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気が向いたら思いついたことを書いてみます
知らない市名がニュースに登場する。平成大合併は終ったはずなので、当方の不勉強なのだろうが。
先日は、行橋市のニュースがあった。調べると昭和29年にできている。今日は稲沢市。これも昭和33年にできている。知らない方がいけないのだろう。津島市は昭和22年。これも知らなかった。
愛西市は平成17年、あま市は平成22年だから、私が知らなくても許してもらえるか。
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「斎藤淏」という人の書いた文章を見た。「淏」とは何と読むのだろう。
ネットを見ると「きよし」らしい。日本医科大学教授で外科が専門のようだ。
今はペンネームでなければ、このような字を使うことはできない。
文藝春秋新社刊行の本を買った。昭和三十一年十二月二十日発行。
中央公論新社というのは知っているが、文藝春秋新社というのは知らなかった。
ネットを見ると、
大正12年1月  文藝春秋社創設、「文藝春秋」創刊
昭和21年3月  菊池寛、株式会社文藝春秋社を解散
昭和21年6月  社員有志、菊池寛の許諾を得て株式会社文藝春秋新社を設立
昭和41年3月  「株式会社文藝春秋」に社名変更
となっている。
昭和二十一年から四十一年までは「文藝春秋新社」だった。
ウィキによると、
明治19年  反省会設立
大正3年  中央公論社と改名
平成11年  中央公論新社設立(読売新聞社の子会社化)
ということで、同じ「新社」でも文藝春秋と中央公論とでは事情が全く異なる。
今朝のNHK「マイ朝ラジオ」のリスナーメール紹介。加藤成史アナは「戦闘状態にはいれり」と読んだ。
昭和16年12月8日午前6時、日本放送協会のアナウンサーは、
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」
と伝えた。前半が口語で後半が文語なのがチクハグだが、このアナが今朝の放送を聞いたら何と言うだろうか。
これはこれはとばかり花の吉野山
貞室の名句・代表句とされるもの。初めて見た時、私は「馬鹿馬鹿しい、どこがいいのだ」と思った。しばらくすると、言葉で言い表せない美をうまく表現していると思った。
今日、ふとひらめいた。「これはこれは」というのは、貞室の感動でもあるし、吉野山が「これはこれは、ようこそ」と客人を迎えているかのよう、両者相対応、相互挨拶しているととれば、更に句が立派なものになるのではないか。
『股旅堂古書目録』が届いた。なんと、袋綴写真つき。「阿部定事件現場写真」。見開き2頁かと思いきや、6頁もある。ガラス乾板6枚+ネガ4枚が百万円となっているが、袋綴を見ればいい、という人も多いのではないか。売れるだろうか。この目録に手をつけず、売りに出す人もいるかもしれない。
山田風太郎『死言状』を読んだ。面白い。時々は吹き出し、時々はアハハと笑った。このセンスは育ちにもよるのだろうが、人を食ったような文章は何とも言えない。あとがきの末尾に山本夏彦の言葉を引いていた。山本の皮肉にも通じるところがあるか。山田は五歳、山本は十四歳で父親を失っている。山田は十四歳で母親も失っている。
20年以上前、山田風太郎の本を何冊か読んだ。この『死言状』は記憶にない。平成五年、富士見書房から出版、平成十年には角川文庫、平成十四年には小学館文庫、そして今年ちくま文庫になった。権利関係はどうなっているのだろう。本人や著作権継承者がウンと言えばいいのだろうか。『風眼抄』は六興出版、中公文庫、角川文庫。『半身棺桶』は徳間書店、徳間文庫、ちくま文庫、『あと千回の晩飯』は朝日新聞社、朝日文庫、角川文庫と複数社から出ている。
50年ほど前、染井霊園を歩いたことがある。次から次と有名人の墓が現れるので興奮したのを覚えている。
ウィキに載っている名前から主なものを抜き出すと次のとおり。
饗庭篁村 淡島寒月 巌本善治 大田黒元雄 岡倉天心 陸羯南 阪本四方太 笹川臨風 幣原喜重郎 下岡蓮杖 関根正直 高田早苗 高村光雲 高村光太郎 高村智恵子 二葉亭四迷 水原秋桜子 宮武外骨 安岡正篤 若槻禮次郎 若松賤子
外骨がここだとは知らなかった。
