忍者ブログ
気が向いたら思いついたことを書いてみます
「我善坊」という妙な地名を見た。調べると、江戸時代には我善坊谷。明治五年、我善坊町ができ、明治十一年には麻布区我善坊町となった。昭和四十九年、港区麻布台一丁目の一部となって地名消滅。令和には再開発によって我善坊坂も落合坂もなくなったという。隣の市兵衛町も高層ビル群となって「偏奇館」の面影は全くない。東京は新陳代謝の最も激しい街だ。
PR
今年は雪が少なく、豊岡では「雪乞い」をしたという記事があった。
「雪雲きたれ」神事で降雪祈願 豊岡・神鍋山で4年ぶり
https://www.kobe-np.co.jp/news/tajima/202001/0013051957.shtml
「雨乞い」ならぬ「雪乞い」などというものがあるのかと思ったら、この記事によると四年前にもやっていたようだ。
『柳多留』三十篇(文化元年)には
取巻て雪乞の句をよみなんし
とある。これはかの宝井其角が、元禄六(1693)年六月二十八日、雨請いのため「夕立や田を見めぐりの神ならば」の句を三囲稲荷社に捧げたところ、雨が降ったという有名な話を踏まえ、雨乞いが成功したのなら、雪も降らせられるだろう、という趣向。其角を取り巻いているのは遊女達である。
横井也有『鶉衣』には、「雪請の序」があった。
におふ富士のいたゞきも一望の内にあれば、半掃庵に雪乞をせばや。年比の俳諧もか様の時の為めにこそあれ。かたがたも力をそへて給はり候へと、ことには不元庵の老和尚を先達として、好事の連衆をかたらひ、丹誠を抽んでゝ一夜火燵の壇をかざり、雪請の一巻をぞ催ふしける。
  雪の願ひ水にはなしそ夕あらし
「猫要らず」は殺鼠剤だが、「鼠入らず」は家具だ。「鼠入らず戸棚」と併記した文献があるから、「鼠入らず」と「戸棚」とは違うようだ。戸棚は食器専用で、「鼠入らず」は食料用か。
仲田定之助『続・明治商売往来』(青蛙房。昭和四十五年)に、
せんだって魚市場の長老、樋口寅太郎さんをかこんで魚河岸の話をきいた際、むかしまだ冷蔵庫もなければ、氷も乏しかった時代に、腐り易い魚をどうして貯蔵したのですか、という質問が出た。
井戸の内側につるしておきました、という答がかえってきた。成程、そういえばわたしの家でも腐りやすいものを籠や、笊に入れたり、鼠いらずごと細引きで井戸の中につるしていたし、西瓜は網に入れて、そのまま井戸水の中に浸していたことを憶えている。
とある。
昔は贓品・贓物と言ったが、今は「盗品」か。
古書肆から明治の雑誌を買ったが、一冊には某文庫と同じ購入印(年月・代価・売主を明記)が押してあり、もう一冊にはこれまた某文庫と同じ寄贈シール(約三センチ四方。収集者・寄贈者・年月を明記)が貼ってある。
これは某文庫から盗み出され、古本屋に売られたものか。或いは同じものが2部になったので、某文庫が良くない方を売り払ったのか。念のため某文庫に確認してみようか。
ある本に「鴇婆(やりて)」とあるのに驚いた。「遣手」「香車」「花車」「鎗手」というのは見たことがあるが、尾佐竹猛『下等百科辞典』を見ると、
本来は鴇母又は鴇姿と書かれ、楼中ではおばさんと呼ばれて居る。
とあった。二番目の「鴇姿」は「鴇婆」の誤植ではなかろうか。その証拠に、この後の七例は全て「鴇婆」となっている。
何故本来の表記が「鴇母」「鴇婆」なのだろうか。
荷物を運ぶのに、今はキャリーバッグ(トロリーバッグ)が全盛だが、江戸時代から明治初期にかけては「両掛」というものを使った。広重の「東海道五拾三次」のあちこちに、この両掛を担いだ人の姿が描かれている。
国会図書館デジタルコレクション「東海道五拾三次 江尻」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1313294?tocOpened=1
ボストンバッグやトランクに詰めたのは、いつ頃からなのだろうか。赤帽(ポーター。荷物運搬夫)の始まりは明治二十九年とウィキペディアにある。
「宅急便」ができたのは昭和50年だから45年前だ。みかん箱の段ボールに入れた荷物が配達され、不在で隣の奥さんが預ってくれていたということが数回あったのを記憶しているが、どこからの荷物で何が入っていたのか、覚えていない。その頃は「不在再配達」などということはせず、隣の人に預けておしまいだった。いつからこのやり方がなくなったのだろうか。段ボールはいつ頃から盛んに使われるようになったのだろうか。50年ほど前までは、リンゴもミカンも木箱に入っていた。
