。音は「インゴウ」、訓は「にぎはひ」と考える。「殷」は「にぎはひ」、「合」は「あひ」、合体して「にぎはひ」だ。「合」はなくてもよいが、二字熟語とするため、音の合うものをくっつけたのだろう。
『幕末・明治初期漢語辞典』というのがあるのを知った。これに収録された4482語の中に「殷合」は入っていないだろうが、機会があったら見てみたい。
「ツーけた格好して」と母がよく言った。辞書・ネットで「つうけた」「つうける」「ツーけた」「ツーける」を調べても、何も出てこない。これは北関東方言か。「風采のあがらない」「貧乏くさい」というようなニュアンスだと理解していた。
「でれすけ」は船村徹が塾名に使っていた。「ごじゃっぺ」は「おてもやん」にも出てくる。
平山蘆江『東京おぼえ帳』に、
芸者屋の入口はエ一格子ときまつて居り
とある。「エ一格子」とは、「江市屋格子」「江市格子」のことらしい。
『日本国語大辞典』には、
京格子を細かくして三角に削ったのを、わずかなすき間を置いて打ちつけたもの。中からは透かして外が見えるが、外からは中が見えない。
とある。しかし、google画像検索では、「江市格子」は出てこない。千本格子の一種と考えるほかないか。
平山蘆江『東京おぼえ帳』に、明治後半の東京の夕立について、
糸楯とか着ゴザといふ雨具がまだどこでも買へました 少し気取つた人は桐油紙をかぶりました さしづめこれがビニールの役をします
とある。
「着ござ」は映画やテレビの時代劇で見たような記憶もあるが、「糸だて」となると実物を見てみないとわからない。桐油紙も洋紙のものは使ったが、和紙のものとなるとわからない。今はどこのコンビニでもビニール傘を買える。
明暦の日本橋地図を現代の文字に直してわかりやすくしたものが某書にあった。
「安P豊後」とあるので驚いたが、「松木民P」「九鬼式P」「小浜民P」とあるのを見ると、「P」とは「部」のことらしい。原本には「つくり」のみ「阝」「卩」としてあるのを、形状的に似ている「P」としたのだろう。素人は思いがけない発想をするものだ。
しかし、「ひらい民ア」は、どういうわけか「民P」となっていない。
紙不足深刻で印刷会社相次ぎ「注文制限」
http://news.livedoor.com/article/detail/16190965/
ラクスル、プリントパック、東京カラー印刷、グラフィックと、印刷各社が注文の集中や用紙の供給不足を理由に、一部の注文を制限している。再開はいずれも未定だ。
日本製紙の2019年3月期第3四半期決算(18年4~12月)では、純利益が389億円の赤字(前年同期は76億円の黒字)に落ち込んだ。デジタル化やペーパーレス化の波で印刷用紙の需要が低迷し、「紙事業」で苦戦したためだ。そのため、成長分野である段ボール事業に経営資源を集中させ、紙事業は生産体制の見直しによるコストダウンを進めている。業績次第では紙の減産を進める可能性もある。
話がよくわからないが、紙需要は減っていて減産だが、一部の人々がそのあおりを受けているということなのだろうか。
話はそれる。アマゾンの古書店は、一昨年までは1円本が送料257円で買えたが、昨年から送料が高くなった。送料257円の所もあるが、そういう所は本の価格を1円にしていない。総じて、安く買える本が減った感じだ。
同じ本でも、送料が 257円299円330円340円350円とまちまちなのが不可解。
ネットで調べると、路面に水筆で詩を書くのを「地書(ディシュー)」というそうだ。中国のあちこちの都市で行なわれているようだ。日本なら、路面書道か。
路上で書道を楽しむ人々―北京市
https://www.recordchina.co.jp/b2175-s0-c30-d0000.html
中国のお爺さんが地面で書道する理由が予想外だった
https://matome.naver.jp/odai/2146537488606255801
はじめてわかった! 中国の公園で字を書いている人たちは、練習ではない!