子供の頃は公衆浴場に行ってた。友達は銭湯と言ったが、我が家では風呂屋と言った。小学生の時は6円、小学五、六年で7円のようだ。中学生になって15円。大人は毎年のように値上げが続いたが、子供料金は数年間据え置かれたようだ。十円玉と五円玉を一つずつ持って行ったのか。コイン複数枚という記憶しかなかった。蔵前の風呂屋では75円だったのか。全く覚えていない。
都内入浴料金の推移
http://www.1010.or.jp/guide/都内入浴料金の推移/
この表を見ると、平成26年には大人460円となっている。これでは、所謂スーパー銭湯と変りがない。電車から見える「極楽湯」は、数年前500円を標榜していたが、最近は440円だ。
「坂道グループ、年間写真集ランキングを席巻」という記事を見た。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181130-00000322-oriconbiz-ent
「年間BOOKランキング」「写真集」TOP10のうち、石田ゆり子を除く9作が坂道グループのものだという。
坂道にはロマンがあるが、歩く人は大変だ。子供時代、横町暮らしだったが、旧武家屋敷の隣町へは坂道を登った。ここを通っても、下町の平坦な道を行っても、どちらでも小学校に行けた。私が歩いたのはほとんど後者だった。前者の坂下で寛永通宝を拾ったことがある。舗装される前だから、60年以上も昔だ。
世に物好きは多く、「こんなことまで研究している人がいるのか!」と驚くことがある。しかし、「三浦おいろ」について研究成果が発表されたのは知らない。
「おいろ」「紅の家おいろ」「三浦おいろ」などの筆名で明治大正の雑誌にあちこち投稿している。文久三年というから、上田花月と同年生まれ、昭和四年、上田花月より二年早く他界したようだ。
『口から出まかせ』第十一号(明治25年3月21日)に、「投書家の出世」と題する記事があるが、その末尾に次のようにあるのが、最も詳しい説明ではないか。
三浦常太郎氏、姓は井上と最初いひし頃、我楽多の投書家たりし、号を珍妙庵直秋、後ち珍猫庵都子、おいろ粋史といひ、風雅粋誌を発行し、その后東京にて愛京誉誌、紫奇誌を発行し、紅の家恋師といひ、名古屋に在りて時務日報社の記者たりしが、辞して扶桑新聞の小説家となり、東京都新聞の特派員として同地にあり
京都島原遊廓のおやじだったという記述を見たこともある。京都・大阪・名古屋・東京のみならずあちこちを転々としたようだ。歌舞伎狂言を書いたという資料もある。「珍猫史」「美浦家おいろ」という戯号もある。どういう因縁か、おいろを罵倒するような記事を見たこともある。
あと何十年かすると資料探索も容易になり、この人物についても何らかの形でまとめられることになるかもしれない。
勝谷誠彦が死亡した。五十七歳。四十年間酒を飲み続けたという。「自死に近い」という人もいる。
鶯亭金升は七十年間煙草を吸い続け、八十六歳まで生きた。
してみると、酒よりも煙草のほうが害が少ないのか。
アメリカの医者、ブレストとエンストンは健康習慣七箇条を1980年に提唱した。
①たばこを吸わない
②規則的な運動をする
③酒を飲まない、又は深酒をしない
④規則的に七~八時間寝る
⑤適切な体重を維持する
⑥朝食を食べる
⑦間食をしない
刑事ドラマを見ていると、警察官にはさまざまな階級があるらしい。ウィキを見ると、九階級に別れている。
しかし、「刑事」という言葉はどこにも出てこない。ネットによると、刑事事件を担当する警察官が刑事で、「私服警官」と呼ばれ、階級は「巡査」「巡査長」とのこと。刑事部長の階級は「巡査部長」だという。すると、定年間際の刑事などというものはいないということか。
1警視総監
2警視監
3警視長
4警視正
5警視
6警部
7警部補
8巡査部長
-(巡査長)
9巡査
森銑三『明治東京逸聞史』によると、『開花新聞』明治十七年三月二十五日に、兎屋が書籍切手の案内をしている。
広告の親玉銀座の岩谷につゞいて、開化の商人南鍋町の兎屋にては、今度書籍切手を発行し、十銭以上百円まで、数種に分かち、望みの書物及び法帖と引換へらるゝ由、進物などには至極重宝なり。
当然、これは兎屋でしか使えないものだろう。