ATOKで「さったとうげ」と入力すると、「颯田峠」としか出ない。こんな有名な峠名が何故出ないのかと、ウィキペディアを見ると、
薩埵峠は、静岡県静岡市清水区にある峠である。東海道五十三次では由比宿と興津宿の間に位置する。埵の字がJIS第3水準のため、「薩堆峠」の表記や、かな文字で「さった峠」と表記する例がある。
とあって、見出しも「薩た峠」となっている。
歌川広重「東海道五十三次 由井」は薩埵峠から富士山を見たもので、同様のアングルの映像がライブカメラで配信されている。残念ながら今日は曇りで富士山が見えない。
薩埵峠富士山ライブカメラ
http://mtfuji-live.jp/
静岡市さった峠 広重の富士山
https://www.youtube.com/watch?v=CWNjN2bYzsA
岡本昆石「幕府瓦解の際僕の見聞誌」(『同方会誌』第三十四号)に、次のようにある。
当時〈注:明治初期〉の落首に(こゝに唐とは西洋の義なり)
 東京府中字をとれば東府(豆腐)なり崩れたあとは纒りはせん
 東京府中字をとれば東府(豆腐)なり絞り上げたるあとは殻(唐)なり
「唐」は中国のことではなく、西洋人のことを「唐人」と言ったので、日本は西洋人に取られてしまうだろうということだ。
大阪府・大阪市を改変しても「大阪都」にはならない。それなのに「都構想」などとデタラメなキャッチフレーズを作る。首相・官邸・内閣からして日本語をおろそかにし言葉を誤魔化している。政治家が日本語を破壊している。どうせアメリカの言いなりなのだから、いっそ日本語はやめて、英語を国語にしたらどうか。日本人の国語軽視、外国人移住者の増加で、百五十年前の予言がいつか現実のものとなるかもしれない。
大正三年初版発行の『や、此は便利だ』(平凡社)の末尾に「生」の字の読みの多様さが取り上げられている。
◎『生』の字の読方二十種
生徒(セイト)  平生(ヘイゼイ)  生涯(シヤウガイ)  誕生(タンジヤウ)  生物(いきもの)
生田(いくた)  生花(いけばな)  生駒(いこま)    生糸(きいと)    生立(おひたち)
竹生(ちくふ)  生肴(なまざかな) 生方(うぶかた)   千生(せんなり)   生際(はえぎわ)
新生(にひくら) 生付(うまれつき) 生月(うみづき)   弥生(やよひ)    船生(ふにふ)
「晴耕雨耕株式会社」と書いた車を何度か見かけた。何をする会社かと調べると、
■ 建物総合管理業務
設備管理業務 (建築・電気・給排水・消防他)
清掃管理業務 (日常清掃・特別清掃)
コンサルティング業務 (分譲マンション管理組合)
コンサルティング業務 (賃貸マンションオーナー)
賃貸管理業務
管理員派遣
フロント運営業務
■ ライフパックサービス
リフォーム相談・工事
提携店商品販売・集金代行
インテリア相談・オプション販売
マンション管理組合様へのイベント提案など
とあった。
四字熟語をもじった商品はいろいろあったような気もするけれど、四字熟語をもじった会社名というのは珍しいのではないか。
高校時代、同級生何人かが10センチ足らずの長方形の小袋を盛んに揉んでいるのを見た記憶がある。カイロというものなのだろうとは推測できたが、私はカイロは使ったことがなかった。金属製の懐炉があることは知識としては知っていたが、これも使ったことがなかった。少なくとも、五十年ほど前までは、カイロは揉まないと温まらなかった。ところが、今のカイロには、
強く振ったり、もんだりしないでください。
という注意書きがある。
ウィキペディアを見ると、
1975年、アメリカ陸軍が使用していたフットウォーマーを元に、旭化成工業(現・旭化成)が鍼灸師ルート等を通じて全国で「アッタカサン」を販売。それを原型にして、日本純水素(現:日本パイオニクス)が1978年に開発、ロッテ電子工業(後のロッテ健康産業→現在はロッテ本体に吸収合併)が「ホカロン」の商品名で使い捨てカイロを全国発売し、これがヒット商品となって一般に普及した。
とあるが、ウィキペディアには「揉む」カイロ、私の級友が使っていたカイロに関する記述が欠けている。
私がカイロを使い出したのは十年ほど前からか。カイロは肌着などに貼るものとばかり思っていたが、店頭で「貼らないカイロ」という表示があるのを見て驚いた。ウィキペディアには、
シール付きの使い捨てカイロ、いわば貼るタイプのカイロが発売されたのは1988年であり
とあった。温暖化が進むと、カイロの消費量もどんどん減っていくのだろう。