https://www.ab-road.net/asia/china/xi_an/guide/sightseeing/11404.html
タイヤの跡が広告になる自転車
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20190319-OYT1T50189/
ポンプからタイヤに水が噴射され、ぬれたタイヤの跡がスタンプのように地面に残る仕組みになっている。
NHK「世界街歩き」で、中国のある都市の広場で、大きな毛筆に水をひたし、路上に詩を書いているおじさんたちを映していた。日本ではこういうことをする人はいないのだろうか。
加須というのは、東北大地震の被災者が多数避難したというので知った。
大槻如電『江戸服飾史談』に加須が出ていた。
さて世に目盲縞と申す黒木綿があります。本名は青縞と申します。武州の加須から織り出しましたもので、これまでは紺でも黒でも布を染めましたが、この青縞は糸で染め、それから織ります。縞目がない(見分けがつかない)から目盲縞と一般に唱え来たりましたのでしょう。この青縞の織り初めは、古いか知れませんが、江戸にて盛んに用いまして、一の産物となりましたは、この黒仕立から起りましたのだろうと思われます。紺看板目盲縞の脚絆で御用達町人などの供を致します者を、クロカモと申します。加須の人に聞きましたら、はじめは村だったが、青縞の市場が立ってだんだん盛んになってから加須町となったのは文化中だと申すことです。
古書の状態説明に「三方ヤケ」というのはあるが、「三方焼け野原」とあるのを見た。「焼け」なら安ければ買うが、「焼け野原」ではいくら安くても買う気にはなれない。
六世尾上梅幸「女形の事」(中公文庫)に、
昔の芸者は爪を綺麗に切ったもので、実際は深爪を取ったのです。さうして指の先に紅をさして、少しでも色気のあるやうに見せました
とある。町をちょっと歩けばネイルアート屋がある。こてこてと飾り付け、倍の大きさの付け爪までしている。長い爪ではキーボードは打てない。そのためにスマホがあるのか。
呉園情史(野崎左文)「明治十二年頃の新橋芸者」(『新旧時代』第一年第十一十二冊。大正十五年二月)に、
芸者は皆素顔――襟だけ薄化粧をするくらゐのもの――で、今見るやうに真つ白に塗立てた鏝細工の顔を晒す者は無かつたのである
とある。4K8Kより前から、中年以降の女性で真っ白に塗りたくった芸人がいた。歌舞伎かピエロかと思うような白で司会をしているのは信じられない。
能美金之助『江戸ッ子百話』(三一書房。昭和四十七年)には、
徳川時代より明治、大正時代までの婦人は、女のたしなみとして口紅をつけた。小娘の可愛い口元をもっと小さく見せるために、唇の真中に少しくつけたものは可愛いものであった。現今の女性は口辺一ぱいに紅を塗って、可愛いどころか老人なぞには喰いつかれそうに見える。時代の大きな距りである。
とある。私が物心ついた時、成人女性は唇いっぱいに紅を塗っていた。「紅を差す」というのは「塗る」のとは違う。
節度というものが失われて久しいようだ。
封切といえば、江戸時代は新刊本のことだった。昭和になると映画のことになった。最近、映画の宣伝・広告を見ていないが、「ロードショー」などと言って「封切」という言葉は使っていないのではないか。
「コンベナイント式」という東京地図を買った。明治三十八年刊の複製。「コンベナイント」とはどういう意味かとネットで見ると、勝手に「コベナント」を表示する。
「コベナント(コヴェナント)」とは英語で「Covenant」と記述して、契約、との意味になるとの事。ラテン語で、一致する、集合、を意味する語句から由来しているのだそうです。
またビジネス関連のかしこまった使い方で、契約事項、証書契約、といった意味になったり、聖書で「Land of the Covenant(ランド・オブ・ザ・コベナント)」として、「聖約(せいやく)の地」と言われたりするのだそうです。絶対に守らなくてはならない聖なる約束、といったニュアンスになりますでしょうか。
https://yaoyolog.com/%E3%80%8C%E3%82%B3%E3%83%99%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88%EF%BC%88%E3%82%B3%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%8F/