ウィキペディアによると、図書券は1960年発売開始。1990年からは「図書カード」が発行開始され、図書券は2005年10月1日をもって販売終了。2016年6月からは紙製の「図書カードNEXT」に変ったという。
私は図書券・図書カードは手にしたことがあるが、NEXTというのは知らなかった。
鈴木棠三とは筆名だという。親が付けた名は「脩一」。昭和九年八月から「棠三」という筆名を使うようになった。杉浦翠子先生の改名令によってだという。戸籍はどうなったのか知らない。
このことはウィキペディアには書いてないが、『20世紀日本人名事典』には「本名 鈴木脩一」とある。私は『藤岡屋日記』「編集のしおり」によって知った。
昨夜、中天に満月を見た。なんと、藤原道長が詠んだ満月から千年後のものだという。
https://www.asahi.com/articles/ASLCR0H01LCQUEHF00F.html?ref=nmail
当然ながら、寛仁二年十月十六日は、もっと明るく輝いていたことだろう。
アマゾンでダウンベストを購入した。目に付く赤があったので、それにした。届いた荷物を見てびっくり。広州市から送られてきた。二千数百円のベストを送料無料で中国から送ってもうかるのだろうか。経済音痴には理解できない。
赤にもいろいろあるが、この鮮やかな色は、チャイナレッド、チャイニーズレッドではないかと思い、調べると
ガランス / Garance
パオナッツォ・ロマーノ / Paonazzo Romano
ロッソ・ガリバルディ / Rosso Garibaldi
ルージュ・ドゥ・パルク・ドゥ・ラ・ヴィレット / Rouge de Parc de la Villette
ルージュ・ドゥ・ムーラン・ルージュ / Rouge de Moulin Rouge
コクリコー / Coquelicot
に近い色合いだ。
ネットに「税金逋脱」とあった。「逋」の字は初めて見た。法律・経済関係の人なら常識なのだろう。
『新漢語林』によると、「逋」は
①のがれる(のがる)。にげる。かくれる。
②とどこおる。
 ア期限が過ぎても納めるべきものを納めない。
 イとどまる。とどまって動かない。
③期限が過ぎても、納入または返済しないもの。滞納の税など。
④捕らえる。つなぐ。
とある。
納税は義務であるが、必要以上の金を手にすると、これをごまかそうとする心理が働くらしい。必要以下の金しか入ってこない者は、税金等取られ放題である。
『 老人六歌仙 』(仙厓和尚)
しわがよるほくろが出来る腰まがる頭がはげるひげ白くなる
手は振ふ足はよろつく歯は抜ける耳は聞こえず目はうとくなる
身に添ふは頭巾襟巻杖眼鏡たんぽ温石しゆびん孫の手
聞きたがる死にとむながる淋しがる心はまがる欲深ふなる
くどくなる気短かになる愚痴になる出しやばりたがる世話やきたがる
又しても同じ咄に子を誉る達者自慢に人は嫌がる
http://erikaishikoro.blog.fc2.com/blog-entry-449.html
https://edo-g.com/blog/2016/12/sengai.html/sengai33_l
老人六歌仙というのがあることを知った。心当たりが多いほど老化が進んでいるということか。
ここには、「地位にしがみつく」「名誉ほしがる」というのが抜けているのではないか。「欲深ふなる」の一部かもしれないが。
新聞の週刊誌広告に「自暴酒」とあった。ふつうは「自棄酒」と書く。国語辞典に「自棄酒」はあるが「自暴酒」はない。「自暴」も「自棄」も同じような意味だから、どちらでもいいようなものだが、調べると、尾崎紅葉・近松秋江・徳田秋声・永井荷風・吉川英治・中里介山などが「自暴酒」と書いている。この週刊誌記者はどの作家の愛読者なのだろうか。
総選挙・普通選挙が終り、登院の段となると、早朝から国会門前に来り、一番乗りをしたがる輩がいる。いつ、誰が始めたものか知らないが、宮武外骨『スコブル』第九号(大正六年七月一日)に次のようにあった。
  ●先登第一の馬鹿者
衆議院議員中には無智無学無能の輩が多くあつて、開院の初日だけに早く行き、それで諸新聞に先登第一は何某であつたと書かれる事も見栄にする奴がある
議会をマラソン競争同様にでも心得て居るのか、今年は其先登第一になりたさに夜もロクに寝ず、午前三時頃から出かけて行つた奴があるさうな、何と云ふ糞馬鹿者であらうか、罵詈の評語にも窮する