著者本人販売の本をネットで買った。A5横本にホッチキスが五本打ってある。これで自ら製本したものであることがわかる。明治大正の本はかなり分厚い本でもホッチキス二本留めだ。
私の家族は私の祖父が建てた家に住んでいた。大工ではなく、農家。ある時、修理を依頼すると、本物の大工さんが、「この家を建てたのは素人ですね」と言ったという。母親が、「どうしてわかるんですか」と聞くと、「釘を多く打ってあるから」と言ったそうだ。
玄人と素人の区別も難しい時代になってきたが、ちょっとした所でわかってしまうということもある。
ゴミ坂・ハキダメ坂についての記述が下記サイトにあった。
https://blog.goo.ne.jp/asaichibei/e/bef05881c8e546c709cb067034dcaeed
https://ja.monumen.to/spots/3528
http://tokyo-sanpo.my.coocan.jp/a050344.htm
ただし、
坂を登ると「上二番町」なので
という記述は間違いである。
「上二番町」は明治五年にできた地名で、江戸時代には、ゴミ坂・ハキダメ坂を上ると、
裏二番町
の通りであった。
人文学オープンデータ共同利用センターが、
江戸マップβ版 を公開しているのを知った。
http://codh.rois.ac.jp/edo-maps/
その中の
〔江戸切絵図〕. 御江戸番町絵図
を見ると、
東西に延びる、堀端一番丁通りと裏二番丁通りの間、現在の番町中央通り と、
南北に延びる、御厩谷のある通り、現在の大妻通りと半蔵門駅通りの間 との交点付近、
現在の建物でいうと、一番町4の「一番町鈴木ビル」「一番町ハイム」などの北側、
三番町5の「シエルトーレ三番町」の南側にあたる道路部分に、
[10-034]ミコ之坂ヵ(ミコ之坂ヵ)
と書いてあるのに驚いた。
江戸に「ミコ之坂」などという坂があったとしたら、大発見ではないか。聞いたこともない。
この「江戸マップβ版」の「〔江戸切絵図〕. 御江戸番町絵図」では、マーカーに遮られて原図の文字が読めないので、
『江戸切絵図集成』第四巻の同図を見ると、
コミ坂
と書いてある。「ゴミ坂」のことだろう。その証拠に、嘉永二年刊の『番町絵図』(近吾堂)には、
ハキタメ坂
とある。「ハキダメ坂」だろう。「ゴミ坂」も「ハキダメ坂」も似たようなものだ。
「江戸マップβ版」は、
国立国会図書館などが公開する古地図「江戸切絵図」に対して、IIIF Curation Platformの仕組みにより様々な情報を統合し、歴史ビッグデータや歴史GISの研究に活用します。
とのことだが、大元のデータを読み間違えているのでは何にもならない。
まともな研究者なら、「コミ坂」を「ミコ之坂」などと読んだりはしないだろう。これも、某テストの採点や、某図書館の書誌作成などと同様、学生アルバイトか外注かに任せているのかもしれない。
話は変わる。尾張屋版はそっけないが、近吾堂版では、言い訳をしたり、探索の至らないのを歎いたりする文章が書込まれている。「上水北小日向小石川辺図」(嘉永五年)には、
図中地勢凸凹多く、道路出没繁し。低きより高きを望て、高きより低を臨むか如くならんとす。いかんそ是を掌に見るかことくするを得ん。たゝ其要ハ順路をしるのミ。
とある。
先の「ゴミ坂」「ハキダメ坂」も、Google Map で交差点から東を見ると、今でも見事に下り坂になっているのがわかる。この百五十年間の文化文明の進歩にはすさまじいものがある。ただ、文字を読むのはAIでも難しいようだ。先の「ミコ之坂」などと誤読したのは、坂道の表示「|||||」の一部を文字と誤認したがためであろう。
日清カップヌードルの底に「ふた止めシール」が付いていることは以前に書いたが、付いていない種類があった。
「あっさりおいしいカップヌードル カレー」には付いていない。これはどういうことか。少なくとも、「味噌」「グリーンカレー」の底にはシールが付いている。
「あっさりおいしい」シリーズはシールを省略して、その分安くなっているのだろうか。
古書の裏見返しを見ると、「満蒙開拓青少年義勇軍訓練所」と縦長のゴム印が押してあった。黒インクで枠線はない。左には小さく方形の朱印が押してあるが、かすれていて読めない。かすれていなくても読めないだろうが。右には黒ペンで「満蒙開拓青少年義勇軍弥栄」とやや大きく書いてある。
ウィキペディアには、
満蒙開拓青少年義勇軍とは、日本内地の数え年16歳から19歳の青少年を満州国に開拓民として送出する制度であり、満蒙開拓団に代表される満蒙開拓民送出事業の後半の主要形態である。