これでは地図にあてはまらない。
Covenant
ではなく、
convenient
ではないか。これなら、
都合[勝手]のよい、便利な、重宝な
という意味でピッタリ。
コンベナイントがコンビーニャント、コンビニエント、面倒なのでコンビニとなった。
有楽町スバル座が10月閉館
http://news.livedoor.com/article/detail/16167353/
ここは一回入った記憶がある。四十数年前。チャプリンの「ライムライト」ともう一本。入った時、客は一人もいなかった。前のほうに座った。誰もいないという安心感からか、大泣きした。もう一本見たかったが、アルバイトがあるので、残念ながら出た。
レオパレスの界壁施工不備・施工不良が問題となった。50年ほど前、私の下宿は三畳だったが、隣の音や会話はよく聞えた。友人の下宿を訪れると、ベニヤ板の壁なので驚いた。六畳間をベニヤで仕切って二間としているのだ。音は筒抜けだった。手抜きは昔も今も、今後もなくならないだろう。
ダメージジーンズが商品となったのはいつ頃のこと。40年ほど前、某塾のアルバイト講師会議(十人ほど)で、向かいに座った男の膝に大きな穴があいているのを見て驚き呆れ、「ツギもあてられないのか」とさげすんだ。今思えば、あれはファッションだったのだろうか。最近は穴だらけのジーンズを穿いている若い女性をよく見かける。
白切符・青切符・赤切符で検索すると、交通違反切符のことしか書いてない。私は車をやらないので知らなかったが、白切符は罰金なし、青切符よりも赤切符の方が重いという。
私の頭にあるのは国鉄の切符だ。1960年以前は、3等級に分れていた。
白切符(実際には黄色)は一等車、
青切符は二等車(現在のグリーン座席車・A寝台車)、
赤切符は三等車だった。
私はほとんど赤切符だったが、親戚と東京へ行った時は二等車だった。グリーン車にも一度乗ったことがある。二等車もグリーン車も、三等・普通との違いはあまり感じられなかった。
赤切符といっても真っ赤っかなのではない。細い網目模様があって、その線の色だ。丈夫な厚紙だったが、いつしかペラペラの紙になった。
60年前、道端で寛永通宝を拾った。今朝はSDカードが落ちていたが拾わなかった。半世紀以上経つと、落とし物はかくも変わる。
三田村鳶魚が、
愁殺・悩殺の殺をサツと読んでいる。コロスではない。サイと読んでスゴスという心持なのだ。
と書いている。(「流行の詩吟」『三田村鳶魚全集第20巻』 )
「相殺」を「そうさい」と読むのだ、というのは習ったが、国語辞典で「しゅうさい(愁殺)」「のうさい(悩殺)」を引いても、それぞれ、「シュウサツを見よ」「ノウサツを見よ」となっている。
『大字典』で「殺」を見ると、
四五 そぐ。へらす。けずりへらす。けずる。……
とあり、
国語辞典でも、「減殺」については、
(「減」「殺」ともにへらす意)
とある。
「糸屋の娘は目で殺す」というのも習ったが、これは「悩殺」だ。しかし、漢和辞典の「殺」には、「心をかきみださせる」というような意味の記述はない。
サスペンスドラマで、「出逢う」「出会う」「出合う」という表記を軸にしているものがあった。どういうわけか、江戸時代の「であいぢゃや」は「出合茶屋」と書くことになっているようだ。「まちあい」も「待合」と決まっている。
商品券偽造行使で逮捕者が出た。
店の従業員が券の裏面に列挙された百貨店の記載で、正しくは「島屋」であるのに、「」が「」になっているのに気付き、警察に通報した。
レジ担当の女性が、主任の男性従業員(38)に受け取った商品券を見せて相談。男性主任が偽物と見破り、110番したという。
https://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/201903/0012147520.shtml
量販店の従業員がいちいち券の裏面までチェックするものだろうか。これは、過去に同様の詐欺があり、警察あるいは上層部から「チェックするように」という指示が出ていたに違いない。
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