又諸新聞記者の奴等が、先登第一に何の価値があるとして載せるのか、これも糞肝癪に触る一事である
現在では、新聞ではなく、テレビが報道している。
宮武外骨『スコブル』第九号(大正六年七月一日)のコラムに次のようにある。
   ▲川越チャブと金チャブ
下層労働者の社会に一種の通り言葉があります、即ち「川越チャブ」と云ふのと「金チャブ」と云ふ語がある、川越は薯の産地であるので、焼薯ばかり食ふて居るのを「川越チャブ」と云ふのであります、金魚の如く水ばかり呑んで絶食して居るのを「金チャブ」と云ふのであります、食卓をチャブ台と申し、チャブとは食ふと云ふことであらうと思ひます
水しか飲めない状態を「ノーチャブ」という所と「金チャブ」という所があったようだ。
今日の十両では、炎鵬・翔猿・石浦が勝った。共通するのは「頭」を使っていること。体力で劣るぶん、頭脳を働かせている。体に恵まれ、頭を使わず横綱になった人とは大違い。
宮武外骨『スコブル』第3号に、「慶応三年生の文士」というコラムがある。露伴以下はこの時点で存命なので、私に没年を追加した。
正岡子規 名常規
  明治三十五年九月十五日歿 享年三十六
尾崎紅葉 名徳太郎
  明治三十六年十月三十日歿 享年三十七
斎藤緑雨 名賢
  明治三十七年四月十三日歿 享年三十八
夏目漱石 名金之助
  大正五年十二月九日 享年五十
幸田露伴 名成行
  昭和二十二年七月三十日 享年八十
鈴木天眼 名力
  大正十五年十二月十日 享年六十
伊藤痴遊 名仁太郎
  昭和十三年九月二十五日 享年七十一
 尚『現代文士録』を見ると
上田万年 芳賀矢一
の両氏も慶応三年生とあり、石橋思案、村上浪六も同年らしい
《以下、菊池追加》
上田万年
  昭和十二年十月二十六日歿。享年七十。
芳賀矢一
  昭和二年二月六日歿。享年六十。
石橋思案
  昭和二年一月二十八日歿。享年六十。
村上浪六《慶応元年生まれ》
  昭和十九年十二月一日歿。享年七十八。

坪内祐三『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』は、外骨の指摘を受けてまとめたものだろう。漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨を取り上げている。

《以下、菊池追加》
宮武外骨
  昭和三十年七月二十八日歿。享年八十八。
南方熊楠
  昭和十六年十二月二十九日歿。享年七十四。

宮武外骨が一番長生きだった。

「ノーチャブ」という言葉がある。「ノーパンシャブシャブ」の略語ではない。
『神戸新聞』大正十一年四月二十四日の「どん底の生活」という記事に、
その内実は飯屋で最も倹約した十二三銭のところで一食しあと二食は残飯で露命をつないでいるのだ。しかも未だこうした内は残飯にしろ人間並にお米が食えるからいいとして、その残飯さえ食えない様になって来ると金魚チャブといってパンを噛じって一時をしのいだりお腹に保ちのいいコンクリ飯と彼等仲間で呼んでいるコワ飯を一日五銭の分一杯位で我慢したりするのであるが、コンクリ飯や金魚チャブさえやれない様になると川越チャブと称して芋を二銭か三銭位噛って一日を過すのである。それがもっとひどくなって芋も買えなくなると愈と最後の手段たるノーチャブというひどい段取になり水だけ呑んでは一日を過しているという有様、まことに惨めな吾吾が思いもよらぬ生活で、こうなっては全く牛馬同様ただ生きているに過ぎない。いよいよこうした場合に押し詰られると食う事さえできない連中であるから勿論屋根代二十五銭という大金があろう筈はない。自然と無料宿泊所へ行くか或はまたオカン(野宿のこと)するより外に道がない。
とある。
これは東京深川富川町から猿江裏町付近の話だという。大正頃は、パン切れを金魚チャブ、強飯をコンクリ飯、芋を川越チャブ、水しか飲めない状態をノーチャブと言ったようだ。
昭和三十年代はちゃぶ台で御飯を食べた。私がちゃぶ台の足を広げ、食事が済んだら足を畳む役だった。ちゃぶ台の「ちゃぶ」が「食事」のことだとは知らなかった。私は、14歳と24歳の時、ノーチャブを経験している。前者は昼数日、後者は朝昼晩数日。ノーパンシャブシャブは行ったことがない。
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