とある。
この本は、昭和二年六月十日初版発行、昭和三年七月一日三版の、『江戸売笑記』(宮川曼魚)で、批評社から出たもの。「義勇軍訓練所」で、こんな軟派な本を購入していたというのも面白い。ウィキペディアによると、この義勇軍訓練所は、満州ではなく、茨城県内原(現在水戸市内)にあったという。
「のろいの火箸」という表現があった。ネットを見ても出てこない。「厄除け火箸」はたくさん出てくる。
ひょっとすると、厄除け火箸で商売をしている人達が、営業妨害だというので「のろいの火箸」については記述させないのだろうか。
迷信・まじない・呪詛の本にあってもいいようなものだが、見当たらない。
『横浜もののはじめ考』(横浜開港資料館)によると、明治十三年頃、石川孫右衛門が元町に貸自転車屋を開業したという。しかし、『近代日本総合年表』(岩波書店)では、明治十年に「石川孫右衛門、横浜元町で輸入自転車16台で貸自転車を開業。賃料1時間25銭」とある。これは『明治世相編年辞典』に拠るという。
東京では、明治十二年、神田佐久間町秋葉ヶ原で遊戯用貸自転車が始まったという。これは、藤沢衛彦「東京の乗りもの」(『国文学解釈と鑑賞』昭和三十八年)に拠る。
ところが、ウィキペディア「レンタサイクル」の項を見ると、貸自転車は昭和から始まっている。やはりウィキペディアでは偏りがあるようだ。
去年今年貫く棒の如きもの
高校の教科書に載っていた。昭和25年12月20日、虚子76歳の作。新年の句ではなく、漠然とした表現なので、どのようにでも解釈できる。
今朝は「棒」を実感した。ある程度の規模の仕事を抱えると、暦どおりには行かない。越年作業ではあるが、ずっと同様のことをやっている気もする。今日は机に向うや、昨日の続きにかかった。今年中にキリがつけられるかどうか。
昔は、蟻の巣の地上に盛り上がった部分を「土の塔」と言った。辞書・ネットを見ても出てこない。今では「蟻塚」「蟻の塔」と言う。
小学生の時、本で「アリジゴク」というのを見て、実物を見付けた時には感動した。ツチグモ(地蜘蛛)の穴を見付けて、細長い袋状の巣を掘り出して遊んだ。盛り上がった蟻の巣というのは気付かなかった。
先日、某JR駅前で「JW」と大きく書いた看板の横に女性が二人立っていた。よく見ると、小さい文字で「エホバの証人」と書いてあった。51年前、私の下宿に上がり込んできたのがエホバの証人の伝道師だった。「ものみの塔」を置いていった。チラシに書かれた集まりには行かなかった。
NEWSポストセブン(12月30日(月)7時0分)に、
田子ノ浦親方(元前頭・隆の鶴)と手が合わないので、部屋の後援会関係者の紹介は避けたいのではないか。
とあった。
「手が合わない」とは初めて見た。『日本国語大辞典』の「手が合う」を見ると、
① 手がそろう。
② 相場を張って、予想があたる。
とあり、ここはどちらでもない。
『日本辞典』を見ると、
http://www.nihonjiten.com/data/41239.html
手が合う
てがあう【相撲】
気が合う、仲がいいこと。
とあった。
どうやら、大相撲の世界での業界用語らしい。
上田花月の都々逸に、
鼻の低いもけふ此頃は呼吸器かけるでごまかせる
というのがある。
「呼吸器」とはマスクのことか? と調べると、宮武外骨『文明開化』(大正十四年)に「呼吸器広告」なるものが出ていた。
レスピラートル(呼吸器)の世に行はるゝ已に久して其器の種類も従て多し或は金属板を以てし或は金線を以てし或は木炭を以てする等各一様ならず今敝舗製造の器械は各種中最良なるものを撰み之を実用に経験して更に一層の精工を加へたるものなれば決して舶来の品種に劣らず其価も亦廉なり素より此器は大気に触れて乾湿共に変色せず腐蝕せずこれ他種に比して卓絶たる所なり抑も其用たるや雨露雲霧を侵し或は風塵の間に行歩し又は暖室を出て戯を去るが如き頓に寒冷に触る等に際しては必ず携帯すべき要器たり又其効験は寒冒を防ぎ咳嗽を止め気管炎其他呼吸器諸病を防止する等数ふるに暇あらず請ふ江湖の諸彦常に此器を携帯して以て病魔を防歇せば予が企望も亦徒爾ならず  (明治十二年二月)
  東京日本橋区本町三丁目十八番地
    いわしや 松本市左衛門
洋装と和装の男二人がマスクをしている図が載っているから、マスクに違いない。洋装の男は鼻まで覆っているが、和装の男は鼻を出して口だけを覆っている。どうやら、今日のように鼻まで覆うものと、それとは別に口だけを覆う縦幅の狭いものと2種類あるようだ。マスクの色は白ではなく黒のようだ。その下にはマスクだけの図があり、マスクの内側になにやら貼ってあるのが見える。これが金属板であったり金線であったり木炭であったりするのだろうが、この「いわしや」はマスクの内側に何を貼っているのか、広告文からは伺えない。
今迄明治期の人がマスクをしている図を見たことがなかったが、明治初期から、冬にはある程度の人が使っていたようだ。ウィキペディアの「マスク」の項目を見ても、明治期の「呼吸器」のことは載っていない。
私が子供の頃は、マスクはガーゼでできていて、内側に更にガーゼ布を入れた。洗濯して何度も使ったものだ。不織布になって使い捨てとなった。
今はオシャレマスクとかいって黒・灰色・ピンクなど色付のマスクがあるようだが、明治初期には白マスクではなかったようだ。いつ頃から白マスクが主流となったのだろうか。
歴史的に価値ある英語スピーチをテキストや音声、動画などで学習できるWebサービス「American Rhetoric」
https://weekly.ascii.jp/elem/000/000/438/438165/
という記事があった。
早速見ると、
John F. Kennedy
Presidential Inaugural Address
https://www.americanrhetoric.com/speeches/jfkinaugural.htm
があった。
これは高校一年か二年の時、川又書店二階奥のテープ(オープンリール)コーナーで買って聞いた懐かしいものだ。それが今はタダで、ケネディのみならず歴代大統領その他のスピーチが聞ける。しかもテキスト付き。
私は生まれてくるのが早すぎたようだ。
今朝の朝日新聞生活(健康)面の記事がオカシイ。
説明には、
うつぶせの状態で片ひざを抱えながら逆側のひざを床に押しつける
と書いてあるが、イラストは「あおむけ」だ。
文と絵と、どちらが正しいのか。
イラストが正しいのなら、文は
あおむけの状態で
となるが、あおむけでひざを床に押しつけることはできない。
文が正しいとすると、
うつぶせの状態で片ひざを抱えると、両手が体の重みでしびれてしまう。
イラストも文も、どちらもまちがいではないか。
と思ってデジタル版を見ると、
慢性の痛み、心の持ちようで改善も 心地よい運動も
https://www.asahi.com/articles/ASM3151J8M31UBQU00D.html?iref=com_apitop
という記事があって、
腰痛の人向けのストレッチ
というイラストと説明が載っている。
あおむけになった人の図の説明には
ひざを抱いて胸に引き寄せる
とある。その下には
上半身を前に倒す
という説明があり、図はひざを床につけている。当然顔は下(床)を向いているが、「顔を下に向けて横たわる」という状態ではなく、上半身は起きているから「うつぶせ」とは言えない。
このデジタル版の図・説明ならわかる。
紙版はどうしてこの図・説明をそのまま掲載しなかったのだろうか。まともな解説とは思えない。
「桜を見る会」なんて、名前からしてオカシイ。「観桜会」と言うのだ。
明治十七年四月十九日の『開花新聞』に、次の記事がある。
一昨日の午後三時より池の端の殿様、彼福地源一郎さんの宅(うち)で日本一の花見会と云ふを催され、伊藤、井上の両参議をはじめ、芳川府知事、渋沢栄一氏等が来臨にて、席上は団洲、伯円、円朝、燕林、清元おえふ、原口法師なんどが周旋に侍り、柳橋よりはおそのを始め八九人の芸妓が罷り出でゝ、頗る御愉快があつた相です。
芸能人・コンパニオンを呼ぶのは昔も今も同じ。
観桜会を開きたければ、御苑など使わず、自分の家の庭でやれ。
[1] [2] [3] [4] [5] [6]
カレンダー
01 2020/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(01/23)
(01/22)
(01/21)
(01/19)
(01/18)
(01/18)
(01/16)
(01/15)
(01/14)
(01/13)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
gwaikotsu
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
忍者ブログ / [PR]
/ Template by Z.Zone